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最果タヒ『恋人はせーので光る』(2)(リトルモア、2019年09月07日発行)
最果タヒの詩の中心的なイメージ(私がもっているイメージ)は、たとえば「日傘の詩」にある。(原文は横書き)
大人になってから、殺したいと思うこと
がなくなったけど、たぶん、すこしずつ
殺す方法を、覚えたからだと思います。
花がきれい、朝がきもちいい、そういう
私の中に、しまいこまれた殺意は全部、
優しさに変換されていく。大人ってどう
ですか、汚く見えますか? どれほど美
しい自分が過去にいようと、私は今どこ
よりも静かな場所を、手に入れている。
「殺す」という動詞、「殺意」という名詞が、「きれい」「きもちいい」「優しい」「美しい」と対等に変換される。交換される。入れ代わる。つまり、「殺す」を「優しい」「美しい」と肯定的にとらえると同時に、「優しい」「美しい」を「殺す」という否定的な「意味」でとらえなおす。その切断と接続の接点に、詩が存在する。それを青春の危うさと呼ぶことができる。(最果はもう「大人」の年齢だと思うが、詩のなかに何度も出てくる「大人」は、逆に最果の青春性を浮かび上がらせている。)
こういう詩を真ん中におき、「殺す」というようなことばを密閉すると、たとえば「8月」の世界が広がる。
夏の供養はナンバーガール。
放置したソーダ、まだシュワシュワし
てる。10代のころ、深夜の車道に寝転
がって星を見つけて叫んだせいで、ま
だ私の1%が車道に転がったままでい
る。大人って、記憶喪失にならんとな
れんのな。消えてく夏に期待したもの、
全部外れて全部背負って秋に深まるよ、
赤黄茶色土の色。
「シュワシュワ」のソーダから「深夜の星」への移行の間に、「深夜の歩道に寝ころがって」がある。「殺す」はあらわれていないが、「死」が隠れている。
最果の「殺す」と「殺意」というよりも、「死へのあこがれ」が呼び覚ます本能だろう。「死へのあこがれ」と書いてしまうと青春の抒情になるので、それを「殺す」という暴力でたたきこわそうとしている。抒情にはなりたくないという意思がある。
「喪失」ということばは、しかし、まだ抒情を抱え込んでいる。
こういう矛盾の強さが、「全部外れて全部背負って」という拮抗する行為としてあらわれている。
この対極にあるのが「4、5、6」と言える。「美しい棘を研いで」と始まる詩のなかほど。
この街には、どこに続くかわからないトンネル
がある。それは私の瞳であり、耳であり、鼻である。どこかに
いけたとしても、穴は穴であることを知っているのは、私だけ。
清々しく、人であることを疑うことなく、愛を信じ、この街で
まっとうしましょう、まっとうしましょうという態度を、はい。
呪います。私は、いつかなんにもない体の中から、私には手に
負えない感情がひとつ、こぼれでて、この街に巨大な穴をあけ
ることを、期待している。
肉体を(最果は「体」と書いているが、私は「肉体」と読む)、「穴」ととらえている。「穴」とは、しかし、存在しないから「穴」である。「穴」はそれ自体として存在するのではなく、「穴」をつくるものによって存在するものである。
この拮抗が、とてもおもしろい。興味深い。「全部外れて全部背負って」は抽象だが、肉体の「穴」は抽象ではない。
その存在、「穴」の存在を認識できるのは、そして最果自身でしかない。まさに「穴は穴であることを知っているのは、私だけ」なのである。
これまで、最果は、こういう肉体感覚を書いてきたか。私は何でもすぐ忘れてしまうのでよく覚えていないが、はじめてではないかと感じる。私は、最果にこういう肉体感覚があるということを、はじめて知った。
最果の肉体の「穴」から、「手に負えない感情」(たとえば、あこがれとしての「殺す」ではなく、欲望としての「殺す」、快楽としての「殺す」かもしれない)があふれ、こぼれたと同時に、街に「巨大な穴」が空く。それは街が最果の「肉体」そのものと入れ替わるということだ。
暴力による破壊と統一。カタルシス。そういうものをいま、最果は純粋へ傾く感情ではなく、不透明を許容する肉体を通して、手さぐりしている。そんなことを感じた。
まだ半分読んだだけだが、この「穴」の向こう側へ、最果が突き進んで行くというのは、わくわくする感じがする。この先を読みたい、と強く思う。
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