詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

田中清光『太平洋--未来へ』

2017-10-28 12:29:13 | 詩集
田中清光『太平洋--未来へ』(思潮社、2017年10月01日発行)

 田中清光『太平洋--未来へ』は、第二次世界大戦と、その後のことを書いている。戦争を体験した田中が過去から現在をみつめ、さらに未来を思い描いているという詩。とても淡々としている。
 何が書いてあるんだろう、何を言いたいんだろう、と思ってしまうくらい淡々としている。「戦争反対」というような、明確で、声高の「主張」がない。
 で、最後の部分。

太平洋
そこに沈んでいる数多の歴史や
生死の声を
深い海の声のなかから聴くことができるのは
われらの魂なのだ
新たな生命を育みつづけ 亡びてゆくものを見送る
太平洋は
耳を研ぎ澄まして聴けば いまも終わらぬ語りかけを送りつづけてくれる--

 この最終行の「耳を研ぎ澄まして聴けば」で、私は思わず傍線を引いた。「聴けば」に丸で囲んだ。
 そうか、私は「聴いていなかった」のだ。「聴く」というのは、「声」に身をゆだねることだろう。私は「聴く」というよりも「探していた」。たぶん「意味/主張」を。そのため「聴こえなかった」。なぜ、田中が戦争について語るのか、さらに北斎について語ることで何を言いたいのか。田中が何を言いたいのか、それを知りたいという私の「思い」を優先させて、田中のことばに向き合っていた。そのために「聴こえなかった」。「聞きたいことば」へ向けて意識を集中させていたので、聴こえなかった。
 耳をすますことが大事なのだ。ただ聴くのではなく「耳を研ぎ澄まして」聴く。その姿勢が、私に欠けていた。
 このことばに驚き、はっと、我に帰った。そのとき、ちょっと不思議なことが起きた。私の「肉体」のなかで。
 それまで、淡々としていて「感情」が弱い感じがする田中のこの詩が、静かに鳴り響くのを感じた。はっきり思い出せるところはない。立ち止まって考え込むような部分もない。だから、思わず読みとばしてしまったのだが、押しつけがましさのない静かな声の調子だったなあ、とふいにその「静かさ」が聴こえた。

 最初にもどってみる。

一人一人が 無であったあの時代の私たち
海のふかい穴を探りつづけているごとき少年のころのわたし
年ごとに黒い揚羽蝶が飛びまわった隅田川の岸辺で
未曾有の烈しい大空襲に打たれ
住まいから未来までをことごとく焼き尽くされ
二十世紀の末路までを 見せられてしまった

 戦争のさなか。「少年」からは「黒い揚羽蝶」と「大空襲」は同じように見えている。(と、書くと、違う、と言われそうだが。)このときの「同じ」はそれしかない「現実」という意味である。揚羽蝶を見ているときは揚羽蝶が世界。大空襲に直面すれば、それが世界。この関係を「整える」ことは「少年」にはできない。「整えない」まま、そこにあるものと「一体」になるというのが「少年」だろう。「一体」になって、それで、どうなるのか。わからない。「海のふかい穴を探りつづけているごとき」としか、言えないのだと思う。
 この「海のふかい穴を探りつづけているごとき」という比喩に強く引かれた。「海のふかい穴を探る」というこ「動詞」が私の体験とは重ならない。海は私にとって深い穴ではない。海をそんなふうに思ったことがなかった。でも、たしかに海は広いと同時に深い。海の底として私が知っているのは海水浴場の海の底くらいであって、沖の、何メートルあるかわからない「海底」など知らない。それは「底なし」に近い。この「底なし」の感じが「ふかい穴」という、不気味なことばと重なる。
 あ、田中にとって、海は「ふかい穴」なのだ、と気づき、その「ふかい穴」に吸い込まれていくような感じだ。そして、田中にとっては戦争は、その「底なし」と私が感じる海の、「ふかい穴」なのだ。
 なぜ、「ふかい穴」なのか。それは、田中が見た「大空襲」、そのときの遺体、そしてそれが隅田川を流れて太平洋に飲みこまれていくからだ。遺体をのみこみつづける太平洋。それは「ふかい穴」としかいいようがない。「底なし」の海だ。
 「ふかい穴」としての「太平洋」、「太平洋はふかい穴」という認識が田中の出発点だ。

空襲の屍骸であふれた隅田川の水も
平和な海とかつてマジェランが名づけた太平洋に
引き潮のたびにあふれ流れていったはず
一六五・〇〇〇・〇〇〇平方キロメートルに拡がる巨大な太平洋
海深四〇〇〇メートルから一一〇〇〇メートル余りといわれる
深い海底にまで膨大な死語を沈ませつづけ
海溝 海嶺 海山列 海洋島などがつらなる
海ふかく泳ぎ回る深海魚 海老も貝の類も 珊瑚礁 油田や鉱床のつづく
太平洋の波までがわれらを打ちのめした

海の水はそこで死者たちのどんなことばを聴いてきたのだろうか

 ここでは、田中が「聴く」のではなく、「海の水」が聴いている。こう書くとき、田中は「海の水(ふかい海の穴のなかの水)」になって、「死者たち」の「ことば」を聴いている。彼らはなんと言ったのか。田中は書かない。「耳を研ぎ澄まして聴けば」、聴こえる。耳を研ぎ澄まして聴くという姿勢がなければ、その声がどんな大声であっても聴こえはしないのだ。「聴こえる」ではなく「聴く」。「聴く」ときにのみ、そこにことばがあらわれてくる。

 このあと、田中の詩は北斎の絵に移っていく。戦争と北斎の絵は関係がない。しかし、田中はそれを結びつける。北斎が描いたのは「波」(海の表)であるが、その「波」の下に「ふかい穴」があることを田中は知っている。いまを生きる田中は知っている。それは穂くらいの知らない「事実(歴史)」だが、田中は北斎になって、その「事実」をことばにする。
 そのとき、そのことばは「抽象」を超え、絶対的な祈りになる。

晩年の肉筆画「波濤図」(一一八・〇×一一八・五)と信州小布施の
北斎館で対面してみて
純粋に波の運動のみをとらえ描いたそこには
現代の私たちの行き着いた抽象表現にさえ近づく
激しい絵画創造への疾走が見えてきた

私たちの太平洋はこのような創造者の手で
憐れな残骸を沈めてきた悲しい海だけでなく
生きつづける海の森羅万象を造形してみせてくれる

 いま、田中は、太平洋を通して、かれの思いの「森羅万象」を「造形」した。「森羅万象」だから「戦争」だけではなく、ツェランも入り込めば北斎も入っているのだ。それが田中の「世界」の整え方なのだ。

太平洋―未来へ
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思潮社


*


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数字は事実を伝えるか(安倍の情報操作?)

2017-10-28 09:11:07 | 自民党憲法改正草案を読む
数字は事実を伝えるか(安倍の情報操作?)
            自民党憲法改正草案を読む/番外137(情報の読み方)

 2017年10月28日読売新聞(西部版・14版)の1面(政治面)。

みずほFG1万9000人削減へ/10年で 前従業員の3分の1

 2面には、

スバル25万台リコールへ/無資格審査 30年以上

 経済面(7面)には

スバル不正意識なし/無資格検査/社長「悪意はまったくない」

 あっちもこっちも不景気。日本製品の「品質(安全)」に疑問が続々、という記事があふれている。しかも、社長は開きななおっている。日産自動車も無資格検査をしていた。神戸製鋼所はデータ不正が原因で、で日本工業規格(JIS)の認証が取り消された。
 こんな状況なのに、7面に

株2万2000円台回復 21年ぶり

 という2段見出し。衆院選中、衆院選直後の「大扱い(1面、4段)」に比べると小さな記事。
 株をやったことのない私には、この株高の「要因」がさっぱりわからない。
 どうみても日本の経済はおかしい。「ものづくり」がでたらめである。金融機関まで「人員削減」へ向かっている。どこに「好景気」の要因をみているのだろうか。
 読売新聞の記事は、こう書いている。

 堅調な企業業績と円安を好感し、買い注文が先行。IT大手グーグルの親会社アルファベットや、マイクロソフトの決算が好調だったことを受け、東京市場でもIT関連株が買われた。

 「堅調な企業業績」というのは3月期決算企業の中間決算(通期業績の上方修正)のことを指しているらしいが、その中間期決算が、日産やスバル、神戸製鋼所のような「不正」によるものだったとしたら? 簡単に信じていい? 東芝の粉飾決算は、つい最近のできごと。不正、粉飾決算というニュースがないなら、そのまま信じられるが、いまの状況では、日本企業をだれが信頼するというのだろう。
 「IT大手グーグルの親会社アルファベットや、マイクロソフトの決算が好調だったことを受け」というのでは、外国企業頼みの「株高操作」なのではないのか。安倍の「数字あわせ」(安倍にとって都合のいい数字だけを選びとり、アナウンスするという情報操作)ではないのか。
 IT関連と言っていいかどうかわからないが、富士通がパソコン部門をレノボに売却するというニュースがあり、私の周辺では「親指シフト」はどうなるのだ、が大問題として話題になっている。こういうことも日本企業が好調なら絶対に起きないことである。どの企業も「後手」にまわっている。こんなときに、日本企業の株を買うなんて、「資産運用」というよりも「博打で金儲け」という感覚ではないだろうか。
 安倍政権が、国民の資産(年金基金)をつぎ込み、株で「博打」をやっているだけなのではないのか。

 同じ7面に、

賃上げ 税制で後押し/麻生財務相 法人税減税など検討

 という見出し。
 労働者の賃金が上がらない。そのため消費が回復せず、景気も上向かない。「企業が賃上げしたら、その分法人税を引き下げるから、賃上げしてくれ」と麻生が企業に頼み込むらしい。
 ふーん。
 でも、そのとき「国の財源」は? 法人税が減れば、当然国の収入も減る。大丈夫? 一方、賃上げがあれば、当然それが所得税にも反映する。賃上げされた分のすべてが所得税にまわるわけではないだろうが、法人税の減収分を、個人の所得税で補完するということが起きるのではないのか。
 これじゃあ、労働者の生活は楽にはならないなあ。
 なんだか、企業への減税(法人税減税)のために、個人の所得税を増やしたい。そのために、「見かけ」の賃上げをするという感じ。
 私は貧乏人で、被害者意識が強いのかもしれないが、被害者意識を芽生えさせるということ自体、政策が間違っているということだろう。
 「数字の操作」で「実感」を操ろうとしているから、こんなことになるのだ。

 







#安倍を許さない #憲法改正 #天皇生前退位
 
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数字と現実は違う

2017-10-28 09:09:10 | 自民党憲法改正草案を読む
数字と現実は違う
            自民党憲法改正草案を読む/番外136(情報の読み方)

 ネットで奇妙な分析を読んだ。竹中正治の「個人消費がどうしても伸びないのは「アベノミクス円安」が原因だった」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/53310
 竹中正治は、こう数字を並べている。(この部分が竹中の論の中心ではないのだが。)

「正規雇用が減少して非正規雇用が増えたのは2013-14年であり、2015年以降は正規雇用の増加が145万人(内男性42万人増、女性103万人増)、非正規雇用が33万人増(2017年4-6月期、2015年1-3月期比較)で、正規雇用の増加が圧倒的になっている。しかも女性の正規雇用の増加が男性の2倍強である点にも注目しておこう。」

 これを私が知っている会社で説明する。
 その会社は、ある会社の子会社(関連会社)である。
 「派遣」を利用していたが法律が変わり、「正規雇用」に切り替えないといけないことになった。
 「派遣」のときは給料が安かった。当然(?)、若い女性が多かった。
 「正規雇用」にかわったが、給料はかわらない。
 女性の「正規雇用率」は当然、高くなる。
 竹中の書いていることは、統計の見かけである。
 女性は相変わらず低賃金で働かされている。
 親会社の仕事と同じ仕事をしている。
 新しい「搾取システム」になっているだけである。
 数字を並べる前に、実際に、「正規雇用」が拡大した企業を訪問し、そこで働いている人の声を聞かないといけない。
 今起きているのは、「見かけ」のとりつくろい。
 将来不安は消えない。
 だから、消費は拡大しない。

 円安が景気に逆効果というのは、「個人消費者」から見ればあたりまえのことである。個人は「輸出」などしないから、「円安効果で収入が増える」ということはない。個人は、もっぱら「輸入」する。食品の原料は「輸入」。材料が上がれば商品の値段も上がる。ものが高くなる。外国旅行も1ドルが100円のときと120円のときでは、金の使い勝手が違う。円安でもうかるのは「輸出企業」だけである。その「恩恵」がトリクルダウンで庶民に還元されないのだから、円安が「消費を刺戟する」ということはない。逆である。
 こういうことも、「個人」から社会をみていけば、すぐにわかることである。
 わざわざおおげさな統計を利用しなくてもいい。スーパーへ買い物に行く、旅行の計画を立てるだけでわかる。海外旅行は実際にいかなくても、計画を立てるだけで、あ、こんな円安では無理だあ、と感じてしまう。
 「数字」というのは「生活」のなかで見つめなおさないといけない。

#安倍を許さない #憲法改正 #天皇生前退位

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