* (ぼくが小さな水溜りになると)
「そこに自分の生を映すこともあろうか/風が吹けば顫え/夜がくれば瞼を閉じる」と美しくはじまる詩。覗き込みこむことは、覗き込まれること。その交錯する動きが魅力的だ。
後半、ことばのリズムは転調する。
「明日」は「時の空地」と言いなおされている。厳密には「明日」になるまでが「時の空地」かもしれないが、「かならず……するだろう」という期待は裏切られるためにある。「やっぱり……しなかった」は絶望であると同時に予感が的中してしまったと感じるような、妙な安心感がある。
これは「ひとすじの道」に似ている。けっして消えない「真実」のようなものである。「敗北」の感覚が「抒情」をととのえ、支える。
*
詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
『誤読』販売のページ
定価の下の「注文して製本する」のボタンを押すと購入の手続きが始まります。
私あてにメール(yachisyuso@gmail.com)でも受け付けています。(その場合は多少時間がかかります)
「そこに自分の生を映すこともあろうか/風が吹けば顫え/夜がくれば瞼を閉じる」と美しくはじまる詩。覗き込みこむことは、覗き込まれること。その交錯する動きが魅力的だ。
後半、ことばのリズムは転調する。
明日はかならずそこにだれかがくるだろう
時の空地にはいまだれの姿もなくひとすじの道だけがある
「明日」は「時の空地」と言いなおされている。厳密には「明日」になるまでが「時の空地」かもしれないが、「かならず……するだろう」という期待は裏切られるためにある。「やっぱり……しなかった」は絶望であると同時に予感が的中してしまったと感じるような、妙な安心感がある。
これは「ひとすじの道」に似ている。けっして消えない「真実」のようなものである。「敗北」の感覚が「抒情」をととのえ、支える。
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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
『誤読』販売のページ
定価の下の「注文して製本する」のボタンを押すと購入の手続きが始まります。
私あてにメール(yachisyuso@gmail.com)でも受け付けています。(その場合は多少時間がかかります)