* (少し足が痺れることがある)
それは「足が痺れる」ことと関係があるのだろうか。たぶんあるのだろう。「きいたことのない音」が肉体を刺戟する。
しかし「きいたことのない音」というのは、どうして「音」とわかるのだろうか。もしかすると「聴覚(鼓膜)」ではなく肉体の他の部分を刺戟しているのに、それを聴覚だと錯覚しているのではないか。
「きいたことのない音」を嵯峨は、こう言いなおす。
これは「聴覚」では聞き取れない。「音」は「意識」(思考)がつくりだす「何か」である。名づけられないものである。「時」を「詩」と「誤読」してみるのも楽しい。
*
詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
『誤読』販売のページ
定価の下の「注文して製本する」のボタンを押すと購入の手続きが始まります。
私あてにメール(yachisyuso@gmail.com)でも受け付けています。(その場合は多少時間がかかります)
きいたことのない音が聞えるときが
一日のどこかにある
それは「足が痺れる」ことと関係があるのだろうか。たぶんあるのだろう。「きいたことのない音」が肉体を刺戟する。
しかし「きいたことのない音」というのは、どうして「音」とわかるのだろうか。もしかすると「聴覚(鼓膜)」ではなく肉体の他の部分を刺戟しているのに、それを聴覚だと錯覚しているのではないか。
「きいたことのない音」を嵯峨は、こう言いなおす。
時が他の時と擦れ合うのであろうか
これは「聴覚」では聞き取れない。「音」は「意識」(思考)がつくりだす「何か」である。名づけられないものである。「時」を「詩」と「誤読」してみるのも楽しい。
*
詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
『誤読』販売のページ
定価の下の「注文して製本する」のボタンを押すと購入の手続きが始まります。
私あてにメール(yachisyuso@gmail.com)でも受け付けています。(その場合は多少時間がかかります)