詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

橋本シオン『これがわたしのふつうです』

2017-10-13 09:04:26 | 詩集
橋本シオン『これがわたしのふつうです』(あきは書館、2017年09月30日発行)

 私は古くさい人間なので、新しい文体についていけない。
 橋本シオン『これがわたしのふつうです』は、こんなふうに始まる。

空高く伸びる大きな鉄塔があった
その辺りの鉄塔なんかより
一番大きくて
空に向かって伸びている
六十メートルは超えている

誰も空でぶつからないように
紅白に塗られた
おめでたい色の
鉄塔
夜は赤く点滅し
その存在を誇示する

 これは「口語」なのか「文語」なのか。「話しことば」なのか「書きことば」なのか。人に語る、ひとり言で語る、という「口調」にも似ている。独白、か。「空に向かって伸びている/六十メートルは超えている」という言い直しは、「口語」に多い。けれど、その「口調」の人間が、「夜は赤く点滅し/その存在を誇示する」と言うことが私には納得できない。
 私の「肉体」は、ここで拒絶反応を起こす。
 私は「聞く」のも「読む」のも好きだが、「話しことば」に「書きことば」がまじりこむと、このひとはほんとうに話しているんだろうか、と疑問に思う。
 「書きことば」に「話しことば」が入ってくるときは、そんなに違和感がない。語られている事実、客観を突き破るようにして、「主観」が動いたのだ、と感じる。「過去形」で語られていた文体が、突然「現在形」に変化する瞬間のようなものだ。
 こういう「客観」と「主観」の交錯は、「散文作品」の基本でもある。あるいは「文体作法」とでも言えばいいのかなあ。
 詩は、特に「現代詩」は、そういう「文体作法」を破壊していくところにおもしろみがある、という見方もあるだろうけれど、私は古い人間なので、ついていけない。

 おもしろいなあ、と思う部分、ここは詩だなあ、と思う部分もある。

暑い日
汗のつぶをぬぐいながら
人の来ない路地に座り込む
色あせ日焼けをしている文字も読みづらいが
表紙にはっきりと書いてある
「東京への電話帳」
角張ったロゴがはっきりと
娘の眼球を刺戟する

 「東京への電話帳」。この一行が、すばらしい。ことばのなかに「過去」が突然噴出してくる。「存在感」のあることばだ。
 芝居で、役者が途中から登場してきて、その瞬間に、その「役」の「過去」が浮かび上がるような感じ。
 「東京の電話帳」ではなく「東京への電話帳」。それは「娘」だけに意味のあるもの。「意味」とは「つながり」であり「過去」である。そこにどんな「過去」があるか、具体的にはわからないが、わからないまま、「過去のたしかさ」が浮きでてくる。(「はっきり」ということばが前後して繰り返されるだらだらした文体を突き破って動いている。)
 でも。
 この一行、あるいは「一語」の存在感(詩)は、「散文」のものである。
 私の印象では、橋本は「文体」を選び損ねている。「散文」の「文体」で書き、そのなかに、「東京への電話」という「一語」を置いた方が、「物語(ストーリー)」が急展開する。「時間」を切り裂いて、「過去」が「いま」を突き破り、それがそのまま「未来」へと走り抜けていく。
 「散文」を行わけしただけの「詩のスタイル」では、その効果は、「宝の持ち腐れ」という印象になる。せっかくおもしろいものがあるのに、それが生かされていない。

毎日出される湯がいた貝は
なんの味もしなかった
乱雑に殻をむしる娘と
それを微笑ましく見つめる母との間に
あるのは
漂う磯のかおりと
母が丁寧に作った
という
事実

 この部分の「丁寧」も、行かえで詩を装った「文体」のなかにではなく、整理した「散文(たとえば小説)」のなかに置くと、もっと美しいものになる。
 私は古い古い人間なので、そう思う。

 行わけで「詩」を装ったスタイルの作品に比べると、「散文」を装ったスタイルの作品の方が、ことばにリズム(音楽)があって、私にははるかに「上質」なのものに感じられる。
 「わたしの国家」という作品。その書き出し。

みんなが吐き出す死にたいという言葉で、とうきょうの空は真っ黒
だ。星もきれいに塗りつぶされて、遠い電車の走る音だけするけど、
ここはいたって普通の住宅街。そのなかに、わたしの小さな国家。

窓を開けて息を吸う。あなたと息を吸う。そして吐いて、また繰り
返す。息を吸って、吐いていたい。その願望。ひとりタバコを吸い
ながら呼びかける。のに、そこには誰もいなかったりいたり。する。

 こういうリズムと音楽をもっと聞きたい。読みたい。
 私なら70ページ以降の作品だけで一冊の詩集にする。


*


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これがわたしのふつうです
クリエーター情報なし
あきは書館
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