詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

GSOMIA破棄

2019-08-23 10:15:07 | 自民党憲法改正草案を読む
GSOMIA破棄
             自民党憲法改正草案を読む/番外288(情報の読み方)

 韓国が日韓のGSOMIA破棄を決めた。私はまだ読売新聞(2019年08月23日朝刊、西部版・14版)しか読んでいないのだが、こういう情報(安倍がどたばたしている情報)は、読売新聞がいちばんおもしろい。起きたことの「本質」のようなものが見える。
 「スキャナー」(3面)は2本の記事から構成されている。それぞれの記事の末尾の部分が非常におもしろい。

①米国は、北朝鮮や中国の弾道ミサイルから米本土を守るため、在韓米軍の最新鋭ミサイル防衛システム「最終段階高度地域防衛(THAAD)」と在日米軍、米本土のレーダーを一体運用することを望んでいる。このため日韓GSOMIAは不可欠という。

 この文章には、「日本の安全を守るため」とは書いていない。アメリカは米本土を「弾道ミサイル」から守るために韓国に基地を持っている。日本にも基地を置いている。アメリカは韓国から軍事情報の提供を受け、さらに日本から軍事情報の提供を受け、それをまとめればいいだけだから、別に困ることもなさそうだが。
 そうではない。
 GSOMIAが破棄されると、韓国が持っている軍事情報を日本に伝える(日本を米本土攻撃の防波堤にする)には、韓国の許可がいることになる。日本の米軍基地を有効に活用できない。逆も同じ。日本の持っている情報を利用し、韓国での米軍の存在感を高めるには、やはり日本の情報を韓国に伝える許可がいる。
 アメリカが困っている。日本が攻撃対象になったとき困るのではなく、在日米軍基地が攻撃対象になったとき困る。陸上イージスに情報が効果的に伝えられなければ、ハワイやグアムも危ない、とは読売新聞には書いていないが、まあ、「米本土」と露骨に書いていることから充分推測できる。

②元海上自衛隊自衛艦隊司令官の香田洋二氏は、GSOMIA破棄の影響について「実務的に困るのは日本より韓国側だ。近年、GSOMIAに基づいて交換する情報の多くは北朝鮮の弾道ミサイルに関するもので、日本から提供する情報の方が、韓国政府の判断に有益だった」としている。

 ここにも「弾道ミサイル」ということばが出てくる。「GSOMIAに基づいて交換する情報の多くは北朝鮮の弾道ミサイルに関するもの」と。
 「GSOMIA」は「軍事情報包括保護協定」と訳されているが、「弾道ミサイル情報交換協定」と呼んだ方がいいのではないか。実際はそうなのかもしれないが、「弾道ミサイル」ということばを入れてしまうと「露骨」なので「軍事情報」とオブラートに包んでいるのだ。
 基本的に「弾道ミサイル」とは遠い距離を飛ぶものである。もちろん韓国にとっても、そういう情報はあるにこしたことはないが、もっとほかの情報の方が韓国には有益だろう。ソウルは、行ったことがある人はわかるかもしれないが、38度線のすぐ近くである。ソウルを攻撃するのに「弾道ミサイル」は必要ない。つかった方が効果的かもしれないが、つかわなくてすむならつかわないだろう。「弾道ミサイル」は日本とか、アメリカとか、遠い場所を攻撃するのに効果的だ。スイッチを押すだけで、自国の兵士が犠牲になることもない。
 「弾道ミサイル」の攻撃を気にしているのは、安倍である。それも日本を攻撃する(日本が射程に入る)ミサイルではなく、アメリカを射程に収めるミサイルである。米国を射程に入れる大陸間弾道弾(ミサイル)で日本を攻撃するというような「無駄」は、北朝鮮や中国がするはずがない。そんな「無駄金」はつかわないだろう。
 香田の発言は「日本」と「韓国」を入れ替えて読むと、現実にぴったり合う。

 読売新聞は、韓国が悪い(韓国が困るはずだ)、と書こうとしているのだが、「軍事問題」なので、どうしても「一番重要」なことがどうしても紛れ込む。弾道ミサイルは、アメリカ本土を攻撃するためのものであり、アメリカ本土を攻撃させないためには、日本と韓国という「地理的な位置」が重要だとアメリカが考えていること、それに安倍が一生懸命応じようとしている、ということが、読売新聞の記事からわかる。安倍の一生懸命を支えるために、「韓国が困るはず」とむりやり日韓を入れ替えている。


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嵯峨信之『土地の名-人間の名』(1986)(93)

2019-08-23 09:15:58 | 嵯峨信之/動詞
* (未知のあいだに愛がかくれている)

 「未知のあいだ」は矛盾に満ちたことばである。「未知」は知られていない。「あいだ」はどうやって認識するのか。
 「未知」そのものの「あいだ」なのか、「未知」と「既知」の「あいだ」なのか。後者だろう。

だれの口からも漏れない愛の言葉がある
石が知つている

 「だれの口からも漏れない」なら、それは「他人」には「未知」のことばである。でも自分は知っている。その知っていることを「石」にあずける。そのことを知っているのは、嵯峨だけだ。







*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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