詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

嵯峨信之『土地の名-人間の名』(1986)(86)

2019-08-13 09:30:15 | 嵯峨信之/動詞
* (渚をねむらせようと)

砂丘を閉じる
静かな夜も思いだせない小さな港がある

 この詩も「主語」をそのまま読むことがむずかしい。あるいは「動詞」をそのまま読もうとするとつまずいてしまう。私には逆のイメージが強すぎて、嵯峨のことばについていけない。だから読み替えてしまう。

砂丘ねむらせようと
渚を閉じる

 渚と砂丘を比較すると、渚の方が動いている。音を立てている。音は眠りをさまたげる。砂丘を眠らせるためには、渚は動きを止めないといけない。私の持っているイメージでは、そうなる。けれど嵯峨は逆に書いている。
 「砂丘を閉じる」とはどういうことなのか。ことばとしては、言えるが、具体的な姿にはならない。「えっ」とうい驚きが私の肉体を突き破る。
 
静かな夜も思いだせない小さな港がある

 この一行もことばは理解できるが、具体的に思い浮かべようとするとつまずく。「思いだせない」のに「小さな港」を思っている。「ある」という思いが強すぎて、ほかの細部(?)じわからなくなるのか。
 何か過剰なものがあり、それが存在を越えて動く。ことばが一瞬破壊される。その瞬間に詩が噴出する。それを別のことばで定着させようとすると、何もかもが消えてしまう。詩は、そういうものかもしれない。






*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
『誤読』販売のページ
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