詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

菅井敏文『コラージュⅡ』

2019-08-29 10:48:44 | 詩集
コラージュ II: 詩集
菅井 敏文
洪水企画


菅井敏文『コラージュⅡ』(洪水企画、2019年08月25日)

 菅井敏文『コラージュⅡ』は、最初の方に書かれている詩がおもしろい。とくに巻頭の「なにものか」が楽しい。

なにものかでないことはできない
人はそこにいるところでなにものかであり
引き受けるしかないなにものかとされることで
なにものかとなっている
なにものかは生活の動力としてあり
とどまらずなり続けるものとして転質をしていく
なにものかはなにものか以外によって生じてこない
どんななにものかでも心を尽くして生きて
存在の可能性を広げるなにものかに向かうしかない
変わるも変わらないもどちらでもよいこと
なにものかでありつづけ超えつづける意志に
仮託をして流れていく

 何が書いてあるか。何も書いてないかもしれない。書くことが何もなくても、書くことはできるのである、と書くと菅井に叱られるか。
 逆に言おう。何を読み取ることができるか。何も読み取ることができない。何を読み取ることができなくても、そこに何かが書かれていたということだけは読み取れる。
 それでいいのだと思う。
 何を読み取ったと書いたにしろ、それは作者には関係がない。読み取ったことは、読み取った私の「意味」を超えない。私のなかにとどまりつづける。
 感想というものは、そういうものだ。

 私は「転質」ということばを知らない。つかったことがない。けれど、「質」が「転々」と動いていくのだろうと推測する。「とどまらず」「なり続ける」ということばが、そう読んでもかまわないと告げている。
 いちばん気に入ったのは、

なにものかはなにものか以外によって生じてこない

という一行である。逆であってもいいかもしれないが、菅井は逆は嫌いなのだ。つまり、「なにものかはなにものか以外によって生じる」ということが。菅井は「自己完結」が好きなのだ。私は「完結」が嫌いだから、「自己完結」を好む人を見ると、ふっと気がつくのである。あ、いま私は「自己完結」しそうになっていたかもしれない、と。そして、それを気づかせてくれたひとに感謝する。
 こんなことは感想ではないかもしれないが、感想ではないからこそ、感想なのだ。と、書くと「自己完結」しそうである。
 だから、別なことを書く。

 最終行は、「なにものか」ではなくなっている印象が残る。抒情になっている。抒情うになってはつまらない。

 「差異」「こてこて」も楽しかったが、めんどうくさい詩もたくさんあった。十篇くらいの小さな詩集か、あるいは逆に百篇以上の分厚い詩集か、どちらかの方が迫力があったのではないかと、ふと思った。






*

評論『池澤夏樹訳「カヴァフィス全詩」を読む』を一冊にまとめました。314ページ、2500円。(送料別)
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168076093


「詩はどこにあるか」2019年4-5月の詩の批評を一冊にまとめました。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168076118
(バックナンバーについては、谷内までお問い合わせください。)

オンデマンド形式です。一般書店では注文できません。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。



以下の本もオンデマンドで発売中です。

(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512

(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009

(3)評論『高橋睦郎「つい昨日のこと」を読む』314ページ。2500円(送料別)
2018年の話題の詩集の全編を批評しています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804


(4)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455

(5)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977





問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

嵯峨信之『土地の名-人間の名』(1986)(99)

2019-08-29 08:09:29 | 嵯峨信之/動詞
* (一対-無数)

一からながれでる透明なピアニシモはとどまるところがない

 「とどまるところがない」の強さに打たれる。
 このときの「ところ」というのは、文法的には何というのだろうか。「ところ」というと「場所」のようだが、「場所」を超えた次元を指しているように思える。「こと」というのに似ているし、「とき」というのにも似ている。いや、そういう「名詞」で言いなおすよりも、「ところ」ということばから引き返すようにして、動きつづける「運動」そのものをあらわしているように感じる。
 「とどまる」自体は「動かない」のだが、それを否定することによって、おさえようとしてもおさえようとしても、内からあふれてくる運動。
 「一」と「無数」が対比されているように、「ながれでる」と「とどまる」が拮抗して、「動き」そのものが「具体的な力」になっている。





*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
『誤読』販売のページ
定価の下の「注文して製本する」のボタンを押すと購入の手続きが始まります。
私あてにメール(yachisyuso@gmail.com)でも受け付けています。(その場合は多少時間がかかります)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする