谷川俊太郎「ミライノコドモ」(岩波書店『ミライノコドモ』、2013年06月05日発行)
朝日カルチャーセンター・福岡「谷川俊太郎の世界」(09月16日)は『ミライノコドモ』を読んだ。そのうちの「ミライノコドモ」について語り合ったことをまとめてみた。参加者は、青柳俊哉、池田清子、谷内修三。
--好き嫌いからはじめましょうか。池田さん、どこが好きでした?
「カタカナで書いてあるところが嫌いです。字を読めないこどもにはいいのかもしれないけれど。でもひらがなを読めないとカタカナも読めないだろうし。なぜカタカナなのかなあ」
「まだ生まれていないこどものイメージ。生まれてくる前のこどもを思い浮かべた。そのこどもの片言のイメージがした」
--それいいなあ。谷川が喜ぶ感想かなあ。いまの感想、私も喜んでるんですが。私はカタカナが苦手で、きょうはこの詩を読むので、きのう何度か読み返して、やっと読めるようになったんだけれど。
「ミライノコドモハシズカニワラウダケ、という行は好き」
「コカゲニスワッテミエナイモノヲミツメテイル/ブランコニノッテキコエナイオトヲキイテイルの二行が好き」
--最初の二行はどうですか? キョウハキノウノミライダヨ/アシタハキョウミルユメナンダ。意味が強すぎるかな?
「よくいわれることかなあ、と思う」
「いかにも谷川さんらしい言い回しだと思う」
--この連と、ほかの連を比較したとき、何か感じます? 感じません? 間に一行空きだけではなく*マークがつていてい、谷川は書き分けているのだと思うのだけれど。
「これはミライノコドモが言ってるんですか」
「ユメはまだ現実にはなっていない。それがミライノコドモにつながるかな」
--私はこの一連目、音のリズムがいいなあ、と思いました。ミライダヨ、ユメナンダという口語のリズムが明るい。5音と7音が基本になっていて、それこそコレカラウマレルウタのよう。後半は意味がはっきりしているけど、ここは音楽性が強い。
「実際に話してるみたいですね」
--ヤクソクシテルの繰り返しも不思議。何が約束されているかというのも大事だけれど、ヤクソクシテルということの方がもっと大事な感じがする。繰り返すことでダレカガアオゾラヤクソクシテルが確かなものになる。
「心地いいですよね。最初の部分を漢字をつかって書いたら、この味は出ないですよね。ぜんぜん違うものになると思う」
--意味にしたくなかったと思います。漢字を見ると、意味が前に出てくる。意味をつかみとるよりも音を聞いてほしかったのだと思う。
二連目、この部分では、どんなことを思いました?
「叱ったりあやしたり、大人とこどもが逆転しているところがおもしろい。このまま読んだら、ミライノコドモは、そういうことができていいなあと思うかもしれない」
「そういうことは現実としてもあるかもしれないけれど、何か意図的な感じがして、その部分は好きじゃないなあ」
--ミライノの「の」の意味の取り方では、いまの状況のような感じもしますね。こどもが成長し、未来になって、そのとき両親は介護を受けている。こどもに叱られたり、あやされたりしているという状況を書いているようにも見えますね。こどもと親の関係は、いつまでもこどもと親、世話されるものと世話するものという関係に固定されていないというか。ただ、そう読んでしまうと、あまりにも現実的すぎて、おもしろくないんですけどね。たぶん、人間のもっている本能的な力、青柳さんがミライノコドモを生まれてくる前のこどもと言ったんだけれど、そういうものがパッと出てきて、父を叱ったり、母をあやしたりと読む方が楽しいと思う。「お父さん、そんなことしたらいや」と言うのも、傍から見ればこどもがお父さんを叱っていることになるかもしれない。
「スキップシテキタが、いい。マチヲコエテ/ハタケヲコエテ、とはずんでくる感じがいい。谷川は、こどものときの感情をそのままもっていて、それを書いている。スキップにそれがとてもよく出ている」
--みんなこどもだった時代があるはずなので、そういうことを覚えていていいはずなのだけれど、忘れてしまう。谷川はそれを覚えている。あるいは、いろいろなひとに触れて、それを思い出しつづけているのだと思う。
