詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

谷合吉重『姉(シーコ)の海』

2017-10-27 09:49:28 | 詩集
谷合吉重『姉(シーコ)の海』(思潮社、2017年09月30日発行)

 谷合吉重『姉(シーコ)の海』は、どう読んでいいかわからない。こう、始まる。

出会いのトキは
いつも回避され
あたしの飢えハ
略奪されたと
光った土の上に
姉のホトが落ちる
同じ粘土から
生マレた姉弟
あたしは
ココの生まれではないと
子供ラを罵倒し
あるトキがくれば
十人の子供だって
棄テて旅立トウと
普賢菩薩の絵を模写する

 「飢えハ」「生マレた」という具合に、ときどき「カタカナ」がまじる。その「カタカナ」をどう読んでいいのか、私にはわからない。「飢えは」「生まれた」とは違う音で発音されることばなのか。読んでいるのが活字だから、そこに「声/音」は存在しないのだが、私は黙読しながら「音/声」を聞く。私の「肉体」のなかで「声/音」が動く。それを手がかりにしてことばを読む。そこに、どういう「音/声」なのか、わからないものがまじってくると、私は何も理解できなくなる。
 「出会いのトキは」は「出会いのときは/出会いの時は」と読むことができる。「時(時間/瞬間)」を強調したくて書いているのだと読むことができる。ひらがながつづくとことばが見えにくくなることがある。ことばをはっきり見えるようにするためにカタカナで表記された文章に出会うことがある。黙読するひとに配慮しているのかもしれない。たとえば「姉のホト」の「ホト」は「陰」(女性性器)だろう。これは、文脈の中で「ホト」を浮かび上がらせるための工夫だろう。
 しかし「飢えハ」「生マレた」は、どうなのだろう。「旅立トウ」もある。何かしら、「強い意味」をこめているのかもしれないが(文脈から浮かび上がらせたいものがあるのかもしれないが)、私には、それをつかみ取ることはできない。
 このカタカナ表記を無視して、頭の中でことばを動かしなおせば、どことなく「神話」めいたことばの短さが印象に残る。「粘土から/生まれた」という「異質」な世界観がそう感じさせるのかもしれない。「粘土」から人間が生まれる、つくりだされる、というの「日本の神話」にあるのか、「外国の神話」にあるのかよくわからないが、どこかで聞いた記憶もある。「普賢菩薩」ということばが出てくるから、日本、あるいは東洋の「神話」と関係するのかも。しかし、これも、よくわからない。

 よくわからない、というのは、そういう「音/声」の書き方を私は覚えていない、ということ。そういうことを「体験したことがない」ということ。私は自分が体験したことしかわからない人間なのかもしれない。
 ここで、その体験したことのないことを、体験すればいいのかもしれないが、年をとってくると、そういうめんどうなことはしたくない。年をとると保守的になり、自分の知っていること(体験したこと)を繰り返すだけである。
 「新しいこと」はほうりだして、無視する。どんどん読みとばす。こういうとき、目(肉体)というのは不思議なものである。「知っている/体験したことがある/おぼえている」ものは、すぐに目に留まる。

太陽は駿河湾に傾き
今という残酷が辺りに漂う
かつおぶしで知られる漁港に
高さの欠けた三角形の底辺が引かれ
岬の向こうに水平線が伸びてゆく
息子はもうすぐ帰るさかい
それまであたしと釣をしなせといって
ジュンコはぼくを港の岸壁に連れてきた

 全部を「体験した」ことがあるとは言わないが、ここには私の体験したことがある。
 「駿河湾」を私は見たことがないが、海を見たことがある。海に太陽が傾く(沈む)のも見た。漁港周辺に「残酷」を感じたこともある。「高さの欠けた三角形」というのは断面が「台形」の堤防、あるいは防波堤かもしれない。そのとき「底辺」とは道路である。海ではなく「土地」である。岬も、水平線も見たことがある。
 友達を訪ねていって、いまはいないと言われたこともある。待っている間、何かをしていろと言われたこともある。いっしょに釣をしようといわれたことばないが、何か、そういうやりとりをしたことがある。
 そういうことを思い出す。
 その思い出すことのなかで、「残酷」だとか、「高さの欠けた三角形」だとか、ちょっと抽象的なことばが、不思議な「音楽」になって響いてくる。「現実」を「異化」するもののように感じられ、その「異化」から「神話」が始まる。「神話」は人間の世界と違って「抽象的」だが、同時に「具体的」でもある。そして、そのときの「抽象」とは「具体」を純化したもの、あるいは強化したもの、という感じがする。ことばのなかで、存在と運動が強く、明確になる。そういうことが、ここでは起きている。
 突然出てくる「ジュンコ」は、このとき「女神」である。何かしら世界を支配している。こんな具合に。

あんたの仕掛けが引いとるよ
早く上げなせえとジュンコはいう

 「いう」、つまり「ことば(声)」にする。すると、世界が「ことば」にあわせて整うのである。こういうことを「神話化する」というと思う。世界が動き、ことばを整えるのではなく、ことばが世界を整えながら動かす。
 こういう部分にとても強く引かれる。だからこそ、書くのだが、

冬ニ向かフ消尽した朝の
ビン沼川のほとり、
抑揚のない楽がなりひびく
ソナール ソナール ソナール
風下の葦の葉裏の水鳥も鳴イテいます

 助詞、動詞の活用の一部が「片仮名」なるのは、なぜなのか。「表記」の「異化」でなはく、もっと違う形でことばを異化できるのではないか。その方が「神話」がよりくっきり浮かび上がるのではないか。

姉(シーコ)の海
クリエーター情報なし
思潮社

*


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安倍の沈黙作戦(特別国会)

2017-10-27 08:32:45 | 自民党憲法改正草案を読む
安倍の沈黙作戦(特別国会)
            自民党憲法改正草案を読む/番外135(情報の読み方)

 2017年10月27日読売新聞(西部版・14版)の4面(政治面)に、こんな見出し。

特別国会 会期巡り火花/来月1日召集伝達/与党 日程過密「8日間」/野党 代表質問など要求

 衆院選後の「特別国会」が11月1日に召集される。会期はまだ決まっていない。与党は「外交日程が立て込んでいる」ということを理由に8日間を提案した。野党は「安倍の所信表明演説や代表質問などを行う」ために1か月の会期、さらに臨時国会の開会を要求したが、折り合いがつかなかったというニュースである。
 これだけの情報では「外交日程」がどういうものか、わからない。また安倍が所信表明演説をするのかどうか、野党が代表質問をできるのかどうか、それもわからない。もしかすると、安倍の所信表明演説はなく、それに対する代表質問もない、ということかもしれない。
 もしそうであるなら、安倍は、ここでも「沈黙作戦」を強行することになる。衆院選が国民の信託を問うもの、そしてその結果、安倍自民党が支持されたというのなら、そのことを受けて、安倍は今後の政治をどう進めるのか、それを語るべきである。自民党大勝の結果を踏まえて、何をするのか。選挙活動で語ったことを総括し、今後の方針を語るべきである。
 選挙で国民に向かって語ったから、語らなくてもいいということにはならない。街頭演説は一方的な「語りかけ」であって、質問を受けていない。何も議論されていない。しかも、その街頭演説は、警官と安倍支持派に守られた状況で行われ、安倍批判派は遠ざけられている。安倍は安倍支持派にのみ語りかけ、安倍支持派からのみ支持されている。繰り返すが、そこでは「議論」は行われていない。
 さらに、安倍の最後の演説会場には「北朝鮮殲滅」という横断幕も掲げられている。この横断幕は安倍が用意したものか、その横断幕の主張は、今後の安倍の政治の方針なのか、そういうことも語るべきである。「北朝鮮殲滅」ということは、安倍は明確にはことばにしていないが、多くのことが安倍の意向を「忖度」して行われていることが指摘され、問題化している。
 このことに関連するが、同じ4面に、

衆院選自民勝利「北朝鮮のおかげ」/麻生氏、議員パーティーで

 という見出しと記事がある。自民党が北朝鮮への圧力強化を語ったことが勝因のひとつだという認識なのだろうが、これは危機を選挙に利用したということだろう。危機があるなら選挙をする前に、まず危機と向き合い、対処方法を確立する方が先だろう。危機のときに選挙日程を組むことができるくらいなら、外交日程が立て込んでいるにしろ、国会を開くことくらいできるだろう。北朝鮮が何をするかわからない危機的状況に選挙はできる。けれど外交日程が立て込んでいると国会は開けない、というのはどういうことだろう。また、北朝鮮の危機が高まっているなら、外交日程を優先する前に、国会できちんと対策を議論すべきだろう。
 安倍政権は、安倍の都合で、「日程」を決めている。
 だいたい「日程が立て込んでいる」というのなら、野党の要求している「1か月」の期間を「1か月」に限定せず、2か月、3か月にすればいい。「外交日程」でふさがっている日は「臨時休会」にして、安倍が外交から帰って来たら国会を再開すればいい。いつでも、安倍の都合のつくときに、1日置きでも2日置きでも、議論をすればいい。
 議論をどうやってつづけるか、ということを工夫しないで国会といえるのだろうか。

 







#安倍を許さない #憲法改正 #天皇生前退位
 
詩人が読み解く自民党憲法案の大事なポイント 日本国憲法/自民党憲法改正案 全文掲載
クリエーター情報なし
ポエムピース
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