「ことば」の裏表 (うら・おもて)
自民党憲法改正草案を読む/番外285 (情報の読み方)
桜井よしこが「慰安婦『贖罪』が韓国に利用された」という文章を「文藝春秋」9月号に書いている。
そのなかに、こんな文章がある。桜井は、元憲兵を取材したことがあるという。(丸数字は私がつけた。)
①元憲兵は、慰安所を訪れた兵士は必ず避妊具を用意しなければならず、
②女性が拒めば行為に及んではいけなかったと証言した。
③しかも、慰安婦の給料はかなり高額だった。
④この証言から見える慰安婦の実態は、「性奴隷」のイメージとは大きく異なる。
①兵士が避妊具をつけるのはなぜか。女性を妊娠させないためか。それとも自分自身が性病に感染しないためか。兵士なのだから、目的は後者だろう。女性が妊娠することが心配なら、最初から性交渉をしなければいい。
②実際に女性に拒まれ、性行為をしなかった兵士がいるのか。証言した憲兵はそういう経験があるのか。さらに、慰安婦は、兵士を拒否できる状況にあったのか。
①②には、慰安婦側からの「証言」がない。一方的な言い分にすぎない。
①に関していえば、女性が「性病が心配だから避妊具をつけて」と主張できたのかも重要なポイントだろう。そんなことは不可能だっただろう。行為の「主導権」は兵士の側にあっただろう。
②主導権が兵士にある限り、女性が性交渉を拒むということはむずかしい。セックスするのが目的の場所で、女性の拒否が成り立つのは、たぶん二人の間に「愛情」があるときくらいだろう。「欲望」しかないときに、それを拒まれて、兵士が「はい、わかりました」と考えるのはむずかしくないか。
③は、慰安婦を語るときかならず出てくる「ことば」だが、「高額」だとしたら、それでいいのか。金を払えば、女性にどんな仕事をさせてもいいのか。人間としての尊厳について、桜井がどう考えているかがわからない。人間の尊厳を金で買えるものと思っているのだろうか。
これは④につながる。
桜井は「性奴隷」のイメージとは大きく異なります、と書く。
しかし、それはあくまで桜井の「イメージ」である。ほかの人の思い描くイメージとは違うだろう。何よりも慰安婦の思い描くイメージとは違うのではないか。
ひとはだれでも自分の思い描くイメージで語る。それはしようがないことである。しかし、もしそのイメージに対して「反論者」がいる場合は、その人のことも配慮しないといけない。
慰安婦だった人が自分のしていたことを「性奴隷」と感じなかったのか。
この問題を抜きにして、「性奴隷」のイメージとは大きく異なる、などと言っても何にもならない。
桜井の文章には、どこにも「被害者」側からの視点というものが感じられない。「加害者」はいつでも自己弁護する。その自己弁護を鵜呑みにしている。
新聞にしばしば「いじめ」問題が取り上げられる。たいていの場合「いじめ」があったかなかったか、調査しないとわからない。いじめられているという実態があっても、「加害者」は「いじめではなかった、遊びだった」と言い逃れたりする。「いつも笑っていたから、苦しんでいるとは知らなかった」は、「高額の賃金をもらっているから、苦しんでいるとは知らなかった」と言うのに等しい。
ふつうの日々の「いじめ」でさえ、その実態や、被害者の苦悩がつたわりにくい。「第三者委員会」をつくっても、事実をつきとめるのに時間がかかる。戦時中の「慰安婦」がどんな実態であったかなど、簡単につかみきれないだろう。「性被害」は訴える(公にする)ことがむずかしい。どうしても「批判」がつきまとう。「賃金をもらっていた」となると、さらに桜井のように思う人も出てくる。「金をもらっていれば被害者ではない」。そんなことはないだろう。金ではどうしようもないものもある。
「加害者側」の憲兵の証言だけで、何がわかるだろう。苦しみを乗り越えて、やっと語り始めた「被害者」の声に耳を傾け、それに寄り添うという姿勢が大切なのだ。
#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位
*
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自民党憲法改正草案を読む/番外285 (情報の読み方)
