詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

池井昌樹「世界」ほか

2017-10-30 09:02:47 | 詩(雑誌・同人誌)
池井昌樹「世界」ほか(「森羅」7、2017年11月09日発行)

 池井昌樹の詩の感想をかくのはむずかしい。たとえば「世界」の書き出し。

わたしはせかいのなかにいて
きれいなせかいのなかにいて
かがやいたりまたかげったり
かげったりまたかがやいたり
くるくるくるくるまわりつづけて
こうしていきているのだけれど
ただそれだけではないかしら

 私は世界のなかにいる。世界はきれいだから、きれいな世界にいると言いなおすことができる。ひとは輝くこともあれば、かげるときもある。喜びのときもあれば、悲しみに沈むときもある。逆の言い方もできる。楽あれば苦あり、苦あれば楽あり。それは交互に入れ替わる。くるくるまわっている感じ。そうやっていきている。それだけではないか。
 だれもが一度や二度、そう思うことがある。
 たぶん、ここからが、詩とは何かという問題になってくる。
 だれでも思う。でも、それを明確に口に出し、ことばにすることはない。ぽつりぽつりと、思っているでも思っていないでもなく、なんとなく、ことばにする。けれど池井は違う。ぼんやりと思っているのではなく、「言い切る」。
 ことばを選び、そのことばを「よし」と判断し、言い切る。揺らぎ、揺るぎがない。

かがやいたりまたかげったり
かげったりまたかがやいたり

 こんなふうにことばを入れ替えるということは揺らいでいるからである。揺るぎがないのなら、どちらかひとつでいい、という見方があると思う。
 でも、池井は、その「輝く」「陰る」を単に前後を入れ替えているのではなく、入れ替えることで「まわる」という動詞のなかで「ひとつ」にする。「ひとつ」のこととして言い切る。

ただそれだけではないかしら

 という疑問のことばも、疑問を書いているのではない。断定せずに、「かしら」という疑問として言い切るのである。「かしら」は「問う」という動詞として読み直すべきなのだ。
 「問う」は「指し示す」でもある。「ひとつ」の「世界」を、そうやって指し示す。これが世界であると「言い切る」。
 この詩は、さらに言いなおされる。

まちゆくひとらはほほえみながら
またかなしみをひめながら
おおぜいゆききするのだけれど
みんなせかいのなかにいて
それぞれせかいのなかにいて
くるくるくるくるまわりつづけて
ただそれだけではないかしら

 言い直しが必要ということは、それが「揺らいでいる」証拠であると言い方もできる。だが、これは「揺らいでいる」から言いなおすのではない。それが確かだからこそ、「言い切る」ということを繰り返すのだ。
 繰り返すことで、確かにする。

 新しい視点がない、ひとを引きつけるような技巧的な言い回しもない。こういうことばなら、だれでも書ける。誰もが思っていることを「ひらがな」にして書いているだけじゃないか。
 そういう批判があるかもしれない。
 たしかに誰もが思うことだろう。だが、それをことばとして「言い切る」ということは、誰もがすることではない。また誰もができるということではない。
 「山茶花」という作品の方が、その「言い切る」が、明確に形なっている。

さざんかのさくいえみれば
いまでもちちのいるような
ははのわらっているような

さざんかのさくいえみれば
かえれるところのありそうな
いますぐかえってゆけそうな

 「……ような/そうな」では、何も言い切っていないように見える。「気がする/思う」という動詞を補って「文章」にしてこそ「言い切る」と言えるのではないか、という声が聞こえてくる。
 しかし、そうではない。「気がする/思う」は、必要がない。「気がする/思う」というのは、「肉体」にしみついている。だれでも、どんなときでも「気がする/思う」ものである。それは人間としてあたりまえのことである。あたりまえすぎて、それをことばにしなくても、自分で「納得」できる。そういう納得できることは、ことばにしなくてもすむ。
 これを逆に言うと。
 ことばにしなくては気が済まないことをことばとして「言い切る」。「言い切る」とそのことばの背後から自ずと「気がする/思う」という動詞はついて動く。
 この詩は、こうつづく。

さざんかのさくしらないいえを
ゆきすぎひとりきたけれど
いつものようにきたけれど

いまでもさいているような
ちちははのいるあのいえに
あのさざんかが
しんくのぼくが

 そして、この「想像(思う/気がする)」は、ことばにして「言い切る」と、想像(空想)ではなく「現実」になる。「ぼく」は山茶花として、あの家に咲く。そうすると、そこには父と母が必ず「いる」。
 池井は、そう「言い切る」。
 「言い切る」ときに、詩が生まれる。
晴夜
クリエーター情報なし
思潮社

*


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アベノミクスの崩壊(銀行も信じていない経済政策)

2017-10-30 07:55:26 | 自民党憲法改正草案を読む
アベノミクスの崩壊(銀行も信じていない経済政策)
            自民党憲法改正草案を読む/番外137(情報の読み方)

 2017年10月30日の読売新聞(西部版・14版)の1面の見出し。

三菱UFJ銀 90店統廃合/20年度末までに コスト減へ改革

 先日は、みずほが1万9000人の人員削減方針を出した。三井住友も4000人の削減を目指している。メガバンクが、そろって「コスト減」を計画している。これは経済が将来的に「上向かない」と判断しているからである。景気がよくなれば、金が動く。当然、銀行の仕事は増える。そうではないのだ。だから銀行が人員削減で「自己防衛」をはじめたということである。
 アベノミクスが崩壊したことを、銀行が認めている。

 もうひとつ。政府の「中小・零細企業対策」。これには、こんな見出しと記事。

代替わり 税優遇拡大/10年間 雇用要件緩和へ/政府・与党検討

 (中小・零細企業では)経営者の高齢化が目立つ一方で、約半数は後継者が決まっていないとされ、このままでは廃業が相次ぐ。アベノミクスの実現には、経済の足腰を支える中小・零細企業の経営の持続が不可欠と判断した。

 これもまた、アベノミクスの破綻を端的に語っている。アベノミクスによって「トリクルダウン」は起きなかった。逆に、中小・零細企業の少ない利益がさらに大企業に吸い上げられた。円安で輸入原料が値上がりしている。しかし、中小・零細企業はその値上げを商品(大企業に収める製品)の値段に転嫁できない。自分の利益を減らして、受注を持続しないといけない。値上げすれば、他の会社に仕事を奪われてしまうからである。中小・零細企業の労働条件は悪化するばかりなのである。
 記事後半の「アベノミクスの実現には、経済の足腰を支える中小・零細企業の経営の持続が不可欠と判断した」は、これを言いなおしたものである。耳障りのいい表現にかえて、ごまかしている、ということである。
 つまり、これまで大企業は、中小・零細企業の「利益」を搾取する形で成り立ってきた。その中小・零細企業がなくなってしまえば、大企業は「利益」を搾取する方法がなくなる。単に中小・零細企業が「製品(部品)」をつくらなくなると、大企業でつくっている「大きな製品(たとえば、車)」をつくれなくなる、ということではない。中小・零細企業が「部品」をつくらないなら、大企業自身で部品をつくればいいだけである。大企業で部品をつくるには、その部品をつくる社員の給料が必要。その給料は、小さなネジをつくる社員も、車を組み立てる社員も「同じ」であることが要求されるだろう。それでは大企業が困る。安く部品(小さなネジ)」をつくるために、中小・零細企業が必要なのだ。
 中小・零細企業の廃業は、アベノミクスという「利潤構造」のなかから、中小・零細企業がどんどん離れていっているという「証拠」である。経営が苦しくなるだけだから、もうやめた、と叫んでいる。
 中小・零細企業の「代替わり」をうながす税制を優遇したくらいでは、中小・零細企業は持続しない。中小・零細企業に、そこで働く従業員の給料を上げるための政策を取らないといけない。
 これはいまの安倍の「大企業優先」のアベノミクスでは不可能だ。

 いちばんいい解決法は、大企業の税金を上げることである。大企業が利潤を「内部」にためこまない政策を取るべきなのだ。大企業への税優遇を廃止し、どんどん税金を取る。「こんなに税金を取られるくらいなら、従業員の給料を上げて、従業員から感謝される方がいい」と思うくらいに税金をきちんと納めさせればいい。
 経済のしろうとは、そう考える。
 給料をもらっている社員(従業員)の方は従業員で、「給料は上がるのはいいけれど、こんなに税金を納めなければいけないのか。こんなに税金を納めなければならないのなら、家を建てて所得を減らそう。金をつかってしまおう。金をつかえば、税の還元もある」という具合に消費が拡大する。
 大企業が金をためこむことを認めている「制度」が、日本経済をだめにしている。アベノミクスそのものが日本経済を破壊している。
 メガバンクの「人員削減」「店舗統廃合」は、金を流通させるはずの銀行が、さらに「利潤をためこむ」方向に動き始めたことを明らかにしている。アベノミクスなんかに頼っていられない。銀行がそう判断し、動き始めたということだ。
 中小・零細企業も、こんなに苦しいんなら、もう、やめてしまえ、と思い始めたということである。我慢して働いても得なことは何もないと、みんなが思い始めている。アベノミクスは、働くひとから働く意欲を奪っただけである。



#安倍を許さない #憲法改正 #天皇生前退位
 
詩人が読み解く自民党憲法案の大事なポイント 日本国憲法/自民党憲法改正案 全文掲載
クリエーター情報なし
ポエムピース
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