詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

9条2項維持とは

2018-02-08 11:49:30 | 自民党憲法改正草案を読む
9条2項維持
             自民党憲法改正草案を読む/番外175(情報の読み方)

 2018年02月08日の読売新聞朝刊(西部版・14版)の一面の見出し。

9条2項維持 支持多数/自民改憲本部 条文案募り検討

 改憲では、改憲の条文(文言)がどうなるかが重要である。それが、まだできていない。これは国民に何も知らせない安倍の「沈黙作戦」の一環だろうが、あまりにもひどい。9条2項を残すか、削除するかで自民党がまとまっていない。
 現行憲法の9条は、こうなっている。

第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 残すというのは、安倍の案である。
 2017年6月の自民党改憲本部のたたき台では、こうなっていた。(西日本新聞、6月22日朝刊)それによると、こうなっている。

9条の2 前条の規定は、我が国を防衛するための最小限度の実力組織としての自衛隊を設けることを妨げるものと解釈してはならない。
2 内閣総理大臣は、内閣を代表して自衛隊の最高の指揮監督権を有し、自衛隊は、その行動について国会の承認その他の民主的統制に服する。

 この案の問題点は、
(1)「自衛隊を設けることを妨げるものと解釈してはならない。」と国民の解釈を禁止していることである。「自衛隊を設ける」ということは国民にはできない。だから、「設ける」主体は「国」であって、そのことに対して「反対」というとすれば、「国民」である。その「国民」に対して、「解釈してはならない」、つまり「軍隊を設けることに反対」と言ってはならないと主張している。だれが禁止するのか。「憲法」か。「国」か。憲法は国の権力を拘束するものであって、国民を拘束するものではない。その基本を逸脱している。
(2)それにつづいて「内閣総理大臣」が主語として突然登場していることである。国民が「主役」(主語)の憲法に、国民をおしのける形で内閣総理大臣が登場している。これは「独裁」の宣言である。この項目から考えると、「内閣総理大臣が自衛隊を設ける」ということに対して、国民が「反対」と言ってはならない(憲法が自衛隊を持つことを禁止していると解釈してはならない)と主張していることになる。
 これはすでに「9条改正、これでいいのか」(ポエムピース)で書いたことなので繰り返さない。

 2面に、見出しにはとっていないが、重要な指摘が書いてある。

 自衛隊の根拠規定については、「自衛隊を保有する」などと簡潔に表記する案があるが、自衛隊を所管する防衛省は法律で設置された組織であることから「防衛省と上下関係が逆転する」との懸念が出ている。

 やっと、新聞でも言及されるようになった。
 自衛隊は防衛省の下部組織である。それが憲法に書かれるのならば、防衛省も書かなければおかしい。それが、どうして問題にならないのか。
 これはさらに言えば、憲法は「天皇」「戦争放棄」のあと、「国民」「国会」「内閣」「司法」という具合に構成されているのに、安倍の案では、国民よりも、国会よりも「下」に位置する「内閣総理大臣」が「防衛省の下部組織である自衛隊を指揮する」と、憲法の先に登場することを意味する。
 これは安倍の、自衛隊をつかったクーデターなのである。安倍は日本の安全を守るということを口実に、軍事独裁を狙っているだけなのである。
 こういうことを、憲法にもとづいて(憲法の条文、構成にもとづいて)、もっと指摘すべきである。

 アメリカ合衆国の憲法を参考にしてみよう。
 前文は、こう書いてある。

われら合衆国の国民は、より完全な連邦を形成し、正義を樹立し、国内の平穏を保障し、共同の防衛に備え、一般の福祉を増進し、われらとわれらの子孫のために自由の恵沢を確保する目的をもって、ここにアメリカ合衆国のためにこの憲法を制定し、確定する。

 それから、構成は、第1章[立法部]、第2章[執行部]、第3章[司法部]という具合である。
 軍備については「前文」に「共同の防衛に備え」と書いているだけである。実際には、「戦争(軍事行動)」については、どこにどうかかれているか。
 第1章[立法部]にある。

[第10項]公海上で犯された海賊行為および重罪行為ならびに国際法に違反する犯罪を定義し、これを処罰する権限。
[第11項]戦争を宣言し、船舶捕獲免許状を授与し、陸上および海上における捕獲に関する規則を設ける権限。
[第12項]陸軍を編成し、これを維持する権限。但し、この目的のためにする歳出の承認は、2年を超える期間にわたってはならない。
[第13項]海軍を創設し、これを維持する権限。
[第14項]陸海軍の統帥および規律に関する規則を定める権限。

 まず、軍隊を「創設する権限」は「議会」にある、と明確に書かれている。自民党の案では、これが不明確である。「防衛省の下部組織」ならば国会で決めることだが、国会がどうこうする前に「自衛隊」が出てきてしまっては、憲法の構成としておかしいだろう。「戦争の宣言」も議会の権限であると、アメリカ合衆国憲法は明記している。

