詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

谷川俊太郎『聴くと聞こえる』(5)

2018-02-16 11:34:01 | 谷川俊太郎『聴くと聞こえる』
谷川俊太郎『聴くと聞こえる』(5)(創元社、2018年02月10日発行)

 「ピアノを開く時」は、詩なのか。エッセイなのか。谷川の「音楽環境」がわかる。幼い時からピアノに触れている。
 昔を思い出して、ピアノに触れる時がある。

 そんな時、私の心にひろがる風景は、やはり、あのアンファンス
と呼ばれる、青春よりもさらに甘美で物哀しい時期の、匂いのよう
なとらえ難い風景である。                  (17ページ)

 このあとに、プルーストの「失われた時を求めて」のような描写がつづく。(プルーストは読んだことがないので、勝手な想像だけれど。)ここは、詩っぽい。「詩情」というものがある。
 で、この直後

 子供のまだ未分化な魂にうつっていた世界は、今では音楽によっ
てしか思い出すことのできぬほど微妙なものだったろうか。   (17ページ)

 「未分化な魂」と「音楽」が融合している。谷川にとって音楽体験は「未分化な魂」の発見だったということだろう。
 うーん。
 そうなんだろうなあ、と思うしかない。
 つづいて、こう書いている。

 少々飛躍したいい方かもしれないが、それらの曲を聞くたびに、私
は自分の階級とでもいうべきものを意識する。          (18ページ)

 私は谷川とは違う階級の人間なので、こういうことには深入りしない。
 最初に書いたが、音楽環境が、私と谷川では違いすぎる。谷川の体験を「追体験」することは、私にはできない。
 そういう私が、この作品から「詩」を感じるのはどの部分かというと。
 ピアノの小品(子供の時に弾いたことのある曲)を聞いた時(あるいは弾きなおした時)の思いを書いた部分である。

                     それは苦い反省とと
もに、甘い陶酔をももちろん含んでいて、私はそれに抗することが
できない。というよりももっと積極的に私はそこに、自分というも
のを探し求め、また時にはそこへ逃避すらしているのかもしれない。(19ページ)

 「反省とともに」の「ともに」、「というよりも」、「また時に」の「また」。この、「同時」にいくつかの「思い」を結びつける文体に「詩」を感じる。
 詩は、一言では言えない。
 詩は、言いなおすしかないものである。
 特に私が詩を感じるのは、「というよりも」という「逆説」の「論理」ではなく、「ともに」「また」という「並列」のことばの運動である。
 「逆説」というのは、何かを「掘り下げていく」感じがする。
 「並列」は、あることがらを「横に広げていく」感じ。遠いものを呼び寄せる感じでもある。実際、この詩の「また」は「求める」と「逃避する」という違った方向へ動いている。俳句でいう「遠心」と「求心」の結びつきのようなものがある。
 音楽が「匂い」を呼び寄せるように(17ページ)広がり、あるもの、あることが、それを離れて別の次元へ広がるとき、谷川の詩(詩情)はいきいきと動く。
 それは「未分化」なのものが、「分化」して「もの」になる。谷川の「肉体」の内部にあるものが「外部」のなにかと出会って、そこに結晶する感じだ。
 それを「また」で展開し続ける時、そこに「音楽」が響いてくる。
 それは、きのうのつづきで言えば「意味の和音」かもしれない。物理的な「音」の和音ではなく。





*


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目次

瀬尾育生「ベテルにて」2  閻連科『硬きこと水のごとし』8
田原「小説家 閻連科に」12  谷川俊太郎「詩の鳥」17
江代充「想起」21  井坂洋子「キューピー」27
堤美代「尾っぽ」32  伊藤浩子「帰心」37
伊武トーマ「反時代的ラブソング」42  喜多昭夫『いとしい一日』47
アタオル・ベフラモール「ある朝、馴染みの街に入る時」51
吉田修「養石」、大西美千代「途中下車」55  壱岐梢『一粒の』59
金堀則夫『ひの土』62  福田知子『あけやらぬ みずのゆめ』67
岡野絵里子「Winterning」74  池田瑛子「坂」、田島安江「ミミへの旅」 78
田代田「ヒト」84  植村初子『SONG BOOK』90
小川三郎「帰路」94  岩佐なを「色鉛筆」98
柄谷行人『意味という病』105  藤井晴美『電波、異臭、工学の枝』111
瀬尾育生「マージナル」116  宗近真一郎「「去勢」不全における消音、あるいは、揺動の行方」122
森口みや「余暇」129
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2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
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問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com

聴くと聞こえる: on Listening 1950-2017
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「二重権威」?

2018-02-16 10:40:28 | 自民党憲法改正草案を読む
「二重権威」?
             自民党憲法改正草案を読む/番外177(情報の読み方)

 2018年02月16日の読売新聞朝刊(西部版・14版)に、わけのわからない記事が載っている。しかも一面のトップである。その見出し。

新元号 年末以降公表へ/政府方針 改元までの期間短縮

 記事には、こう書いてある。番号は、私がつけたもので、記事にはない。

(1)2019年5月1日の皇太子さまの即位・改元に向け、政府は、新元号を今年末以降に公表する方向だ。
(2)元号公表から改元までの期間を短くする狙いがあり、来年に公表する案も含めて検討する。
(3)元号公表で新天皇に国民の関心が集まれば、天皇陛下と新天皇の「二重権威」が生じかねないとの懸念に配慮した。

 (1)は、これまでの方針から違っている。これまでは改元にともなう国民生活への影響をおさえるために、早く公表するというものだった。特にカレンダーを意識していた。カランダーの作製が間に合わないと、国民が混乱する。企業や役所も元号の切り替えがたいへん、というものだった。(新元号のアルファベットが「M(明治)T(大正)S(昭和)H(平成)」と重ならないようにする、という案までニュースになったくらいである。)ところが、

今夏に公表した場合でも、19年のカレンダー制作に間に合わないことが業界への聞き取りで明らかになった。民間企業で採用しているシステムについても、改元による影響を避けるため、西暦を使うケースが増えているとされる。

 と記事で説明している。こんなことは、いま、やっとわかることではないだろう。すでにだれもがわかっている。カレンダー業者に、いまごろになって、いつなら間に合うかを問い合わせているとしたら、それまでのカレンダーに配慮するという言い分はなんだったのだろうか。
 傑作なのは、さらにこんなことを書いていることである。

 政府は内閣官房を中心に、改元にともなう官民のシステム変更に必要な期間を調査しており、この結果も踏まえて公表時期を最終判断する方針だ。

 こんなことは改めて調査しなくても、昭和から平成への改元時にどれだけ時間がかかったかわかっているのだから、どう考えてもそのときよりも短くてすむ。わざわざ調べなくても、ちょっとパソコンに詳しい人に聞けばわかるだろう。

(2)は、なぜ短くする必要があるのか、ぜんぜんわからない。
 記事は、こう補足説明している。

早期の事前発表をめぐっては、政府内にも「国民の間で新元号への賛否両論が出るのではないか」と慎重論があったほか、自民党の保守派からは「一つの時代に二つの元号が存在する形に見えてしまう」と懸念する声も出ていた。 

 この論理にしたがうと、新元号の発表が遅くなると国民の間では賛否両論が出なくなる、ということになる。そんなばかな。あるものに対する賛否は、いつでも生じる。「時間」は関係がない。これは逆に読むべきなのだ。ぎりぎりになって公表すれば、反対意見があっても「再考する時間がない。間に合わない」と言える。政府の決めたものを簡単におしつけることができる、異議を許さない、ということなのだ。
 後段の保守派の言っていることも理解に苦しむ。いまだって「明治、大正、昭和、平成」という複数の元号が存在している。将来のことに対しての言及だとしても、将来についてなら「2018年」のいま「2019年」のほかに「2020年」という別の「年代」も存在する形でひとは認識している。
 未来をあらわす表現方法があって、それによって現在が混乱するということは絶対にありえない。今と未来を混同する人間などいない。逆に、未来をあらわす表現方法がないとき、ひとは混乱する。未来を思い描けない。いつでもひとは「未来」をみて動いている。この記事(新元号 年末以降公表へ)というのも、「未来」について書いている。「未来」を見ている。
 「保守派」は何が言いたいのか。

(3)を読み直してみる必要がある。
 新元号の公表によって「新天皇に国民の関心が集まれば、天皇陛下と新天皇の「二重権威」が生じかねない」というのだが、もう、皇太子が次の天皇になるということは国民のだれもが知っている。即位の日が19年5月1日であることも知っている。すでに国民のだれもが「新天皇に関心」を持っている。「新天皇」について、何も知らない国民などいないだろう。
 これは「天皇の生前退位」が決まる前から、国民の関心事でもあった。(明確に意識はしていないけれど。)「皇太子」が次の「天皇(新天皇)」になると、だれもが信じている。
 こんなところに「二重権威」の問題がはいりこむ余地はない。国民は「天皇」と「次期天皇」のどちらに「権威」があるか、など考えないだろう。だいたい「天皇」というのは「象徴」であって「権威」ではないのだから、その存在を「権威」と思う方がおかしい。憲法には、天皇は国政に対する権能を有しない、と規定してあり、「象徴としての務め」ということばのなかで、天皇自身が二度繰り返して語ってもいる。天皇は「権威」ではないと天皇自身が否定している。
 ここから逆に読むと。
 「天皇」は「権威」であると考えたい人間がいるということである。天皇を「権威」として利用したい人間が政府、あるいは自民党の中にいるということだ。あるいは、天皇が天皇であること、天皇の動きを逐一支配したいと思う人間が政府のなかにいるということだろう。
 天皇に関することがら、退位から即位まで、さらに元号の変更も、すべて「自分の思う通りにしたい」という人間がいるということだろう。どうすれば、「天皇」を政治に利用できるか、それだけを考えている人間がいるということだろう。
 すでに退位、即位の日は統一地方選挙を理由に、その日程が決まった。「天皇制」は政治に利用されたのである。利用され続けているのである。
 天皇を政治に利用しようとする人間にとっては、「天皇」と「内閣総理大臣」というのは「権力の二重構造」と見えるかもしれない。「二重」のどっちがより権力を持っているか、ということに「決着」をつけたいのかもしれない。
 このひとにとっては、「二重」だけではなく、「多重」はもっと重要かもしれない。
 日本の国会は「三権分立」によって構成されている。「権威(権力)」が三つにわかれている。これを許しているということは彼にとって大問題なのだ。
 「私は最高権力者である(最高責任者である)」言おうとすると、「憲法では三権分立になっている」と否定される。「三権分立」どころか、憲法は「主権は国民にある」と規定している。「最高責任者は国民である」。これが、彼には許せない。

 「二重権威」と言い出した人がだれなのか、読売新聞は書いていない。それは「天皇の生前退位」について「生前退位」ということばを言い出した人がだれなのか明らかになっていないのと同じである。
 
 「元号」が何になるのか、その公表がいつなのか。
 これは国民にどれほど影響のあることなのか。
 昭和から平成への「転換日」を思い起こせば、何のことはない。
 いったい、国民の何人が「混乱」しただろうか。生活システムの何か問題がおきただろうか。電気も水道もガスも、今まで通り。電車もバスも飛行機も、事故を起こしたわけではない。元号がかわったために、日記を買い換えた、カレンダーを買いなおしたというひともいないだろう。
 国民に何の影響も与えないことなのに、それが重大問題である、その重大問題を決定するのは「私である」と何がなんでも言い張りたい人がいるということなんだろうなあ。

 私が「わかった」のは、そういうことである。

#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位 
 


*

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 「不思議なクニの憲法」の公式サイトは、
http://fushigina.jp/
上映日程や自主上映の申し込みができます。
憲法9条改正、これでいいのか 詩人が解明ー言葉の奥の危ない思想ー
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