安倍のステルス作戦
自民党憲法改正草案を読む/番外122(情報の読み方)
安倍が演説の「日程」を公表せず、神出鬼没に街頭にあらわれている。これをちまたでは「ステルス作戦」と呼んでいる。安倍が「日程」を公表しないのは、公表すると安倍を批判する国民があらわれ、演説を邪魔する。「安倍帰れ」「安倍辞めろ」「安倍が国難」という批判が飛び交う。それを避けるためだと言われている。
それだけではない。それ以上の、とんでもない作戦である。安倍はただ批判から逃げているだけではない。
昨年の参院選を思い出そう。
私は投票日の一週間前、7月3日に、やっと安倍の作戦に気づいた。選挙前日なのに、私の職場は異様な静かさがおおっていた。安倍は「報道」を封じたのだ。もちろん「圧力」をかけてではない。そういう露骨なことをすれば、すぐ批判される。
もっと巧妙だ。
安倍は、「表に出ない」作戦をとったのである。
それは、それまでの「選挙戦術」を根底からひっくり返すものだった。それまでの選挙戦では、候補者(党の代表者、スポークスマン)は、「顔」を出し、「名前」を叫んだ。(主張も訴えた。)国民に売り込まなければ票が入らない。誰もがそう考えていた。多く表に出たものが勝つ。「知名度」を高めるためには、積極的に「表に出る」必要があると考えていた。
安倍は、逆手をとった。
安倍が「表に出ない」と、ほかの政党(党首)の発言を報道できない。選挙報道にはあるルールがある。候補(政党)が不平等にならないように、「情報量(放送時間、記事の長さ)」を均等にする。このルールは、まず籾井NHKによって破られ、放送時間は政党の議席数に合わせる形で配分された。つまり自民党は長く、議席の少ない野党は少なく、という具合である。
そうすると、どういうことが起きるか。
少数政党(少数派)の主張は「情報」として、国民にはつたわらないのである。
既成の、すでにあちこちで喧伝されている主張だけが繰り返される。議論は、もちろん深まらない。
参院選のときの「党首討論会」は一回だった二回目以降を自民党(安倍)が、日程の調整が付かないという理由で拒否した。それは他党の主張を放送させないという「口実」だった。籾井NHKはもちろん、すぐにそれに飛びついた。応援した。この籾井NHK報道スタイルによって、少数派の意見は放送されず、存在しないことになってしまった。間接的に存在を「封印されてしまった」。
あの大成功をおさめた作戦を安倍は繰り返そうとしている。私はこれを「沈黙作戦」と呼んでいる。
安倍が遊説の日程を秘密にする。そうすると放送局も、新聞社も、それに対応できない。安倍が演説しても、それを報道できないとなれば、他の党の街頭演説も当然報道できなくなる。各候補の主張を公平につたえるというルールが崩れてしまうからである。安倍の街頭演説を報道せず、小池や枝野、志井の演説だけを報道すれば、「偏向している」という批判が安倍サイドから起きるだろう。
安倍が街頭で、国民から「安倍帰れ」「安倍辞めろ」「安倍が国難」という批判を受けているということも、もちろん報道されない。テレビ電波に乗らないと、どんな事実も「存在しない」ことになる。テレビ電波に乗れば、ビルの下から犬が助け出されたということが「一大ニュース」になる。事実として「存在する」。
安倍は、事実の存在を隠蔽する作戦をとっている。権力を利用して、指揮している。
天皇の「生前退位」も同じである。籾井NHKをつかって「スクープ」させ、護憲派の天皇を「沈黙させる」ことに成功した。
真珠湾慰霊は、単なる「人気取り」だけのものではない。天皇の戦跡慰霊の旅を封印するためのものだった。天皇の「平和への願い」を国民に知らせないための、一大イベントだった。
「沈黙作戦」は、もちろん森学園、加計学園問題でも実施された。自衛隊日報でも実施された。何も語らない。情報をいっさい公開しない。「記憶にありません」ということで、事実を「存在しない」ものにしてしまった。
国会での質疑応答は、「閉会中審査」という不規則な形で、国民の目から遠ざけられ、その報道も十分ではなかった。「沈黙」のなかにのみこまれてしまった。
このあと、どうなるか。
党首討論は、衆院選公示後、開催されるか。すでにネットでやった、記者クラブでもやった、二回もやったのだから十分、日程の調整が付かない、と安倍は再び拒否するかもしれない。
この「沈黙作戦」に対抗するには、ひとりひとりの国民が「沈黙しない」という行動で訴えるしかない。
ネットでは、「安倍追っかけ隊」が安倍の演説というか、安倍批判の声を報道している。「おまえが(安倍が)国難」というプラカードを必死で隠そうとする自民党の職員(?)の映像アップしている。こういう「情報」をつぎつぎに拡散することで、安倍の「沈黙作戦」のずるさを告発する必要がある。
#安倍が国難 #安倍を許さない #憲法改正 #天皇生前退位
自民党憲法改正草案を読む/番外122(情報の読み方)
安倍が演説の「日程」を公表せず、神出鬼没に街頭にあらわれている。これをちまたでは「ステルス作戦」と呼んでいる。安倍が「日程」を公表しないのは、公表すると安倍を批判する国民があらわれ、演説を邪魔する。「安倍帰れ」「安倍辞めろ」「安倍が国難」という批判が飛び交う。それを避けるためだと言われている。
それだけではない。それ以上の、とんでもない作戦である。安倍はただ批判から逃げているだけではない。
昨年の参院選を思い出そう。
私は投票日の一週間前、7月3日に、やっと安倍の作戦に気づいた。選挙前日なのに、私の職場は異様な静かさがおおっていた。安倍は「報道」を封じたのだ。もちろん「圧力」をかけてではない。そういう露骨なことをすれば、すぐ批判される。
もっと巧妙だ。
安倍は、「表に出ない」作戦をとったのである。
それは、それまでの「選挙戦術」を根底からひっくり返すものだった。それまでの選挙戦では、候補者(党の代表者、スポークスマン)は、「顔」を出し、「名前」を叫んだ。(主張も訴えた。)国民に売り込まなければ票が入らない。誰もがそう考えていた。多く表に出たものが勝つ。「知名度」を高めるためには、積極的に「表に出る」必要があると考えていた。
安倍は、逆手をとった。
安倍が「表に出ない」と、ほかの政党(党首)の発言を報道できない。選挙報道にはあるルールがある。候補(政党)が不平等にならないように、「情報量(放送時間、記事の長さ)」を均等にする。このルールは、まず籾井NHKによって破られ、放送時間は政党の議席数に合わせる形で配分された。つまり自民党は長く、議席の少ない野党は少なく、という具合である。
そうすると、どういうことが起きるか。
少数政党(少数派)の主張は「情報」として、国民にはつたわらないのである。
既成の、すでにあちこちで喧伝されている主張だけが繰り返される。議論は、もちろん深まらない。
参院選のときの「党首討論会」は一回だった二回目以降を自民党(安倍)が、日程の調整が付かないという理由で拒否した。それは他党の主張を放送させないという「口実」だった。籾井NHKはもちろん、すぐにそれに飛びついた。応援した。この籾井NHK報道スタイルによって、少数派の意見は放送されず、存在しないことになってしまった。間接的に存在を「封印されてしまった」。
あの大成功をおさめた作戦を安倍は繰り返そうとしている。私はこれを「沈黙作戦」と呼んでいる。
安倍が遊説の日程を秘密にする。そうすると放送局も、新聞社も、それに対応できない。安倍が演説しても、それを報道できないとなれば、他の党の街頭演説も当然報道できなくなる。各候補の主張を公平につたえるというルールが崩れてしまうからである。安倍の街頭演説を報道せず、小池や枝野、志井の演説だけを報道すれば、「偏向している」という批判が安倍サイドから起きるだろう。
安倍が街頭で、国民から「安倍帰れ」「安倍辞めろ」「安倍が国難」という批判を受けているということも、もちろん報道されない。テレビ電波に乗らないと、どんな事実も「存在しない」ことになる。テレビ電波に乗れば、ビルの下から犬が助け出されたということが「一大ニュース」になる。事実として「存在する」。
安倍は、事実の存在を隠蔽する作戦をとっている。権力を利用して、指揮している。
天皇の「生前退位」も同じである。籾井NHKをつかって「スクープ」させ、護憲派の天皇を「沈黙させる」ことに成功した。
真珠湾慰霊は、単なる「人気取り」だけのものではない。天皇の戦跡慰霊の旅を封印するためのものだった。天皇の「平和への願い」を国民に知らせないための、一大イベントだった。
「沈黙作戦」は、もちろん森学園、加計学園問題でも実施された。自衛隊日報でも実施された。何も語らない。情報をいっさい公開しない。「記憶にありません」ということで、事実を「存在しない」ものにしてしまった。
国会での質疑応答は、「閉会中審査」という不規則な形で、国民の目から遠ざけられ、その報道も十分ではなかった。「沈黙」のなかにのみこまれてしまった。
このあと、どうなるか。
党首討論は、衆院選公示後、開催されるか。すでにネットでやった、記者クラブでもやった、二回もやったのだから十分、日程の調整が付かない、と安倍は再び拒否するかもしれない。
この「沈黙作戦」に対抗するには、ひとりひとりの国民が「沈黙しない」という行動で訴えるしかない。
ネットでは、「安倍追っかけ隊」が安倍の演説というか、安倍批判の声を報道している。「おまえが(安倍が)国難」というプラカードを必死で隠そうとする自民党の職員(?)の映像アップしている。こういう「情報」をつぎつぎに拡散することで、安倍の「沈黙作戦」のずるさを告発する必要がある。
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