田中清光『太平洋--未来へ』(思潮社、2017年10月01日発行)
田中清光『太平洋--未来へ』は、第二次世界大戦と、その後のことを書いている。戦争を体験した田中が過去から現在をみつめ、さらに未来を思い描いているという詩。とても淡々としている。
何が書いてあるんだろう、何を言いたいんだろう、と思ってしまうくらい淡々としている。「戦争反対」というような、明確で、声高の「主張」がない。
で、最後の部分。
この最終行の「耳を研ぎ澄まして聴けば」で、私は思わず傍線を引いた。「聴けば」に丸で囲んだ。
そうか、私は「聴いていなかった」のだ。「聴く」というのは、「声」に身をゆだねることだろう。私は「聴く」というよりも「探していた」。たぶん「意味/主張」を。そのため「聴こえなかった」。なぜ、田中が戦争について語るのか、さらに北斎について語ることで何を言いたいのか。田中が何を言いたいのか、それを知りたいという私の「思い」を優先させて、田中のことばに向き合っていた。そのために「聴こえなかった」。「聞きたいことば」へ向けて意識を集中させていたので、聴こえなかった。
耳をすますことが大事なのだ。ただ聴くのではなく「耳を研ぎ澄まして」聴く。その姿勢が、私に欠けていた。
このことばに驚き、はっと、我に帰った。そのとき、ちょっと不思議なことが起きた。私の「肉体」のなかで。
それまで、淡々としていて「感情」が弱い感じがする田中のこの詩が、静かに鳴り響くのを感じた。はっきり思い出せるところはない。立ち止まって考え込むような部分もない。だから、思わず読みとばしてしまったのだが、押しつけがましさのない静かな声の調子だったなあ、とふいにその「静かさ」が聴こえた。
最初にもどってみる。
戦争のさなか。「少年」からは「黒い揚羽蝶」と「大空襲」は同じように見えている。(と、書くと、違う、と言われそうだが。)このときの「同じ」はそれしかない「現実」という意味である。揚羽蝶を見ているときは揚羽蝶が世界。大空襲に直面すれば、それが世界。この関係を「整える」ことは「少年」にはできない。「整えない」まま、そこにあるものと「一体」になるというのが「少年」だろう。「一体」になって、それで、どうなるのか。わからない。「海のふかい穴を探りつづけているごとき」としか、言えないのだと思う。
この「海のふかい穴を探りつづけているごとき」という比喩に強く引かれた。「海のふかい穴を探る」というこ「動詞」が私の体験とは重ならない。海は私にとって深い穴ではない。海をそんなふうに思ったことがなかった。でも、たしかに海は広いと同時に深い。海の底として私が知っているのは海水浴場の海の底くらいであって、沖の、何メートルあるかわからない「海底」など知らない。それは「底なし」に近い。この「底なし」の感じが「ふかい穴」という、不気味なことばと重なる。
あ、田中にとって、海は「ふかい穴」なのだ、と気づき、その「ふかい穴」に吸い込まれていくような感じだ。そして、田中にとっては戦争は、その「底なし」と私が感じる海の、「ふかい穴」なのだ。
なぜ、「ふかい穴」なのか。それは、田中が見た「大空襲」、そのときの遺体、そしてそれが隅田川を流れて太平洋に飲みこまれていくからだ。遺体をのみこみつづける太平洋。それは「ふかい穴」としかいいようがない。「底なし」の海だ。
「ふかい穴」としての「太平洋」、「太平洋はふかい穴」という認識が田中の出発点だ。
ここでは、田中が「聴く」のではなく、「海の水」が聴いている。こう書くとき、田中は「海の水(ふかい海の穴のなかの水)」になって、「死者たち」の「ことば」を聴いている。彼らはなんと言ったのか。田中は書かない。「耳を研ぎ澄まして聴けば」、聴こえる。耳を研ぎ澄まして聴くという姿勢がなければ、その声がどんな大声であっても聴こえはしないのだ。「聴こえる」ではなく「聴く」。「聴く」ときにのみ、そこにことばがあらわれてくる。
このあと、田中の詩は北斎の絵に移っていく。戦争と北斎の絵は関係がない。しかし、田中はそれを結びつける。北斎が描いたのは「波」(海の表)であるが、その「波」の下に「ふかい穴」があることを田中は知っている。いまを生きる田中は知っている。それは穂くらいの知らない「事実(歴史)」だが、田中は北斎になって、その「事実」をことばにする。
そのとき、そのことばは「抽象」を超え、絶対的な祈りになる。
いま、田中は、太平洋を通して、かれの思いの「森羅万象」を「造形」した。「森羅万象」だから「戦争」だけではなく、ツェランも入り込めば北斎も入っているのだ。それが田中の「世界」の整え方なのだ。
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詩集『誤読』を発売しています。
1500円(送料250円)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
オンデマンド形式なので、注文からお手もとに届くまでに約1週間かかります。
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田中清光『太平洋--未来へ』は、第二次世界大戦と、その後のことを書いている。戦争を体験した田中が過去から現在をみつめ、さらに未来を思い描いているという詩。とても淡々としている。
何が書いてあるんだろう、何を言いたいんだろう、と思ってしまうくらい淡々としている。「戦争反対」というような、明確で、声高の「主張」がない。
で、最後の部分。
太平洋
そこに沈んでいる数多の歴史や
生死の声を
深い海の声のなかから聴くことができるのは
われらの魂なのだ
新たな生命を育みつづけ 亡びてゆくものを見送る
太平洋は
耳を研ぎ澄まして聴けば いまも終わらぬ語りかけを送りつづけてくれる--
この最終行の「耳を研ぎ澄まして聴けば」で、私は思わず傍線を引いた。「聴けば」に丸で囲んだ。
そうか、私は「聴いていなかった」のだ。「聴く」というのは、「声」に身をゆだねることだろう。私は「聴く」というよりも「探していた」。たぶん「意味/主張」を。そのため「聴こえなかった」。なぜ、田中が戦争について語るのか、さらに北斎について語ることで何を言いたいのか。田中が何を言いたいのか、それを知りたいという私の「思い」を優先させて、田中のことばに向き合っていた。そのために「聴こえなかった」。「聞きたいことば」へ向けて意識を集中させていたので、聴こえなかった。
耳をすますことが大事なのだ。ただ聴くのではなく「耳を研ぎ澄まして」聴く。その姿勢が、私に欠けていた。
このことばに驚き、はっと、我に帰った。そのとき、ちょっと不思議なことが起きた。私の「肉体」のなかで。
それまで、淡々としていて「感情」が弱い感じがする田中のこの詩が、静かに鳴り響くのを感じた。はっきり思い出せるところはない。立ち止まって考え込むような部分もない。だから、思わず読みとばしてしまったのだが、押しつけがましさのない静かな声の調子だったなあ、とふいにその「静かさ」が聴こえた。
最初にもどってみる。
一人一人が 無であったあの時代の私たち
海のふかい穴を探りつづけているごとき少年のころのわたし
年ごとに黒い揚羽蝶が飛びまわった隅田川の岸辺で
未曾有の烈しい大空襲に打たれ
住まいから未来までをことごとく焼き尽くされ
二十世紀の末路までを 見せられてしまった
戦争のさなか。「少年」からは「黒い揚羽蝶」と「大空襲」は同じように見えている。(と、書くと、違う、と言われそうだが。)このときの「同じ」はそれしかない「現実」という意味である。揚羽蝶を見ているときは揚羽蝶が世界。大空襲に直面すれば、それが世界。この関係を「整える」ことは「少年」にはできない。「整えない」まま、そこにあるものと「一体」になるというのが「少年」だろう。「一体」になって、それで、どうなるのか。わからない。「海のふかい穴を探りつづけているごとき」としか、言えないのだと思う。
この「海のふかい穴を探りつづけているごとき」という比喩に強く引かれた。「海のふかい穴を探る」というこ「動詞」が私の体験とは重ならない。海は私にとって深い穴ではない。海をそんなふうに思ったことがなかった。でも、たしかに海は広いと同時に深い。海の底として私が知っているのは海水浴場の海の底くらいであって、沖の、何メートルあるかわからない「海底」など知らない。それは「底なし」に近い。この「底なし」の感じが「ふかい穴」という、不気味なことばと重なる。
あ、田中にとって、海は「ふかい穴」なのだ、と気づき、その「ふかい穴」に吸い込まれていくような感じだ。そして、田中にとっては戦争は、その「底なし」と私が感じる海の、「ふかい穴」なのだ。
なぜ、「ふかい穴」なのか。それは、田中が見た「大空襲」、そのときの遺体、そしてそれが隅田川を流れて太平洋に飲みこまれていくからだ。遺体をのみこみつづける太平洋。それは「ふかい穴」としかいいようがない。「底なし」の海だ。
「ふかい穴」としての「太平洋」、「太平洋はふかい穴」という認識が田中の出発点だ。
空襲の屍骸であふれた隅田川の水も
平和な海とかつてマジェランが名づけた太平洋に
引き潮のたびにあふれ流れていったはず
一六五・〇〇〇・〇〇〇平方キロメートルに拡がる巨大な太平洋
海深四〇〇〇メートルから一一〇〇〇メートル余りといわれる
深い海底にまで膨大な死語を沈ませつづけ
海溝 海嶺 海山列 海洋島などがつらなる
海ふかく泳ぎ回る深海魚 海老も貝の類も 珊瑚礁 油田や鉱床のつづく
太平洋の波までがわれらを打ちのめした
海の水はそこで死者たちのどんなことばを聴いてきたのだろうか
ここでは、田中が「聴く」のではなく、「海の水」が聴いている。こう書くとき、田中は「海の水(ふかい海の穴のなかの水)」になって、「死者たち」の「ことば」を聴いている。彼らはなんと言ったのか。田中は書かない。「耳を研ぎ澄まして聴けば」、聴こえる。耳を研ぎ澄まして聴くという姿勢がなければ、その声がどんな大声であっても聴こえはしないのだ。「聴こえる」ではなく「聴く」。「聴く」ときにのみ、そこにことばがあらわれてくる。
このあと、田中の詩は北斎の絵に移っていく。戦争と北斎の絵は関係がない。しかし、田中はそれを結びつける。北斎が描いたのは「波」(海の表)であるが、その「波」の下に「ふかい穴」があることを田中は知っている。いまを生きる田中は知っている。それは穂くらいの知らない「事実(歴史)」だが、田中は北斎になって、その「事実」をことばにする。
そのとき、そのことばは「抽象」を超え、絶対的な祈りになる。
晩年の肉筆画「波濤図」(一一八・〇×一一八・五)と信州小布施の
北斎館で対面してみて
純粋に波の運動のみをとらえ描いたそこには
現代の私たちの行き着いた抽象表現にさえ近づく
激しい絵画創造への疾走が見えてきた
私たちの太平洋はこのような創造者の手で
憐れな残骸を沈めてきた悲しい海だけでなく
生きつづける海の森羅万象を造形してみせてくれる
いま、田中は、太平洋を通して、かれの思いの「森羅万象」を「造形」した。「森羅万象」だから「戦争」だけではなく、ツェランも入り込めば北斎も入っているのだ。それが田中の「世界」の整え方なのだ。
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詩集『誤読』を発売しています。
1500円(送料250円)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
オンデマンド形式なので、注文からお手もとに届くまでに約1週間かかります。
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