詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

タケイ・リエ「飯田橋から誘われる」

2018-02-05 09:35:14 | 詩(雑誌・同人誌)
タケイ・リエ「飯田橋から誘われる」(「どぅるかまら」23、2018年01月10日発行)

 タケイ・リエ「飯田橋から誘われる」。

飯田橋のあたらしい茶の店に、誘われる。せまい階段を昇った。
砂時計の砂を落とし茶葉が蒸れるのを、しばしまつ。砂が終わった。
急須を傾けると糸のような数滴が落ち、その後は何もでてこない。

 「その後は何もでてこない」に、目がとまった。直前の「糸のような数滴が落ち」の「糸のような」という「比喩」が効果的なのだ。「比喩」とは、そこにないものをそこに見る力である。一種の「妄想」とも言える。それが、突然、消える。「何もでてこない」には、何か「比喩」になるようなものが出てきてほしいという願望が動いているかもしれない。
 この三行を「前書き」にして、詩ははじまる。

街の上流から人が流れてくる
帯状の光と影にくるまれてとてもきれいだ
どうしてもおもいだせない名詞があって
浮かせた足でたたく力が欲しかった

 「街の上流」の「上流」が比喩である。「人が流れてくる」の「流れてくる」が比喩である。
 「何もでてこない」と感じたこころは、いま、「何か」を自分のなかからひきだそうとして「比喩」を動かしている。
 「どうしてもおもいだせない名詞」とは、「比喩」にふさわしい名詞のことかもしれない。
 「浮かせた足でたたく力」というのは、やはり「比喩」だろう。「比喩」だが明確な「名詞」ではない。「糸のような」のようにだれとでも共有できる「名詞」ではない。なんとなくわかるが、そのわかるは「もどかしい」。ことばになりきれていない。自分ではわかっているのに、見えているのに、「名前」がでてこない。
 「どうしてもおもいだせない名詞があって/浮かせた足でたたく」のか、「浮かせた足でたたく力」をふつうのことば(共有できる比喩)で言うにはどう言うべきなのか、その「名詞(名前)」が「どうしても思い出せない」のか。両方に読んでみる。「比喩」はたがいに入れ替わってこそ、比喩である。
 これは、こんなふうにも言いなおされる。

話のつづきにあいのてをいれて
鳥のたまごに似たものを温めようとする
ひとのこころにそっと触れても
感触がよくわからない

 比喩に比喩を重ねても「よくわからない」ものがある。
 「よくわからないもの」を説明するにはほんとうは「比喩」がとても効果的だ。「比喩」をとおして「よくわかる」ということがある。「比喩」とはそれそのものではないが、ときにはそれそのものよりも、それそのものをあらわす。一種の矛盾だが、これはきっと「対象にのめりこむ」ということと関係するかもしれない。「対象」を「客観的」にとらえるのではなく、のめりこんで「主観」になったとき、それが自分に関係するものとして「わかる」。「よくわかる」とは「自分の問題としてわかる」ということでもあるのだ。でも比喩がうまく動かないと、「よくわからない」が増え続ける。
 そこから翻って、

その後は何もでてこない

 これはなんだったのか。「客観」だと言うことができるかもしれない。「主観」を拒絶する「客観」。主観などというものは世界には存在しないのだと断言する「非情」と言い換えると、おおげさになるか。しかし、私は、なにかそういうものを感じた。
 最初の三行は、「前書き」のようなものである。小さい文字で、書き出しも本文(?)よりは下がったところからはじまっている。「前書き」というのは、いわば「客観」なのだが、それが「主観」を誘わず、「主観」を拒絶しているので、逆にそこから「主観」が「いのち」を求めて動き出したのかもしれない。
 「客観」と「主観」、「客観」と「比喩」というものを、ふと考えたのだった。


 
 


*


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目次

瀬尾育生「ベテルにて」2  閻連科『硬きこと水のごとし』8
田原「小説家 閻連科に」12  谷川俊太郎「詩の鳥」17
江代充「想起」21  井坂洋子「キューピー」27
堤美代「尾っぽ」32  伊藤浩子「帰心」37
伊武トーマ「反時代的ラブソング」42  喜多昭夫『いとしい一日』47
アタオル・ベフラモール「ある朝、馴染みの街に入る時」51
吉田修「養石」、大西美千代「途中下車」55  壱岐梢『一粒の』59
金堀則夫『ひの土』62  福田知子『あけやらぬ みずのゆめ』67
岡野絵里子「Winterning」74  池田瑛子「坂」、田島安江「ミミへの旅」 78
田代田「ヒト」84  植村初子『SONG BOOK』90
小川三郎「帰路」94  岩佐なを「色鉛筆」98
柄谷行人『意味という病』105  藤井晴美『電波、異臭、工学の枝』111
瀬尾育生「マージナル」116  宗近真一郎「「去勢」不全における消音、あるいは、揺動の行方」122
森口みや「余暇」129
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問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com


まひるにおよぐふたつの背骨
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名護市長選(保身と変身の違い)

2018-02-05 08:19:24 | 自民党憲法改正草案を読む


名護市長選(保身と変身の違い)
             自民党憲法改正草案を読む/番外175(情報の読み方)

 名護市長選で、稲嶺が渡具知に敗れた。出口調査では、若者(10代)が圧倒的に渡具知を支持している。
 10代では稲嶺33.3% 渡具知66.6%
 20代では稲嶺44.0% 渡具知56.0%     


16年の参院選のときは、報道の少なさが巨大政党の勝因につながると思っていたが、それだけではないようだ。

若者が与党(安倍)を支持するのは、与党を支持しないと就職もままならないと考えているからではないのか。
積極支持というより、消極支持。

最近、若い人と話していると、そういうことを強く感じる。
反与党の姿勢が知られたら、会社からにらまれる。
特に出世したいわけではないが、いまの仕事からホサれるのはつらい。
だから反与党的な会話はしない。態度もしない。
これが、蔓延している。

思えば、1970年安保までは、若者の行動はおとなから顰蹙をかったが、同時に支持もされた。支持とまではいかなくても、容認された。
でも、いまは、おとなが若者の「反体制」姿勢を容認しない。

あの時代、おとなたちは「終身雇用制」に守られていた。
若者の行動は行動として、自分の身分が安定していた。
子がどうであれ、親は失業する不安はなかった。
だから、どこかで「安心」して、子どもの行動を容認していた。
子どもの方も、就職すれば「終身雇用」と思っていた。
実際、そう思えばこそ、長い髪もばっさり切って、就職活動→就職ということもしていた。
「おとな」に変身した。

いまは、親の世代も「終身雇用」とはいかない。
若者は、「昔の若者」のように「変身」できない。
最初から「保身」で生きるしかない。
安倍は、アベノミクスは成功しているというが、大失敗している。
若者が「将来」に不安を感じ、いまを十分に生きることができない。
自分の欲望を正直に語れなくなっている。
不景気は、そこまで若者を追い込んでいる。

シールズが登場したときは、とても頼もしく感じたが、いまはどういう活動をしているのか、ほとんど報道されることもない。
おとなの不安(将来どうなるのか、身分の保証はどうなるのか)が、若者の政治行動を「おびえたもの」に追い込んでいる。
そう思う。


詩人が読み解く自民党憲法案の大事なポイント 日本国憲法/自民党憲法改正案 全文掲載
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