詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

岩阪恵子『鳩の時間』

2019-08-25 22:34:45 | 詩集
鳩の時間
岩阪 恵子
思潮社


岩阪恵子『鳩の時間』(思潮社、2019年07月31日発行)

 岩阪恵子『鳩の時間』は散文の詩集。しかし、詩集というくくりでなくてもいいかもしれない。散文。文章。ことば。
 巻頭の「原田辰五郎氏」がいちばんおもしろい。最初に読んだから、その印象が強いのかもしれない。同人誌で読んだかもしれないが、詩集の方が印象が強い。たぶん、活字の組み方、本の紙質が影響しているのだろう。いわゆる詩集のような押しつけがましさ(いい紙をつかってるでしょ、という印象)がなくて、気持ちいい。思いついたので、忘れないうちに書いた、という自然な感じがつたわってくる。


 わたしの母かたの祖父は乳呑み子のとき、兵庫県のとある村の
辻に建つ道標の傍らに捨てられていたと聞いている。明治に元号
が変わって一五年ほどがたったころである。出生についてはなに
もわからない。捨て子はちょうど似たような月齢の赤ん坊がいる
地主の家に引き取られた。辰の年のことであったので辰五郎と名
づけられ、将来はその家の下働きにでもと育てられた。

 なかなかつらい人生の始まりである。しかし、「捨てられていたと聞いている」の「聞いている」がいい具合に「距離感」となって働いている。哀れさというか、同情に、どっぷりつかる感じではない。淡々とした響きがある。
 他の作品も淡々としている。清潔なことばの運びだが、この作品が特に自然な感じがするのは「聞いている」とことばの力が強い。
 それから語られることも、ほとんどが「聞いたこと」なのだが、聞きながら、辰五郎をしずかに想像している感じがつたわってくる。
 岩阪の印象だけではなく、

  ものを言わないひとで、直接叱られたことはなかったが、こ
わかった、と母はその父を評した。

 という具合に、他人の「感想」がことばを支えているのもいい。この部分につかわれている「評した」ということばも、とてもこの作品には似合っている。「言った」というよりも、そこに「視点」の明確さが付け加わっており、それが岩阪の感情を制御(抑制)している。

 原田辰五郎氏。彼の生涯には捨て子であったことを除けば取り
立てて記すほどの出来事はない。風に運ばれ知らぬ土地で芽を吹
いた一茎の雑草のような一生であったといえる。

 「取り立てて記すほどの出来事はない」という語り口、「雑草のような一生」という比喩。それはある意味で「定型」(決まり文句)である。けれど、「決まり文句」だけがもつ不思議な強さがある。つまり、他人によって「共有されてきたことば」の確かさがある。「決まり文句」が多くの人に共有されているように、原田辰五郎氏の生涯は、確かに「共有」されていくのである。知っている人には当然のことだが、その人を知らない私のような読者にも。


*

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嵯峨信之『土地の名-人間の名』(1986)(95)

2019-08-25 10:25:47 | 嵯峨信之/動詞
* (言葉からぬけ落ちた小さな仏の子を)

湯浴みさせ 名をつけよう
裸のままもう歩きだそうとする

 「名をつける」は美しい動詞だ。名前がなくても「仏の子」は存在する。もしかすると生まれたときからすでに名前を持っているかもしれない。それでも、「名をつける」。
 その存在に、そうやって近づいていく。「名をつける」ことは「関係する」ということだ。そして、それは一方的な働きかけではない。「名をつけ」たそのときから、「仏の子」から何かが返ってくる。
 嵯峨は「名」を呼びながら、「仏の子」が歩きだす方向へと追いかけていく。









*

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