黒澤明監督「野良犬」(★★★)
監督 黒澤明 出演 三船敏郎、志村喬、淡路恵子
古い映画の感想はむずかしい。いまの視点から感想を言うと、まあ、「時代」がふっとんでしまうからね。
御船が情報を求めてひたらす町を歩くシーン、満員の野球場のシーンは、この映画が公開された当時は、なまなましい「情報」だったのだと思う。「肉体」そのものに迫ってくる暗い息苦しさと、明るい喜び。そのせめぎあい。「ドキュメンタリー」だね。
いまは、目新しくない。特に、カメラの演技が横行するようになったいまから見ると「平凡」(だらだら)という感じがするが、これは仕方ないなあ。当時としては、カメラが積極的に対象を「絵」にする(演技する)という手法は新しかったと推測できる。(昔は、カメラの前で役者が演技するだけだった。)
私が気に入ったのは、淡路恵子が男からもらったドレスを着て踊るシーン。踊るといっても、くるくるとまわるだけなのだが、そのとき広がるドレスの裾のはなやぎが、とても美しい。ここでは役者の演技とカメラの演技が一体になっていて、まるで「異次元」である。
黒沢は、「男っぽい」監督のように受け止められていると思うが、こういうシーンを見ると、とても「女っぽい」と感じる。女の喜びと絶望を、ドレスの裾、まわる足先だけで表現する(そういうところに女の喜びと絶望があらわれる)と、当時の男は気づかなかっただろうなあ。女の監督が撮ったのかと思ってしまう。(「ピアノ・レッスン」のジェーン・カンピオン監督なら、こういうシーンを撮るだろうなあ、と思う。)
妙な「女っぽさ」は、クライマックスにも存分に発揮される。
三船敏郎が犯人と対峙するシーンで流れるピアノの音(近くの女性が弾いている)、二人が格闘する花咲く荒れ野、疲れ切って倒れている二人の向こうを幼稚園児(?)が「ちょうちょ」を歌いながら通りすぎるシーン。
たぶん、こうした映像は、暴力を浮かび上がらせるための「対比」手法、非暴力を暴力と同時に描くことで、暴力をあざやかに印象づける方法なのだが、黒沢の場合、「非情さ」が欠ける。ロマンチックになってしまう。「感情」が前面に出てきて、「野蛮」が生きてこない。さっぱりした感じがしない。
「七人の侍」にも、山の中での「花摘み」のシーンがあって、それはそれで、そういうものを描きたい気持ちもわかるけれど、私の知っている自然は、もっと「非情」だなあ、という感じがあるので、うるさく思う。「女っぽく」て、いやだなあ、こういうシーンは嫌いだなあと思う。
志村喬が三船敏郎に、「もう一軒つきあえ」と言って自宅につれていき、御船が帰るとき「見ていけよ」といって寝乱れたこどもたちを見せるところなんかは、男のなかにある「日常」があふれていて好きなんだけれど。「女につながる日常」というよりも「いのちにつながるいのち(持続していくもの、破壊する暴力の対極にあるもの)」を、さらりと見せていい感じなんだけれどね。
(「午前10時の映画祭8」、中洲大洋スクリーン3、2017年10月11日)
*
「映画館に行こう」にご参加下さい。
映画館で見た映画(いま映画館で見ることのできる映画)に限定したレビューのサイトです。
https://www.facebook.com/groups/1512173462358822/
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古い映画の感想はむずかしい。いまの視点から感想を言うと、まあ、「時代」がふっとんでしまうからね。
御船が情報を求めてひたらす町を歩くシーン、満員の野球場のシーンは、この映画が公開された当時は、なまなましい「情報」だったのだと思う。「肉体」そのものに迫ってくる暗い息苦しさと、明るい喜び。そのせめぎあい。「ドキュメンタリー」だね。
いまは、目新しくない。特に、カメラの演技が横行するようになったいまから見ると「平凡」(だらだら)という感じがするが、これは仕方ないなあ。当時としては、カメラが積極的に対象を「絵」にする(演技する)という手法は新しかったと推測できる。(昔は、カメラの前で役者が演技するだけだった。)
私が気に入ったのは、淡路恵子が男からもらったドレスを着て踊るシーン。踊るといっても、くるくるとまわるだけなのだが、そのとき広がるドレスの裾のはなやぎが、とても美しい。ここでは役者の演技とカメラの演技が一体になっていて、まるで「異次元」である。
黒沢は、「男っぽい」監督のように受け止められていると思うが、こういうシーンを見ると、とても「女っぽい」と感じる。女の喜びと絶望を、ドレスの裾、まわる足先だけで表現する(そういうところに女の喜びと絶望があらわれる)と、当時の男は気づかなかっただろうなあ。女の監督が撮ったのかと思ってしまう。(「ピアノ・レッスン」のジェーン・カンピオン監督なら、こういうシーンを撮るだろうなあ、と思う。)
妙な「女っぽさ」は、クライマックスにも存分に発揮される。
三船敏郎が犯人と対峙するシーンで流れるピアノの音(近くの女性が弾いている)、二人が格闘する花咲く荒れ野、疲れ切って倒れている二人の向こうを幼稚園児(?)が「ちょうちょ」を歌いながら通りすぎるシーン。
たぶん、こうした映像は、暴力を浮かび上がらせるための「対比」手法、非暴力を暴力と同時に描くことで、暴力をあざやかに印象づける方法なのだが、黒沢の場合、「非情さ」が欠ける。ロマンチックになってしまう。「感情」が前面に出てきて、「野蛮」が生きてこない。さっぱりした感じがしない。
「七人の侍」にも、山の中での「花摘み」のシーンがあって、それはそれで、そういうものを描きたい気持ちもわかるけれど、私の知っている自然は、もっと「非情」だなあ、という感じがあるので、うるさく思う。「女っぽく」て、いやだなあ、こういうシーンは嫌いだなあと思う。
志村喬が三船敏郎に、「もう一軒つきあえ」と言って自宅につれていき、御船が帰るとき「見ていけよ」といって寝乱れたこどもたちを見せるところなんかは、男のなかにある「日常」があふれていて好きなんだけれど。「女につながる日常」というよりも「いのちにつながるいのち(持続していくもの、破壊する暴力の対極にあるもの)」を、さらりと見せていい感じなんだけれどね。
(「午前10時の映画祭8」、中洲大洋スクリーン3、2017年10月11日)
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