詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

安倍の責任を追及しよう(シェア、拡散希望)

2017-10-21 23:31:49 | 自民党憲法改正草案を読む
 フェイスブックで添田馨さんが、2017年10月21日の安倍の街頭演説の様子を書いている。写真もアップされている。(借用してアップしました。)



「日の丸が侮辱された夜」(添田馨)
2017年10月21日
この日は私たちの「日の丸」が侮辱された夜になった。
対米従属権力私物化国難売国政権、安倍晋三総理とその政権の選挙応援のために、私たちの「日の丸」が大挙して振られている。
「北朝鮮殲滅」の横断幕と共に私たちの「日の丸」がたくさん振られている姿に涙がでた。
こんなことのために私たちの「日の丸」を使うな 
安倍晋三の登場にあわせて音楽が流れ、歩道橋の上からは「安倍やめろ」の激しいコール。
警官やSPが大挙動員されたものものしい雰囲気の中、怒号と拍手が入り乱れる異様な空間と化していた。


*****************************************************

 安倍は東京都議選の応援演説で「安倍やめろ」と叫ぶ市民に向かって「こんな人たちに負けるわけにはいかない」といった。
 今回、「北朝鮮殲滅」の横断幕を掲げている市民になんと言ったのか。
 それを問いたい。
 「そういう横断幕はやめろ」と言ったのか。
 また、その横断幕のまわりにいたひとは、横断幕を掲げるひとに対してどういう態度をとったのか。

 「北朝鮮はミサイル実験をやめろ、核開発をやめろ」と抗議するのとは、次元が違う。「北朝鮮殲滅」という主張は、ナチスのユダヤ人虐殺とおなじではないか。こまた、れは北朝鮮に対する「宣戦布告」ではないか。
 安倍がそう主張しているのではないが、そういう主張を呼び寄せてしまうものが安倍にあるということだ。
 そして、そういう主張に対して、それが間違っていると安倍が指摘しないなら、その主張を容認したことになる。

 この横断幕をニュースはどう伝えているのかしらない。
 しかし、これは国際問題であり、安倍の責任が問われる問題だ。

 自民党支持者、安倍を支持している公明党の支持者(創価学会員)にも問いたい。
 あなた方は「北朝鮮殲滅」というスローガンを支持するのか。
 この横断幕に抗議しないなら、私は、あなた方がやはり「北朝鮮殲滅」という思いを隠しながら安倍を支持していると判断する。
 「日本の安全を守れ」ではなく「北朝鮮を殲滅する」ために、自衛隊を憲法に書き加え、戦争法を成立させたのだと判断する。

 もし、「北朝鮮殲滅」という思いをもっていないのだとしたら、投票では、その意思をしっかりと示すべきだ。安倍自民党に投票することは、「北朝鮮殲滅」のために自衛隊が行動を起こすこと(そのために憲法を改正すること)、その自衛隊の指揮を安倍がとることを推進することになる。ナチスとおなじ犯罪者にならないために、「北朝鮮殲滅」に反対であるとはっきり態度で示す必要がある。
 まだ投票に間に合う。
 投票で明確に態度を示すべきである。

 これを読まれたあなたの知り合いに自民党の支持者、公明党の支持者がいるなら、ぜひ、私が書いたことを問いかけてほしい。
 私の書いたこの文章を転送してほしい。

 ある国家を、その国民を「殲滅する」という思想に与することは、私は許すことができない。こういう思想に対して、何も言わない安倍を許すことはできない。
 このままでは、私たちは、ヒトラーの犯罪を繰り返すことになる。

 選挙後、国会でこの問題がどう取り上げられるか、報道機関がどうこの問題に向き合うか、そのことも注目したい。特に、上田NHKはこれを取り上げるか、それに注目したい。

#安倍が国難 #安倍を許さない #憲法改正 #天皇生前退位
 







詩人が読み解く自民党憲法案の大事なポイント 日本国憲法/自民党憲法改正案 全文掲載
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覚和歌子、谷川俊太郎『対詩 2馬力』(3)

2017-10-21 15:53:53 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
覚和歌子、谷川俊太郎『対詩 2馬力』(3)(ナナロク社、2017年10月15日発行)

 覚和歌子、谷川俊太郎『対詩 2馬力』には詩作品だけではなく、対談が組み込まれている。裏話、のようなものである。私はその人がどんな気持ちでその作品を書いたかとか、その作品のことばの背景にどんなことがあったか、ということは気にしない。自分のことばとどう違うか、ということだけを手がかりに作品を読む。だから、たいていは「解説」のようなものは読まないのだが、なんとなく読んでしまった。
 そこで、こんな部分に出会う。「対詩リハーサル」

谷川

 8 栞は薄いのがいいのだが
   材質は紙だと平凡
   木 鉄 貝 雲母 それとも指なんかどうかな

覚 指の栞ですか?
谷川 そう。
覚 うーん、すごいシュールですね。

 私は、覚の「シュール」ということばにびっくりしてしまった。「指栞」って、言わない? 栞がないから、とりあえず「指」を挟んで本を持ち歩く。
 谷川はこのあと「指は栞になっていないんですよね。読みかけのページに挟むことはできるけれども」とフォロー(?)しているけれど。
 私は、この「指栞」からことばが独立して「指なんかどうかな」ということばが出てきていると思ったので、ここはシュールではなく、「現実」そのものと思った。「現実」の指を、そのまま栞にできればいいなあ。これって、どうしてシュール? 体験そのものに基づいているでしょ?
 「貝 雲母」という部分には、私は「現実」ではなく、「きざ」を感じる。「作為」と言ってもいい。それって、いわゆる「詩」そのもの、「詩とは華麗な想像力」という「幻想」にあわせただけの「ことば」に見えてしまう。
 で。
 なんというか、こういう部分で、私は自分とは違う「ことば」に出会った感覚になる。覚は「指栞」をしないひとなんだ。「栞」と聞いて、その後で「指」ということばを聞いて、そこで自分の「肉体」を思い出さないひとなんだ、と驚き、立ち止まる。その瞬間が、あ、こういう瞬間も詩なのかなあ、と思う。
 「ことば」と「肉体」の掴み方が違うのだと、あらためて思う。
 「栞」というのは「名詞」だが、私は「栞を挟む」という具合に「動詞」といっしょにして覚えている。「貝を挟む」「雲母を挟む」。これを「きざ」と感じてしまうのは、私のまわりには「貝」とか「雲母」というものがなかったからだ。そういうものを「挟む」ということを私の「肉体」は覚えていない。想像はできるが、それを挟むときの自分の肉体の動きを実感できない。「他人」に見えてしまう。手の届かない他人。だから「きざ」と呼ぶことで、自分とは切り離すのだと思う。
 それに、「紙」のあとにすぐ出てくる「木」、これは「枝折り」にすぐに結びつく。山歩きをする。そのとき、帰り道をまちがえないために、ところどころ枝を折って印をつける。これは山の中が遊び場だった私には、肉体になじんだことがらである。実際には「枝折り」が必要なところまで踏み込まないし、山といっても家の近くなので迷子になるということはないのだが、「こうやって印をつけておくと迷わない」というようなことを上級生から教えられて、それを覚えている。実際に小枝を折ってみたことも覚えている。
 そしてこのときの「肉体」の「癖」のようなものは、栞がないとき、本のページの耳を折る、という「癖」につながっている。「ドッグイヤー」というらしいが。折って、それを目印にする。
 「栞」は「挟む」と同時に「目印にする」(目印をつくる)という動詞につながっている。
 私は「ことば」を「もの」をあらわしているものではなく、むしろ「こと」をあらわしているもの、そこには必ず「動詞/肉体」がいっしょにうごいているものとしてとらえたいという欲望のようなものがある。

