詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

昭和天皇の会話記録

2019-08-20 14:47:34 | 自民党憲法改正草案を読む
昭和天皇の会話記録
             自民党憲法改正草案を読む/番外287(情報の読み方)

 2019年08月20日の読売新聞一面。

再軍備、憲法改正 言及/昭和天皇の会話記録公開

 宮内庁長官をつとめた田島道治が昭和天皇とのやりとりを記録した「資料の一部」がNHKによって19日公開された。「一部」なので、全体の文脈がわからないが、その中で昭和天皇は「再軍備」「憲法改正」に言及しているという。
 見出しにはとられていないが、時系列でいうと、それよりさきに昭和天皇は独立回復を祝う式典のことばに「反省」ということばを入れたかったという。そのあと「憲法改正、再軍備」ということばが出てくる。(見出しとは、順序が逆。引用は一部文字を書き換えた。)

①52年1月には、「私ハ反省といふ時をどうしても入れねばならぬと思ふ」と発言。

③52年2月、「私は憲法改正ニ便乗していろいろの事が出ると思つて否定的に考へてたが今となつては他の改正ハ一切ふれずに軍備の点だけ公明正大に堂々と改正してやつた方がいい様ニ思ふ」と、再軍備と憲法改正の必要性に言及した。

 こうした発言は憲法違反になるため田島がいさめたらしいが、そうした経緯を読むと、昭和天皇は「憲法」をほんとうに読んでいたのかどうか、疑問に感じる。
 さらに①と③の間には、こういう事実がある。

②吉田首相が「(反省ということばを明記すると)戦争を御始めになつた責任があるといはれる」と反対し、削除された。

 これは、どういうことだろうか。
 ①だけを読むと、昭和天皇は戦争について「反省」しているようにみえる。吉田の発言は、昭和天皇にどういう形でつたわったのか知らないが、「反省」は削除された。どういう形でつたわったか知らないが、とわざわざ書いたのは、昭和天皇がどう受け止めたのかわからないという意味である。
 もしかすると、戦争に対して昭和天皇は一切の責任がないのだから「反省」と言ってはいけないという意味でつたわったかもしれない。反省しなくていい、とつたわったかもしれない。
 「反省」しなくていいなら、「憲法」も改正し、「再軍備」もすすめればいい、と理解したとも受け取ることができる。だいたい天皇が、「憲法」のどの部分を「改正」しようと思っていたのか、それがわからない。「象徴」ではいやだ、「元首」にしろ、と思っていたかもしれない。
 一面に、

④「再軍備によつて旧軍閥式の再台頭はいやだ」と述べる

 と書いてある。そうした記事を引き継いだ社会面(30面)には、こうある。

⑤52年2月20日には、(略)「私の届かぬ事であるが軍も政府も国民もすべて軍部の専横を見逃すとか皆反省すればわるい事があるからそれらを皆反省して繰返したくないものだ」と述べたという。

 私には、昭和天皇が「元首」になって、軍を把握できれば、侵略戦争は起きない、だから再軍備しろ(そう改憲しろ)と主張しているようにも感じられる。
 NHKが公開したのが一部なら、それを記事にしている読売新聞の記事はさらに一部だろう。日付も明確に書かれているのは「52年2月20日」だけである。
 ただ「1月」に「反省」と言いながら、「2月」に「憲法改正」「再軍備」というのはかなり急転換という感じがする。新憲法が公布されていらい、ずっと「改憲」「再軍備」を昭和天皇は考えていたとも想像できる。①の「反省」は、②の「改憲」「再軍備」をするための「前提」と考えたのかもしれない。「反省」を名言しないことには、「改憲」「再軍備」が許されるはずがない。だから、先に「反省」を明言する。
 「52年」という時期も、非常に微妙だ。問題が大きい。朝鮮戦争(52年2月20日)のさなかである。朝鮮半島で起きている「戦争」にリアルタイムで触れているときに、「再軍備」を口にする。それは9条の「戦争放棄」の精神とは、どうも相いれない。民族を分断する戦争を見ながら「戦争はぜったいにだめだ」と反省するのではなく、「再軍備が必要だ」と考えるのは、とても真摯に「反省」している人間の思考とは思えない。
 戦争になれば必ず人は死ぬのだ。それがわかっていないのではないか。つまり、昭和天皇は「反省」していないのではないか。

 「一部」ではなく、資料の全部が公開されれば、もっといろいろなことがわかるのだと思うが、この「一部」しかわからないところから、私はまたまた邪推する。
 NHKは、なぜこの部分を「一部」として選択し、公開したのか。安倍の「改憲/再軍備(自衛隊の憲法明記)」を後押しするためではないのか。昭和天皇でさえ、52年(新憲法から10年も経っていない段階)で、「改憲」「再軍備」を考えていた。「改憲」「再軍備」は日本にとって絶対に必要なことなのだ、後押しするためではないのか。
 上田NHKの姿勢と関係づけながら、今後、どういう「部分」が公開されるか、それを注目しなければならないと思う。


 
#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位 
 


*

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嵯峨信之『土地の名-人間の名』(1986)(90)

2019-08-20 07:54:25 | 嵯峨信之/動詞
* (知るということの遠さは)

もはや読むことでも歩くことでもたどりつけない

 このとき嵯峨は「知る」という動詞をどう把握しているのか。
 「知る」と「読む」をどこかで結びつけている。読んで知ったことを「知識」というかもしれない。ここでは「頭」が動いている。
 一方、遠さを「歩く」という動詞でとらえている。「肉体(全身)」が動いている。肉体で「遠さ」を「たどりつけない」ととらえなおしている。

失つたものが日を浴びてきれいな列となつて並んでいる

 これは「目」で見ている。「目」は「読む」に通じるかもしれない。「見る」である。このとき「肉体(全身)」は動いていない。
 嵯峨は「精神」で苦悩する。「肉体」では苦悩しない。





 


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