 軍隊の指揮権は、どうか。
第2章[執行部]第2条[大統領の権限]にこう書いてある。

[第1項]大統領は、合衆国の陸軍および海軍ならびに現に合衆国の軍務に就くため召集された各州の民兵団の最高司令官である。大統領は、行政各部門の長官に対し、それぞれの職務に関するいかなる事項についても、文書によって意見を述べることを要求することができる。大統領は、弾劾の場合を除き、合衆国に対する犯罪について、刑の執行停止または恩赦をする権限を有する。

 大統領は「最高司令官」ではあるが、そのことが明記されるのは、「立法部」のあとである。「憲法構成」は守られている。
 こういう「構成基準」は、絶対に厳守すべきものである。
 憲法学者は、こういうこともしっかり指摘してほしい。野党も、こういうところから、自民党の案に対する批判をしてほしい。
 もし「9条」に自衛隊を書き加えるなら、それは単に「9条」の問題ではなく、「憲法全体」にかかわる問題である。「理念」にかかわる問題である。

 いま、安倍がやろうとしていること、こまれでやってきてたこと(秘密保護法、戦争法、共謀罪の強行成立)は、すべて安倍が「軍事独裁」をすすめるためのものなのである。「軍事独裁」をすすめるために、北朝鮮の脅威を口実として利用している。




#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位 
 


*

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憲法9条改正、これでいいのか 詩人が解明ー言葉の奥の危ない思想ー
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ポエムピース
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鈴木美紀子『風のアンダースタディ』

2018-02-08 10:33:11 | 詩集
鈴木美紀子『風のアンダースタディ』(書肆侃侃房、2017年03月12日発行)

 感想を書こうと思いながら、ふと見失った本。それが、ふいに出てくる。さて、書こうと思ったときと同じことが書けるかどうか。鈴木美紀子『風のアンダースタディ』は、ほぼ1年前の歌集。

間違って降りてしまった駅だから改札できみが待ってる気がする

 この歌の「意味」は二通りに読むことができる。
(1)降りる予定ではなかった駅。そこは待ち合わせの駅ではない。でも、降りてしまったら、かならずきみが改札口で待っている気がする。それくらい「気持ち」が通じている。なんだか「うれしい」。
(2)降りる予定ではなかった駅。しかし、習慣で降りてしまった。その改札口には、いつもきみが待っていた。きょうは約束をしていなかったが、来ているかもしれない。そう思うと、「いやだなあ」。あるいは約束があったが、気持ちが変わりすっぽかすつもりだったのに、習慣で(?)降りてしまった。間違った。あ、きみは改札で待っている、「いやだなあ」。

 たぶん、(1)なんだろうなあ。
 で、(1)だとすると。「間違って降りてしまった駅だから」の「だから」が変だね。「間違って降りてしまった駅だけど」と「だけど(だけれど)」でないと「学校文法」にはあわない。間違って降りたけれど、こんなに愛し合っているのだから、どこで降りるかはきみにはわかっているはず。そして、間違いを先取りして改札で待っているはず。これが、「恋の妄想」の「論理」。
 でも「だけど(だけれど)」と言わずに「だから」と言う。そうすると、なんというか、より「妄想」が強くなる。私が間違えたのは、きみが間違えてそこにいるということをテレパシーか何かで知ってしまったために間違えたのだ。私が間違えたのではなく、きみが間違えさせた。しかも、その間違えさせたということが、間違いではなく「正しい」になるように間違えさせた。「間違い」を「正しい」にかえてしまうのが「恋の妄想」。  しかし、(2)の方が、ほんとうはありうること。「いやな恋の現実」。間違えて降りてしまったら、きみはやっぱり間違いなく待っていた。「気がする」を通り越して、目が合ってしまった。「裏切らない」。つまり「だから」という「肯定」が自然に響く。

 で問題は。

 なぜ「学校文法」的にはおかしい(1)の方がより「正しい」と感じられるのか。感情移入ができて、「この歌好きだなあ(楽しいなあ)」と感じるのか。これが問題。というか、詩の(文学の)不思議。
 「学校文法」をねじまげてしまう何か、間違わないと言えないことがあり、そういう「間違い」を侵さないことには言えないようなこと、つまり、それまでことばにしなかったことがことばになっているというのが詩であり、文学だということだね。
 「間違って降りてしまった駅だから」の「だから」のつかい方はおかしい。そんなつかい方は間違っている。間違っていないとしたら「気取っている」。かわっている。この「かわっている」が詩なのだ。「かわっている」は新しい、でもある。
 しかも、それは「まったく新しい」ことば、だれも知らないことばではなくて、だれもが知っていることばであることが重要。「古い」はずなのに「新しい」。ここに驚きと、詩がある。
 これを鈴木は、だれもがほんとうに(現実に)つかっている「口語」でやっている。そこがとてもおもしろい。

この辺は海だったんだというように思い出してねわたしのことを

隠してたこんなくぼみのあることをきみにはただの水たまりだけれど

 「この辺は海だったんだ」は、口語そのまま。「きみにはただの水たまりだけれど」も口語そのままだろう。
 最初の一首と「共通する」ものは、書かれているものが、実は「不在」ということ。
 間違って降りた駅に「きみが待っている気がする」がほんとうは「いない」、「この辺は海だったんだ」けれどいまは「海ではない」、これは「水たまり」であって地面の「えくぼではない」。「えくぼ」は比喩であり、比喩とは「いま/ここ」に不在のものを借りてきて「いま/ここ」にあることを言いなおすことである。
 「不在を言いなおす」。「きみがいない」を「きみがいる気がする」と言いなおす。「海がない」を「海があったんだ」と言いなおす、「えくぼがない」を「えくぼを隠している」と言いなおす。そして、この「言い直し」には「気がする」「思い出す」ということばが同時につかわれているが、これは、つまり「想像する(想像しなおす)」ということである。「想像しなおす」ことによって、その存在が自分にとってどれだけ大事であるかを確認する。その自分にとって大事なことを、相手に伝える。この大事なことを「きみ」に伝えるのは、「きみ」が私にとって「大事な存在だから」と間接的に告げる。いいかえると、「相聞歌」なのだ。

透きとおる回転扉の三秒の個室にわたしを誘ってください

 「三秒の個室」は「ことばによってはじめて存在するもの」。「比喩」。それを私は「ことばによって出現させた」。つぎは、「きみ」がその「想像によって生みだされた世界」をそのまま「肯定し」、それを利用して「わたしを誘う」、つまり「想像力の共犯者になれ」と鈴木はそそのかしている。「誘ってください」といいながら、逆に誘っている。ことばはいつでも「読み返す」ことによって動くのである。
 そういうふうに読むと「透きとおる」ということばさえ「好き」という気持ちが徹底して(凝縮して、結晶化して)、どこまでも「好き」だけが見えるような感じにも思える。「好き」で凝縮した空間、「好き」が濃くなった空間(こういうことばを使うと、暁方ミセイみたいか)、ふたりだけの「個室」に見えてくる。「好き」をみんなに知らせるための特別の「個室」でもある。

 どの歌も「口語のリズム」が生きていて、とても楽しいと思う。
 で、その楽しさを肯定した上で、「注文」も書いておこう。

調律師の冷たい指を愛してた波打ち際の朽ちたピアノは

 という歌がある。その直前に、

「え、こんな場面できみは泣くんだ」とわたしの夢を盗み見たひと

 がある。ふたつの歌をつないで、私は「ピアノ・レッスン」という映画を思い出したが、どうもおもしろくない。「波打ち際の朽ちたピアノ」が鈴木の見た「実景」ならばこれでもいいのだろうけれど、きっと「実景」ではない。だから「調律師の冷たい指を愛してた」も「実感」ではない。「ピアノ」の思いを代弁することば、「不在」を浮かび上がらせる「比喩」のひとつだが、こういうことを「口語」でやると「手の込んだうそ」になってしまう。「巧み」だけれど「うそ」の方が浮いてしまう。
 「夢を盗み見たひと」も「想像力」に手が込み入りすぎている。「夢」を盗み見るのではなく、映画館でとなりで泣いている姿を盗み見る、泣いているのがわかったけれど、そのことを見なかったことにするという方が、「いま/ここ」という現実感で満たされるだろうと思う。
 「口語」を「文語化」するのではなく、「口語」のままのリズム、言い換えるとスピードをもっと貫いてほしいと思う。





*


「詩はどこにあるか」1月の詩の批評を一冊にまとめました。

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目次

瀬尾育生「ベテルにて」2  閻連科『硬きこと水のごとし』8
田原「小説家 閻連科に」12  谷川俊太郎「詩の鳥」17
江代充「想起」21  井坂洋子「キューピー」27
堤美代「尾っぽ」32  伊藤浩子「帰心」37
伊武トーマ「反時代的ラブソング」42  喜多昭夫『いとしい一日』47
アタオル・ベフラモール「ある朝、馴染みの街に入る時」51
吉田修「養石」、大西美千代「途中下車」55  壱岐梢『一粒の』59
金堀則夫『ひの土』62  福田知子『あけやらぬ みずのゆめ』67
岡野絵里子「Winterning」74  池田瑛子「坂」、田島安江「ミミへの旅」 78
田代田「ヒト」84  植村初子『SONG BOOK』90
小川三郎「帰路」94  岩佐なを「色鉛筆」98
柄谷行人『意味という病』105  藤井晴美『電波、異臭、工学の枝』111
瀬尾育生「マージナル」116  宗近真一郎「「去勢」不全における消音、あるいは、揺動の行方」122
森口みや「余暇」129
オンデマンド形式です。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。



以下の本もオンデマンドで発売中です。

(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料250円)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512

(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料450円)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009

(3)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料250円)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977



問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com
風のアンダースタディ (新鋭短歌シリーズ34)
クリエーター情報なし
書肆侃侃房
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