 ここから、詩へもどってみる。「栞」を挟んで、前後を引用すると、こうなる。

明け暮れは
工夫することのつらなり
日々という頁の間に挟んだ栞は
絶え間ない日射しに褪せて
いつか忘れられて

栞は薄いのがいいのだが
材質は紙だと平凡
木 鉄 貝 雲母 それとも指なんかどうかな

顔よりも指だな
あと 声かな
書き文字もしみじみしているといい
妄想で完結する恋がいい
35をすぎたら

 抽象的な「栞(意味の象徴)」が具体的な「紙」や「木」を経て、「指」で「シュール」に飛躍して、「妄想の恋」にかわる。指に恋する。声に恋する。書いた文字に恋する。指、声、手書き文字から、そのひとの「人格」を想像し、恋をするということか。
 うーん、
 何か「意味」がつならなりすぎて、味気ない。
 なぜ「意味」がこんなに強くつながってしまったのか。
 それを考えるとき、その瞬間、覚の「シュール」がよみがえってくる。そうか、「現実」ではなく「シュール」なのものを感じてしまったから、それを現実(肉体)に引き戻そうとする「反作用」のようなものが、覚のことばに働いているだな。
 この対談の中で、谷川は、こんなことも言っている。

僕と覚さんには、日本語の調べとかメロディとかリズムの感覚において、どこか共通点があるんじゃない?

 覚はこれに対して「そうかもしれません」とこたえている。
 私の感じでは、覚が谷川に対して感じる以上に、谷川が覚のことばに対して「共通点」を感じているのだと思う。(*) 
 それは、この「栞」を含んだ詩で、「栞」がそのままおなじことばでひきつがれているところにも感じる。「対詩」の「対」になることを忘れるくらい、谷川は直前の覚の詩に同化してしまったのだ。
 何に反応したのか。
 引用が前後するが、対談で、谷川はこう語っている。

忘れっぽい私としては、「いつか忘れられて」という最後の一行がすごくリアルでしたね(笑)。

 「忘れる」(忘れられて)に反応して「栞」の意識が少し変化している。「栞」は忘れないためのもの(目印)なのだけれど、忘れてしまう。
 で。
 こういうことを書くと「深読み」と言われるだろうけれど。
 「指栞」の「指」は「忘れられて」、本に挟まれたままなのだ。本の中には「指」が残っている。「肉体」が残っている。
 「肉体」はひとつだから、「指」だけが切り離されて本に挟まっているというのは、「肉体」そのものからみれば、それこそ「シュール」な現実ということになるが、「意識の肉体」としては、どうか。「栞」として挟んだ指は、そこに「忘れられて」置き去りにされているが、「指」につながる「肉体」が近づくと、「私はここにいる」と声を上げないか。「忘れられた指」がよみがえってくるということはないか。
 「指」が覚えていて、その「指」が「私」そのものになって、いま、ここによみがえってくる。置き去りにされ、忘れられていた「指」が「肉体」にくっついてきて「私」を支配してしまうということはないか。
 詩は、実際、そんなふうに展開していく。
 谷川のことばは、覚が「妄想の恋」というところへ行ってしまった後、谷川自身の「指栞」へ引き返していく。それくらい「忘れる」と「栞」、「覚えている」と「栞」が「肉体」として谷川の中で結びついているということである。
 どう展開するか。

「ダフニスとクロエー」で学んだあのこと
実際には役に立たなかったから
思い出として永久保存する

 谷川は「ダフニスとクロエー」を「指栞」をつかって読んだのだ。文字を指でたどって読んだかもしれない。「肉体」を総動員して読んだ。でも、役に立たなかった。そういうことは「忘れていた」。けれど思い出した。思い出して「永久保存する」。
 ここに谷川の少年がいきいきと動いている。
 このことを谷川は「実体験」と告白している。「実体験」というのは、「指」がよみがえってきて、過去を語り始めたということだね。「主役」が「いまの谷川」ではなく置き忘れてきた「指」に乗っ取られている。
 そのあと、「実体験」のことを具体的に語っているけれど、まあ、そこは本を買って読んでください。
 あ、だんだん脱線していくけれど。
 こんなふうに谷川の「肉体」を引き出してしまうのは、覚のことば(音楽)のなかに、谷川と共通するもの、同時にその共通性があると感じさせる微妙な違い(刺戟)があるからだろうなあ、と思う。

 対談を読まなければ違った感想になったかもしれないが、対談を読んだら、こんな感想になった。 対談を読む前は、つまらないなあ、と思っていたところが、とても生々しい動きに変わったのでびっくりしてしまった。

 

(* 共通点を強く感じさせる詩を覚からひとつ引用すると、126ページの20の詩。

かみさまがおられるとしたら
いろやかたちのなかにではなくて
おとのふるえやひびきのあいだに
たとえばあかんぼうのきこえぬあくびに

を挙げることができる。「意味」の動かし方も似ているが、最後の「あかんぼうのきこえぬあくびに」が、私の「音」の感覚では谷川と区別がつかない。署名がなければ、谷川だと思ってしまう。)
                             (つづく、予定。)
対詩 2馬力
クリエーター情報なし
ナナロク社


*


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安倍の情報操作(なぜ、いま株が上がるのか)

2017-10-21 08:42:51 | 自民党憲法改正草案を読む
安倍の情報操作(なぜ、いま株が上がるのか)
            自民党憲法改正草案を読む/番外129(情報の読み方)

 2017年10月21日の読売新聞朝刊(西部版・14版)の2面。

株14日上昇 最長に並ぶ 56年ぶり

 株のことはまったく知らないが、この記事を読みながら疑問に思う。なぜ高騰しているか。読売新聞は、こう分析している。

 衆院選で与党が優勢との見方が多く、大規模な金融緩和など安倍首相の経済政策「アベノミクス」が継続するとの期待が株高につながっている。好調な企業業績や、欧米での株高傾向も買い材料となっているが、連続上昇が始まった今月2日以降、日経平均は計約1100円値上がりしており、過熱感を警戒する声もある。

 「アベノミクス継続の期待感」だけで、株は高騰するのか。どうも、「嘘くさい」。いま日本で起きていることをみれば、「好調な企業業績」というのも疑問だ。
 おなじ21日の朝刊1面には、

神鋼 管理職が不正隠蔽/厚板加工品もデータ捏造

 という見出しの記事があり、20日夕刊(西部版4版)の1面には、

神鋼 社内調査後も不正/データ改ざん アルミ・銅事業で

日産工場停止 影響拡大/部品工場など減産必至

 という見出しが並んでいる。神戸製鋼所、日産自動車が「データ改竄」や「無資格車両検査」のためにてんやわんやしている。その影響は子会社までに及んでいる。(そのほかにも、東芝だとかシャープだとか、大企業の経営が「順調ではない」という情報が紙面を賑わし続けたのは、まだ記憶にある。)
 日本製品から「安心/安全」が消えつつある。どうしてこんな状況で日本の製造業の株が上がるのか。株を分析しているわけではないのでわからないが、他の分野で業績があがっているのだろうか。
 私が外国人であり、投資家だったら、そういう「不安材料」が出てくるようなところの株は買わないなあ。
 誰かが「株価操作」をしているのではないのか。政府が「資金運用」で株を買って、「高値」を維持しているのではないのか。これは衆院選で、安倍自民党が勝利を得るための「演出」なのではないのか。そういう疑問をもってしまう。
 「年金の原資」を株に投入し、巨額の損失を出した、というニュースは、国会でも取り上げられたことがある。同じことをしているのではないのか。
 21日の経済面(7面)には、

株高 「選挙後」を期待/14日連続上昇 「リスクある」慎重論も

 という見出しで、こう書いている。

 衆院選の投開票日翌日の23日には、15日連続上昇の記録更新がかかる。衆院選後は取引材料の出尽くし感などから株価はいったん下落傾向となるケースが多いとされる。今後の展開は予断を許さない。

 まるで、衆院選で安倍が勝利すれば、その後は株の上昇を「演出」する必要がなくなり、株を買わなくなる。そのため株価は下がる、ということを暗に語っているように思える。いや、政府が資金投入をやめるから確実に下がるのだが、それを「取引材料の出尽くし感」と言いなおすことでごまかしているだと思う。政府の株式市場への介入が高騰の原因ではないと言いたいがための、うそである。

 ここから最初のニュースにもどるのだが。

 「アベノミクス継続の期待感」というけれど、日本の企業も、もうアベノミクスなど信じていないのではないのか。
 アベノミクスで大企業がもうかるだけではなく、「トリクルダウン」でその恩恵は国民に及ぶというが、そんなことは実際におきていない。大企業は利益を内部にためこんでいるだけである。
 なぜ、内部にためこんでいるのか。
 私はここから考える。もちろん素人考えである。
 20日の夕刊記事をもう一度読み返す。

日産工場停止 影響拡大/部品工場など減産必至

 いったん「不正」がばれる、問題が生じるとどうなるか。その影響は、子会社までまきこみ、拡大する。一気に業績は悪化する。
 大企業は、これを恐れている。
 つまり、いまの「好況」はうそだと知っている。「好況」が破綻したときの備えとして、内部に資金をためこんでいる。自分の会社の業績(製品の品質)に自信があれば、「利益」をためこまない。さらに新しい「もの」をつくりだし、より稼ぐために投資する。その投資には「優秀な人材確保」もある。優秀な人材を確保するために、社員の給料も上げる、ということがおきる。それこそ「トリクルダウン」が起きるはずである。
 「トリクルダウン」が起きないのは、大企業の資本家が「強欲」であるだけではなく、経営に自信がないからだ。「アベノミクス」が生み出した「好況」が実質を伴わない虚構であると資本家が知っているからだ。
 神鋼はデータ改ざんが明らかになった後(さらに社内調査をした後)も不正をしていた。日産も無資格検査が発覚した後も、無資格検査をつづけていた。「不正」を即座にとめることができないシステムになっている。「いまのうちに稼いでおこう」という「体質」が身にしみついている。それがどんな結果をもたらすか、ということを考えない。今、この瞬間さえ、利益が上がればいいという「風潮」になってきているということだろう。

 このあと起きるのは、企業そのものの「崩壊」である。内部にためこんだ資金を食いつぶして企業が破綻する。(すでに、こういう例は、起きている。東芝もシャープも、私のような素人からみれば、「企業崩壊」であり、「倒産」である。)電気自動車で出遅れているトヨタも10年後は会社があるかどうかわからないだろう。
 金に敏感な資本家なら、金がどんなに早くなくなるかということがわかる。庶民が将来に不安を感じ、金を使わず消費が拡大しない(景気が上向かない)ということが、大企業の中で起きている。いま金を使えば(社員の賃金アップにつかってしまえば)、将来「不正」がばれたとき、たとえ「不正」がなかったとして売り上げが伸び悩み、さらに売り上げが途絶え収入がなくなったときに困ってしまう。だから少しでも資金をためこんでおく。「将来の安心/安全」のために「貯金」しておく。そういうことが日本の大企業の内部で起きているのではないか。
 「アベノミクス」のうそに大企業が一番先に気づいている。うそだと言えば、きっと仕安倍から返しがくる。だから、黙っている、という状況なのではないのか。さらには「沈黙させられている」というのが日本の経済の現状ではないのか。

 安倍の独裁は、すべて「相手を沈黙させる」という手段をとおしておこなわれている。21日の1面には、

天皇退位 19年3月末有力/即位・改元4月1日

 という見出しも見える。
 天皇を「生前退位」させることで、天皇を沈黙させる。すでに「天皇には国政に対する権能はない」とメッセージで言わせている。天皇は、政治に対しては沈黙させている。憲法改正についての思いを語ることを封じられている。あれは、安倍が「戦争憲法」をつくるための第一段階なのだ。
 籾井をつかいNHKを沈黙させ、他のテレビ局も「許認可権」をちらつかせ沈黙させた。新聞に対しては「広告を出させないようにすればいい」という形で沈黙させた。
 
 独裁は、日本にもう一度原爆が落ちるまでつづく。日本人がもう一度原爆のもとで死ぬときが、やっと安倍の独裁が終わるときになるかもしれない。
 そのとき、日本はもう一度「平和憲法」をつくるのだろうか。

#安倍が国難 #安倍を許さない #憲法改正 #天皇生前退位
 
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