詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

「ことば」の裏表 (うら・おもて)

2019-08-17 18:30:34 | 自民党憲法改正草案を読む
「ことば」の裏表 (うら・おもて)
             自民党憲法改正草案を読む/番外285 (情報の読み方)

 桜井よしこが「慰安婦『贖罪』が韓国に利用された」という文章を「文藝春秋」9月号に書いている。
そのなかに、こんな文章がある。桜井は、元憲兵を取材したことがあるという。(丸数字は私がつけた。)

①元憲兵は、慰安所を訪れた兵士は必ず避妊具を用意しなければならず、
②女性が拒めば行為に及んではいけなかったと証言した。
③しかも、慰安婦の給料はかなり高額だった。
④この証言から見える慰安婦の実態は、「性奴隷」のイメージとは大きく異なる。

 ①兵士が避妊具をつけるのはなぜか。女性を妊娠させないためか。それとも自分自身が性病に感染しないためか。兵士なのだから、目的は後者だろう。女性が妊娠することが心配なら、最初から性交渉をしなければいい。
 ②実際に女性に拒まれ、性行為をしなかった兵士がいるのか。証言した憲兵はそういう経験があるのか。さらに、慰安婦は、兵士を拒否できる状況にあったのか。
 ①②には、慰安婦側からの「証言」がない。一方的な言い分にすぎない。
 ①に関していえば、女性が「性病が心配だから避妊具をつけて」と主張できたのかも重要なポイントだろう。そんなことは不可能だっただろう。行為の「主導権」は兵士の側にあっただろう。
 ②主導権が兵士にある限り、女性が性交渉を拒むということはむずかしい。セックスするのが目的の場所で、女性の拒否が成り立つのは、たぶん二人の間に「愛情」があるときくらいだろう。「欲望」しかないときに、それを拒まれて、兵士が「はい、わかりました」と考えるのはむずかしくないか。
 ③は、慰安婦を語るときかならず出てくる「ことば」だが、「高額」だとしたら、それでいいのか。金を払えば、女性にどんな仕事をさせてもいいのか。人間としての尊厳について、桜井がどう考えているかがわからない。人間の尊厳を金で買えるものと思っているのだろうか。
 これは④につながる。
 桜井は「性奴隷」のイメージとは大きく異なります、と書く。
 しかし、それはあくまで桜井の「イメージ」である。ほかの人の思い描くイメージとは違うだろう。何よりも慰安婦の思い描くイメージとは違うのではないか。
 ひとはだれでも自分の思い描くイメージで語る。それはしようがないことである。しかし、もしそのイメージに対して「反論者」がいる場合は、その人のことも配慮しないといけない。
 慰安婦だった人が自分のしていたことを「性奴隷」と感じなかったのか。
 この問題を抜きにして、「性奴隷」のイメージとは大きく異なる、などと言っても何にもならない。
 桜井の文章には、どこにも「被害者」側からの視点というものが感じられない。「加害者」はいつでも自己弁護する。その自己弁護を鵜呑みにしている。

 新聞にしばしば「いじめ」問題が取り上げられる。たいていの場合「いじめ」があったかなかったか、調査しないとわからない。いじめられているという実態があっても、「加害者」は「いじめではなかった、遊びだった」と言い逃れたりする。「いつも笑っていたから、苦しんでいるとは知らなかった」は、「高額の賃金をもらっているから、苦しんでいるとは知らなかった」と言うのに等しい。

 ふつうの日々の「いじめ」でさえ、その実態や、被害者の苦悩がつたわりにくい。「第三者委員会」をつくっても、事実をつきとめるのに時間がかかる。戦時中の「慰安婦」がどんな実態であったかなど、簡単につかみきれないだろう。「性被害」は訴える(公にする)ことがむずかしい。どうしても「批判」がつきまとう。「賃金をもらっていた」となると、さらに桜井のように思う人も出てくる。「金をもらっていれば被害者ではない」。そんなことはないだろう。金ではどうしようもないものもある。
 「加害者側」の憲兵の証言だけで、何がわかるだろう。苦しみを乗り越えて、やっと語り始めた「被害者」の声に耳を傾け、それに寄り添うという姿勢が大切なのだ。


 
#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位 
 


*

「天皇の悲鳴」(1000円、送料別)はオンデマンド出版です。
アマゾンや一般書店では購入できません。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977

ページ右側の「製本のご注文はこちら」のボタンを押して、申し込んでください。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「慰安婦」問題(情報との向き合い方)

2019-08-17 11:57:25 | 自民党憲法改正草案を読む
「慰安婦」問題(情報との向き合い方)
             自民党憲法改正草案を読む/番外284(情報の読み方)

 いま、「韓嫌派」のひとたちにもてはやされている動画ある。韓国の学者・イ・ウヨンが「慰安婦像はそれ自体が歴史歪曲」と語る動画である。そのなかで、イは、「慰安婦は性奴隷ではなかった。売春業が存在していた朝鮮であえて強制連行する必要がない。希望すれば朝鮮に帰れた。高額の賃金が与えられていた。奴隷とは呼べない」という具合に語っている。
 私が問いたいのは、「高額な賃金が与えられれば性奴隷とは呼べない」という「認識」が人間の尊厳について語るときふさわしいものかどうかである。
 女性を性の対象としか見ない、性の対象としてのみ取り扱う。これは人権侵害である。金を払えば人権侵害がなくなるかといえば、そうではないだろう。金を払うからこそ人権侵害であるという論理も成り立つ。人間の尊厳を金に換算しているのだから。
 いまの人権感覚ではなく、「売春業が存在していた」当時の朝鮮の「認識」から見るべきだとイは言うかもしれないが、「当時」女性の人権に対する認識が不十分だったからそれでいいとはいえない。「いま」から見て間違っているのなら、それは間違っている。言うとするなら、「当時は間違った認識しか持てなかったので、女性たちは売春業を受け入れてしまった」ということだろう。そして、それが間違っていると気づいたからこそ、「慰安婦」たちは告発する。
 どんな告発でも、「間違い」に気づいたときが出発点だ。気づいたからこそ、「過去」に遡って告発するのであって、それを「過去の時点」では「間違いではなかった」というのは反論にならない。

 「慰安婦」は極限状況(戦争)のなかで起きたが、戦争のない「現代」の社会を見ても、告発は気づいた段階でおこなわれることは、だれにでもわかるはずだ。たとえばトランプは過去にセクハラをした。アメリカの女優たちはプロデューサーからセクハラをされた。最近はプラシド・ドミンゴもセクハラで訴えられている。「過去」に遡って訴えられている。「過去」にならないと(時間が経たないと)、訴えられないこともあるのだ。被害者自身がどう自分の傷を癒すか(立ち直れるか)という問題もあるし、訴えが社会に共有されるかどうかという問題もある。
 人間には、つねに「いま」しかない。「いま」を生きるだけである。つまり、それは単に「過去」を告発しているのではなく、「いま」をも告発している。性被害を受けた女性と社会はどう向き合うべきなのか、それを問いかけている。
 「売春業が存在していた朝鮮」「賃金が与えられた」というような「過去」を持ち出してきて、人権侵害を「正当化」してはいけない。

 という問題のほかに、もうひとつ奇妙な問題が残る。
 「韓嫌派」のひとたちは、ことあるごとに韓国人を否定する。日本に特別永住権を持っている人たちをも攻撃する。論理的というよりは、「生理的」に排除する。
 その一方で、イのような韓国人の発言を正しいものとして絶賛する。
 それまでの「韓嫌」はどこへ消えた? と思ってしまう。あなたの脳は、いまイという韓国人になっているのだけれど、それで平気?
 そんなことに、たぶん気づいていない。イの発言をシェアしている人は。
 人間の脳は「自己中心主義」である。自分に都合のいいことだけ、選択して受け入れる。イの主張は「慰安婦は存在しない」という「韓嫌派」のひとにとって都合がいいから、それを受け入れ、その瞬間にはイが韓国人である不都合な事実を忘れてしまうのだ。

 これは、とくに「韓嫌派」の人にかぎられた特徴ではないだろうと思う。多くの人が、自分が共感できた意見だけを選んで「シェア」する。あたかも自分で考えた意見であるかのように。シェアすれば、自分がその意見を考え出した人間であると思うのかもしれない。脳は自己中心主義だから、そう思うことには抵抗を感じない。

 「コピー&ペースト」の時代にあって、「意見」というものを振り返ってみる必要があると思う。いたるところに意見があり、「コピー&ペースト」(シェア)した瞬間、それは自分と一体化したように見える。でも、それでいいのか。
 シェアはシェアで「共有」という新しい感覚を呼び覚ますが、「共有」に頼るのではなく、自分の「ことば」を動かすことが大事ではないだろうか。「共有感覚」は、本来拡散していくはずのものなのに、ネットでおこなわれている「共有」は、同じ意見のもの同士が「とじこもる」ための砦になっている気がする。

 もし「共有」が「連帯」につながるのだとしたら。

 韓嫌派の人たちは韓国を排除しようとしながら、イという韓国人と連帯している。そのとき韓嫌派の人は、ほんとうに韓嫌派? 韓嫌派の人たちは韓嫌派のままであり、イは韓国人でありながら韓嫌派ということになるのか。でも、イが「韓嫌派」であることを、どうやって確かめるだろうか。
 ややこしいでしょ?
 結局、「人」ではなく、「ある運動(ことば)」とだけ、ひとは「連帯」する。「思想」と「連帯」する。
 だとしたら、連帯するべき人を「人種」とか「国籍」で選別してはいけないのだ。「思想」とのみ「連帯」すべきなのだ。

 女性を性の対象としてのみ取り扱うことは、人間として正しいのか。間違っているのか。「慰安婦」が突きつけてくる問題は、それだけである。「慰安婦」が存在していいたのが「過去」であるかどうかではない。いまでも女性を性の対象としてした認めない風潮がある。「人権」というのは、いつでも「いま」の問題である。



 
#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位 
 


*

「天皇の悲鳴」(1000円、送料別)はオンデマンド出版です。
アマゾンや一般書店では購入できません。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977

ページ右側の「製本のご注文はこちら」のボタンを押して、申し込んでください。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする