さんぽさんぽ | |
坂多 瑩子 | |
思潮社 |
坂多瑩子『さんぽさんぽ』(思潮社、2019年07月31日発行)
私は以前から『おばさんパレード』という本を書きたいと思っている。おばさん詩人の作品の感想集だ。おばさんという「人種」は、男とも女とも違う。他人に自分の「肉体」を食わせながら生きている。きっと自分の「肉体」を食わせるふりをしながら、他人を食っているのだろう。どの作品も、そんな感じで「するり」と関係が入れ代わる。食わせているのか、食っているのか。どっちだっていいじゃないか。そうやって互いに生きている。このときの「互い」という「世間」が「おばさん」の「おばさん」たるゆえんだ。
「世間」というのは、私だけの感覚かもしれないが、男は苦手だ。女は「おばさん詩」を書けるのに、男は「おじさん詩」が書けない。「世間擦れ」できないのだ。互いに生身の肉体をこすりあわせて、どっちもどっちと言うことができない。「肩書」を頼りに「私はあなたとは違います」と言ってしまう。
「おばさん」は「肉体」一つを武器に、「それがどうかしましたか」と開き直る。この開き直るというのは、自分の「肉体」を、さらに開いて見せるということなんだけれどね。このときの「肉体」を、私は「思想」と呼ぶのだけれど。
と、書いたら、ちょっと面倒くさくなってきた。
もう一歩、突き進んで書かないといけないような気がするし、これ以上書いたら嘘になってしまうし。つまり、感じたことではなく、考えたことになってしまいそうだし。
でも、もう少し書いてみるか。
「穴」という作品。
あちこちに
穴があいていて
妹がかならずついてくる 今日もいる
二人で穴に落っこちて
穴って入り口はせまいけど中はいつだって広間みたいにひろい
妹は
どんどんおおきくなる
あたしの
背丈を追い越していく
布団ちゃんとたたまないとおこられるよ
ヒステリックにいう
母親そっくり
妹はおおきくなりすぎて穴からでられない
あたしは知らんふりして家にかえる
昼ご飯たべて 夜ご飯になって
妹はいないけど
誰もさわがない いないよといったら
探しておいでといわれた
仕方ないから探すふりして穴から穴をのぞいてやった
懐中電灯がみつけたのは欠けた茶わんだけだった
あれっ、なんだか「おばさん」っぽくない。何というか、「世間」という感じが薄まっている。
うーん、これが、今回の感想になるのか。
「母親そっくり」という「批評」は、それはそれでいいのかもしれないが、ちょっとととのえられすぎているかなあ。
「妹はおおきくなりすぎて穴からでられない」という「意地悪」がもっと動くとおもしろいのだけれど。「いい気味」というのは、自分では何もできないときの、いちばんの仕返し。そういうことを平気で(?)するのが「おばさん」なのだけれど、それが薄まっている。
妹はいないけど
誰もさわがない いないよといったら
探しておいでといわれた
このあたりは、坂多の「純粋さ」が「正直」になって出ている。「意地悪」をもち続けることができない。
で、あ、そうだった。坂多はほかの「おばさん」と違ってこういうところに特徴があったんだなあと思い出したりするのだが。
そうか、「おばさん」を卒業して「純粋」へもう一度引き返していくのか。人間は歳をとると、子供に帰る。
「次の夜に」には、そういう子供の「純粋な不安」が感じられる。
(さがさなければ
小さな子が呟きながら
あたしを追い越していった
(さがすってなにを
セミの脱け殻ならここにあるよ
バナナ味の消しゴムも
きっと
聞こえないふりをしてるんだ
(さがすってなにを
あたしは大きな声で叫ぶ
あるいは「なに」にも。まるで小さいころの「正直」に追いつこうとしている、あるいは追いかけられようとしているみたいだ。
いどって
なに
あたしは聞いた
せきこんで聞いたのに
その子はもうひどく遠くをあるいていて
井戸はちょうど
画用紙の真ん中にあり
画用紙はかなりくたばっていて
黄ばんでいて
風が
はしをめくり上げると
画用紙は
チラリとあたしを見て
とぶように窓のそとへ逃げていった
松下育男が「帯」を書いているが、この最終連など、松下が絶賛しそうな気がするなあ。と、どうでもいいようなことも思った。
いちばん「おばさん」っぽい詩をあげれば「せっかち」になると思う。この「せっかち」や「幼年」については、すでに感想を書いたような気がする。だから、今回は書かない。
「なつやすみ」は「少女」が「おばさん」に脱皮する感じでおもしろい。坂多と子供のときから「おばさん」だったのか、と思ったりするのだった。
*
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