桜井よしこが「慰安婦『贖罪』が韓国に利用された」という文章を「文藝春秋」9月号に書いている。
そのなかに、こんな文章がある。桜井は、元憲兵を取材したことがあるという。(丸数字は私がつけた。)
①元憲兵は、慰安所を訪れた兵士は必ず避妊具を用意しなければならず、
②女性が拒めば行為に及んではいけなかったと証言した。
③しかも、慰安婦の給料はかなり高額だった。
④この証言から見える慰安婦の実態は、「性奴隷」のイメージとは大きく異なる。
①兵士が避妊具をつけるのはなぜか。女性を妊娠させないためか。それとも自分自身が性病に感染しないためか。兵士なのだから、目的は後者だろう。女性が妊娠することが心配なら、最初から性交渉をしなければいい。
②実際に女性に拒まれ、性行為をしなかった兵士がいるのか。証言した憲兵はそういう経験があるのか。さらに、慰安婦は、兵士を拒否できる状況にあったのか。
①②には、慰安婦側からの「証言」がない。一方的な言い分にすぎない。
①に関していえば、女性が「性病が心配だから避妊具をつけて」と主張できたのかも重要なポイントだろう。そんなことは不可能だっただろう。行為の「主導権」は兵士の側にあっただろう。
②主導権が兵士にある限り、女性が性交渉を拒むということはむずかしい。セックスするのが目的の場所で、女性の拒否が成り立つのは、たぶん二人の間に「愛情」があるときくらいだろう。「欲望」しかないときに、それを拒まれて、兵士が「はい、わかりました」と考えるのはむずかしくないか。
③は、慰安婦を語るときかならず出てくる「ことば」だが、「高額」だとしたら、それでいいのか。金を払えば、女性にどんな仕事をさせてもいいのか。人間としての尊厳について、桜井がどう考えているかがわからない。人間の尊厳を金で買えるものと思っているのだろうか。
これは④につながる。
桜井は「性奴隷」のイメージとは大きく異なります、と書く。
しかし、それはあくまで桜井の「イメージ」である。ほかの人の思い描くイメージとは違うだろう。何よりも慰安婦の思い描くイメージとは違うのではないか。
ひとはだれでも自分の思い描くイメージで語る。それはしようがないことである。しかし、もしそのイメージに対して「反論者」がいる場合は、その人のことも配慮しないといけない。
慰安婦だった人が自分のしていたことを「性奴隷」と感じなかったのか。
この問題を抜きにして、「性奴隷」のイメージとは大きく異なる、などと言っても何にもならない。
桜井の文章には、どこにも「被害者」側からの視点というものが感じられない。「加害者」はいつでも自己弁護する。その自己弁護を鵜呑みにしている。
新聞にしばしば「いじめ」問題が取り上げられる。たいていの場合「いじめ」があったかなかったか、調査しないとわからない。いじめられているという実態があっても、「加害者」は「いじめではなかった、遊びだった」と言い逃れたりする。「いつも笑っていたから、苦しんでいるとは知らなかった」は、「高額の賃金をもらっているから、苦しんでいるとは知らなかった」と言うのに等しい。
ふつうの日々の「いじめ」でさえ、その実態や、被害者の苦悩がつたわりにくい。「第三者委員会」をつくっても、事実をつきとめるのに時間がかかる。戦時中の「慰安婦」がどんな実態であったかなど、簡単につかみきれないだろう。「性被害」は訴える(公にする)ことがむずかしい。どうしても「批判」がつきまとう。「賃金をもらっていた」となると、さらに桜井のように思う人も出てくる。「金をもらっていれば被害者ではない」。そんなことはないだろう。金ではどうしようもないものもある。
「加害者側」の憲兵の証言だけで、何がわかるだろう。苦しみを乗り越えて、やっと語り始めた「被害者」の声に耳を傾け、それに寄り添うという姿勢が大切なのだ。
#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位
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