詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

嵯峨信之『土地の名-人間の名』(1986)(76)

2019-08-03 14:01:12 | 嵯峨信之/動詞
* (いくたびとなく小さな死が横切つた)

ある名は忘れ ある名は覚えている

もはや日ごと夜ごとに自分からもはるかに遠ざかつている

 「ある名は忘れ」と書くとき、嵯峨は何を覚えているだろうか。「ある名は覚えている」と書くとき、覚えているのは「名」だけだろうか。「名」は明示されているが、明示されていないものが同時に存在する、あるいは存在した。
 しかし、それは「遠ざかつている」。
 この「……ている」が私にはとても複雑に感じられる。「遠ざかっていく」ではなく、「遠ざかりながら/そこに存在する(ある)」。
 これは何か。
 嵯峨は「小さな死」と呼んでいる。--と読んでみる。




*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
『誤読』販売のページ
定価の下の「注文して製本する」のボタンを押すと購入の手続きが始まります。
私あてにメール(yachisyuso@gmail.com)でも受け付けています。(その場合は多少時間がかかります)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

stoy loco por espana (番外38)

2019-08-03 06:26:32 | estoy loco por espana


Joaquin Llorens Santaの作品。

ホアキンの作品には強い力がある。
鉄そのものが生きている。
それは人間か木のように天に向かって生長していく。
木のようにと書いてしまうのは、この作品が木を思わせる形をしているからだ。
しかし、木ではなく、炎かもしれない。
それは人間か炎のように天に向かって生長していく。
あるいは、祈りのように。

ホアキンの作品は、屋外に設置されると、いっそう強くなる。
屋外の広さ、太陽の強い光が、作品を育て上げる。
「私はこれから大きくなる。もっと大きくなる」と作品の叫んでいる声が聞こえる。

El trabajo de Joaquín es fuerte.
El hierro mismo está vivo.
Crece hacia el cielo como seres humanos o árboles.
Lo escribo como un árbol porque este trabajo tiene forma de árbol.
Pero puede ser una llama, no un árbol.
Crece hacia el cielo como seres humanos o llamas.
O como la oración.

El trabajo de Joaquín se vuelve aún más fuerte cuando se instala en exteriores.
El área exterior y la fuerte luz del sol elevan el trabajo.
Puedo escuchar los gritos de la obra: "Me estoy haciendo más grande. Me estoy haciendo más grande".





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする