詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

嵯峨信之『土地の名-人間の名』(1986)(75)

2019-08-02 08:48:41 | 嵯峨信之/動詞
* (どこを歩いても脚もとから大地は時に盗まれる)

時のストレートな通過を
足ぶみしながら待つ

 「時のストレートな通過」は「時はストレートに通過する」と言いなおせるか。言いなおせないかもしれないが、私は、そう読み直す。
 時は通過するが、嵯峨は「足ぶみをする」。「足ぶみをする」は「待つ」と言いなおされている。あるいは「待つ」という動詞を先取りするように、「足ぶみをする」は動いているかもしれない。「待つ」という「時」を「足ぶみをする」ことで埋めていく。
 このとき「待つ」嵯峨自身の「時」はどんなふうに動いているか。「ストレート」に動いているのか。通過することができずに、積み重なるようにあふれてくる。それを押さえつけるように足で踏んづけている。何のために? 「時」が過ぎていかないように、か。
 嵯峨は、その「時」に「盗まれる」何を心配しているのだろう。あるいは、盗まれてしまった大地で、何をするつもりなのだろう。その答えがわかるまで、嵯峨は「足ぶみをしながら」答えを「待つ」という同義反復が、ここにある。






*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
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