次の連、ナニガスキ?からはじまることばもリズムがいいですね。それが自然にシズカニワラウダケにつながっていると思う。
最後の連、青柳さんがいちばん好きといった部分、もう一度読みましょうか。
「私は、サヨナラトコンニチハガ/チョウチョミタイニヒラヒラトンデルがよくわからない」
「まだ生まれていないこどもなので、サヨナラになるのかコンニチハになるのか、まだわからない。決まっていないということかな」
--その前に書いてあるミエナイモノヲミツメテイル、キコエナイオトヲキイテイルと関係づけて読むことができると思います。見えないものを見つめるというのは矛盾。ありえない。反対のこと。さよならとこんにちはも反対のもの。それが区別なく、一つになっている、出会っているということかな、と私は読みました。サヨナラがコンニチハになるかもしれないし、コンニハハがサヨナラになるかもしれない。まだきまっていないものが世界にはあるということかな、と。
「コカゲニスワッテ、ブランコニノッテがおとなっぽいですね。ミエナイモノヲミツメ、キコエナイオトヲキイテイルが、さらにおとなっぽい」
--そうですね。それは確かにこどもにはできない表現かもしれない。けれどこどもは表現する前に直感的に知っていて、行動してしまうかもしれない。
「だからやっぱり、形にならない前の存在なんだと思う。すごく深い世界だと思う」
--そうですね。カタカナで書かれているので最初読んだときは読みづらい。何が書いてあるのか、すっと入ってこない。でも思い出すと音が耳に残っていて、その音の感じがきもちいいなあ、と私は思いました。
「そう思います。最初から漢字まじりで書いてあると違うと思います」
--きょうは、「ルネ」と「ミライノコドモ」を読んだのだけれど、どっちが好きです?「私は、ルネ。私は何を待っていたのだろうという行がとても印象的」
「私は、ミライノコドモ。さびしさがない」
--ああ、さびしさがないというのはいいなあ。
*
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朝日カルチャーセンター・福岡「谷川俊太郎の世界」(09月16日)は『ミライノコドモ』を読んだ。そのうちの「ミライノコドモ」について語り合ったことをまとめてみた。参加者は、青柳俊哉、池田清子、谷内修三。
ミライノコドモ
キョウハキノウノミライダヨ
アシタハキョウミルユメナンダ
ダレカガアオゾラヤクソクシテル
ミドリノノハラモヤクソクシテル
コレカラウマレルウタニアワセテ
*
ミライノコドモハ
オトウサンヲシカッテル
ミライノコドモハ
オカアサンヲアヤシテル
マチヲコエテ
ハタケヲコエテ
オカヲコエテ
ミズウミヲコエテ
チヘイセンノムコウカラ
ミライノコドモハスキップシテキタ
ナニガスキ?
ナニガキライ?
ドコカラキタノ?
ナニヲキイテモ
ミライノコドモハシズカニワラウダケ
コカゲニスワッテミエナイモノヲミツメテイル
ブランコニノッテキコエナイオトヲキイテイル
ミライノコドモノアタマノウエヲ
サヨナラトコンニチハガ
チョウチョミタイニヒラヒラトンデル
--好き嫌いからはじめましょうか。池田さん、どこが好きでした?
「カタカナで書いてあるところが嫌いです。字を読めないこどもにはいいのかもしれないけれど。でもひらがなを読めないとカタカナも読めないだろうし。なぜカタカナなのかなあ」
「まだ生まれていないこどものイメージ。生まれてくる前のこどもを思い浮かべた。そのこどもの片言のイメージがした」
--それいいなあ。谷川が喜ぶ感想かなあ。いまの感想、私も喜んでるんですが。私はカタカナが苦手で、きょうはこの詩を読むので、きのう何度か読み返して、やっと読めるようになったんだけれど。
「ミライノコドモハシズカニワラウダケ、という行は好き」
「コカゲニスワッテミエナイモノヲミツメテイル/ブランコニノッテキコエナイオトヲキイテイルの二行が好き」
--最初の二行はどうですか? キョウハキノウノミライダヨ/アシタハキョウミルユメナンダ。意味が強すぎるかな?
「よくいわれることかなあ、と思う」
「いかにも谷川さんらしい言い回しだと思う」
--この連と、ほかの連を比較したとき、何か感じます? 感じません? 間に一行空きだけではなく*マークがつていてい、谷川は書き分けているのだと思うのだけれど。
「これはミライノコドモが言ってるんですか」
「ユメはまだ現実にはなっていない。それがミライノコドモにつながるかな」
--私はこの一連目、音のリズムがいいなあ、と思いました。ミライダヨ、ユメナンダという口語のリズムが明るい。5音と7音が基本になっていて、それこそコレカラウマレルウタのよう。後半は意味がはっきりしているけど、ここは音楽性が強い。
「実際に話してるみたいですね」
--ヤクソクシテルの繰り返しも不思議。何が約束されているかというのも大事だけれど、ヤクソクシテルということの方がもっと大事な感じがする。繰り返すことでダレカガアオゾラヤクソクシテルが確かなものになる。
「心地いいですよね。最初の部分を漢字をつかって書いたら、この味は出ないですよね。ぜんぜん違うものになると思う」
--意味にしたくなかったと思います。漢字を見ると、意味が前に出てくる。意味をつかみとるよりも音を聞いてほしかったのだと思う。
二連目、この部分では、どんなことを思いました?
「叱ったりあやしたり、大人とこどもが逆転しているところがおもしろい。このまま読んだら、ミライノコドモは、そういうことができていいなあと思うかもしれない」
「そういうことは現実としてもあるかもしれないけれど、何か意図的な感じがして、その部分は好きじゃないなあ」
--ミライノの「の」の意味の取り方では、いまの状況のような感じもしますね。こどもが成長し、未来になって、そのとき両親は介護を受けている。こどもに叱られたり、あやされたりしているという状況を書いているようにも見えますね。こどもと親の関係は、いつまでもこどもと親、世話されるものと世話するものという関係に固定されていないというか。ただ、そう読んでしまうと、あまりにも現実的すぎて、おもしろくないんですけどね。たぶん、人間のもっている本能的な力、青柳さんがミライノコドモを生まれてくる前のこどもと言ったんだけれど、そういうものがパッと出てきて、父を叱ったり、母をあやしたりと読む方が楽しいと思う。「お父さん、そんなことしたらいや」と言うのも、傍から見ればこどもがお父さんを叱っていることになるかもしれない。
「スキップシテキタが、いい。マチヲコエテ/ハタケヲコエテ、とはずんでくる感じがいい。谷川は、こどものときの感情をそのままもっていて、それを書いている。スキップにそれがとてもよく出ている」
--みんなこどもだった時代があるはずなので、そういうことを覚えていていいはずなのだけれど、忘れてしまう。谷川はそれを覚えている。あるいは、いろいろなひとに触れて、それを思い出しつづけているのだと思う。
次の連、ナニガスキ?からはじまることばもリズムがいいですね。それが自然にシズカニワラウダケにつながっていると思う。
最後の連、青柳さんがいちばん好きといった部分、もう一度読みましょうか。
「私は、サヨナラトコンニチハガ/チョウチョミタイニヒラヒラトンデルがよくわからない」
「まだ生まれていないこどもなので、サヨナラになるのかコンニチハになるのか、まだわからない。決まっていないということかな」
--その前に書いてあるミエナイモノヲミツメテイル、キコエナイオトヲキイテイルと関係づけて読むことができると思います。見えないものを見つめるというのは矛盾。ありえない。反対のこと。さよならとこんにちはも反対のもの。それが区別なく、一つになっている、出会っているということかな、と私は読みました。サヨナラがコンニチハになるかもしれないし、コンニハハがサヨナラになるかもしれない。まだきまっていないものが世界にはあるということかな、と。
「コカゲニスワッテ、ブランコニノッテがおとなっぽいですね。ミエナイモノヲミツメ、キコエナイオトヲキイテイルが、さらにおとなっぽい」
--そうですね。それは確かにこどもにはできない表現かもしれない。けれどこどもは表現する前に直感的に知っていて、行動してしまうかもしれない。
「だからやっぱり、形にならない前の存在なんだと思う。すごく深い世界だと思う」
--そうですね。カタカナで書かれているので最初読んだときは読みづらい。何が書いてあるのか、すっと入ってこない。でも思い出すと音が耳に残っていて、その音の感じがきもちいいなあ、と私は思いました。
「そう思います。最初から漢字まじりで書いてあると違うと思います」
--きょうは、「ルネ」と「ミライノコドモ」を読んだのだけれど、どっちが好きです?「私は、ルネ。私は何を待っていたのだろうという行がとても印象的」
「私は、ミライノコドモ。さびしさがない」
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