詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

嵯峨信之『土地の名-人間の名』(1986)(83)

2019-08-10 09:17:12 | 嵯峨信之/動詞
* (少し足が痺れることがある)

きいたことのない音が聞えるときが
一日のどこかにある

 それは「足が痺れる」ことと関係があるのだろうか。たぶんあるのだろう。「きいたことのない音」が肉体を刺戟する。
 しかし「きいたことのない音」というのは、どうして「音」とわかるのだろうか。もしかすると「聴覚(鼓膜)」ではなく肉体の他の部分を刺戟しているのに、それを聴覚だと錯覚しているのではないか。
 「きいたことのない音」を嵯峨は、こう言いなおす。

時が他の時と擦れ合うのであろうか

 これは「聴覚」では聞き取れない。「音」は「意識」(思考)がつくりだす「何か」である。名づけられないものである。「時」を「詩」と「誤読」してみるのも楽しい。


*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
『誤読』販売のページ
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私あてにメール(yachisyuso@gmail.com)でも受け付けています。(その場合は多少時間がかかります)
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