パオロ・ビルツィ監督「ロング、ロングバケーション」(★★)
監督 パオロ・ビルツィ 出演 ヘレン・ミレン、ドナルド・サザーランド
うーん、いまひとつおもしろくない。
たぶん、これは私が「アメリカ大陸」を知らないから。ロードムービーなのだが、移動していく感じがよくわからない。「土地鑑」がない。木々の色や空気の色が、「土地」と結びつかない。背景の「土地」に対する愛着も感じられない。これは監督がイタリア人であるためか。
「映画」というよりも、「ストーリー」になってしまっている。
唯一おもしろいと思ったのは、ヘレン・ミレン、ドナルド・サザーランドが行く先々で、スライド写真を映してみるときに、「観客」がいるということ。最初は遠くからそっと見ている。次のシーンでは「いっしょに見ていいか」と若者が声をかけてくる。
他人の思い出(プライバシー)を見る、見たいのはなぜだろう。
ここが映画のポイントだね。
実際、ドナルド・サザーランドは認知症になりながら、妻の初恋(?)の男との関係が気になってしようがない。嫉妬する。その一方、妻の友人(隣人の女)と浮気していたことを、認知症が原因で洩らしてしまう。妻を愛人と勘違いして、昔の思い出を語るのである。
だれにでもプライバシー(秘密)があり、ひとは「秘密」に心を動かされるのである。「いま/ここ」にいる人の、「いま/ここ」だけでは見えないものを見るというのは、妙に「わくわく」する。不思議な「なつかしさ」がある。人間は「過去」を持っている、ということが、ひととひとをつなぐのかもしれない。
もうひとつ。
「匂い」のつかい方もおもしろかった。「嗅覚」はもっとも原始的な感覚である、といわれる。そのため最後まで「生き残る」感覚ともいう。
やっと辿りついたヘミングウェーの「家」で、ヘレン・ミレンは倒れ救急車で運ばれる。ドナルド・サザーランドは「だれか」を探しているが、だれを探しているかことばにできない。しかし、妻のバッグを見つけ、香水を嗅ぎ「妻を探している」と言うことができる。
これは、実は、最初に重要な「伏線」がある。ドナルド・サザーランドは車を運転しながら、ヘレン・ミレンに「おならをしただろう」と非難する。車の排気ガスが車内に流れ込んでいる。それを何とはわからないが、ドナルド・サザーランドは「匂い」としてつかみとっている。この「伏線」は「巧み」すぎるかもしれないが、なかなかいい。「排気ガス」にヘレン・ミレンは気づかなかったのだが、ドナルド・サザーランドのことばによって、それを知らされ、最後はそれを利用するというのは、「結末」としてきっちりしすぎているかもしれないけれど。
しかし、この「映画」も「映画」にするよりは、「舞台」にした方がおもしろそうだ。「ロードムービー」の「ロード」に私が実感をもてないからそう思うのかもしれないが。「実写」よりも「書き割り」と「ことば」だけの方が、役者の「肉体」が浮き彫りになって迫ってくると思った。
(KBCシネマ2、2018年02月14日)
*
「映画館に行こう」にご参加下さい。
映画館で見た映画(いま映画館で見ることのできる映画)に限定したレビューのサイトです。
https://www.facebook.com/groups/1512173462358822/
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うーん、いまひとつおもしろくない。
たぶん、これは私が「アメリカ大陸」を知らないから。ロードムービーなのだが、移動していく感じがよくわからない。「土地鑑」がない。木々の色や空気の色が、「土地」と結びつかない。背景の「土地」に対する愛着も感じられない。これは監督がイタリア人であるためか。
「映画」というよりも、「ストーリー」になってしまっている。
唯一おもしろいと思ったのは、ヘレン・ミレン、ドナルド・サザーランドが行く先々で、スライド写真を映してみるときに、「観客」がいるということ。最初は遠くからそっと見ている。次のシーンでは「いっしょに見ていいか」と若者が声をかけてくる。
他人の思い出(プライバシー)を見る、見たいのはなぜだろう。
ここが映画のポイントだね。
実際、ドナルド・サザーランドは認知症になりながら、妻の初恋(?)の男との関係が気になってしようがない。嫉妬する。その一方、妻の友人(隣人の女)と浮気していたことを、認知症が原因で洩らしてしまう。妻を愛人と勘違いして、昔の思い出を語るのである。
だれにでもプライバシー(秘密)があり、ひとは「秘密」に心を動かされるのである。「いま/ここ」にいる人の、「いま/ここ」だけでは見えないものを見るというのは、妙に「わくわく」する。不思議な「なつかしさ」がある。人間は「過去」を持っている、ということが、ひととひとをつなぐのかもしれない。
もうひとつ。
「匂い」のつかい方もおもしろかった。「嗅覚」はもっとも原始的な感覚である、といわれる。そのため最後まで「生き残る」感覚ともいう。
やっと辿りついたヘミングウェーの「家」で、ヘレン・ミレンは倒れ救急車で運ばれる。ドナルド・サザーランドは「だれか」を探しているが、だれを探しているかことばにできない。しかし、妻のバッグを見つけ、香水を嗅ぎ「妻を探している」と言うことができる。
これは、実は、最初に重要な「伏線」がある。ドナルド・サザーランドは車を運転しながら、ヘレン・ミレンに「おならをしただろう」と非難する。車の排気ガスが車内に流れ込んでいる。それを何とはわからないが、ドナルド・サザーランドは「匂い」としてつかみとっている。この「伏線」は「巧み」すぎるかもしれないが、なかなかいい。「排気ガス」にヘレン・ミレンは気づかなかったのだが、ドナルド・サザーランドのことばによって、それを知らされ、最後はそれを利用するというのは、「結末」としてきっちりしすぎているかもしれないけれど。
しかし、この「映画」も「映画」にするよりは、「舞台」にした方がおもしろそうだ。「ロードムービー」の「ロード」に私が実感をもてないからそう思うのかもしれないが。「実写」よりも「書き割り」と「ことば」だけの方が、役者の「肉体」が浮き彫りになって迫ってくると思った。
(KBCシネマ2、2018年02月14日)
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