新井啓子「羽音」(「かねこと」16、2019年08月30日発行)
新井啓子「羽音」を読みながら、私は考える。
「母」ということばで、私は新井の母を思い浮かべた。そして、それでいいのか、と考えたのだ。なぜインコの母と思わなかったのか。新井が書いていることばが「親」ではなく「母」だからだろう。私は鳥のことを想像するとき「親」を「母」と「父」とにわけてみたことがない。だから、「母」につまずき、新井の「母」にすがって立ち上がったことになる。
「天井」とか「鴨居」とか「家」をつくっていることばも影響しているかもしれない。天井とか鴨居とかは、めったに掃除しない。つまり人の手のゆきとどかないところだが、やはり人の「気配」が漂っている。そういうことも「母」を新井の母に違いないと思わせる力になっている。
「もういなくなったから返事はない」というのも「母」を失った新井の実感として迫ってくる。インコに自分自身を託している。「母」はいなくなった。でも、この「家」を出て行くわけにはいかない。
これはインコのこども姿であり、またインコの母親とこどもの姿なのかもしれないが、ふと、母と新井の姿にも見える。そして、「畳にそそうしながら」はこどもの新井ではなく、老いた新井の母にも見える。
「探す」のは、こどもが親をとはかぎらない。親がこどもを探すこともある。そこにいるのに見つからないときもある。いなくても、そこにみつかるときもある。そのとき「いつでも」こんな具合にしたね、ということが思い出される。「いつでも」は「過去」なのだけれど、「いま」、そこにある。
「わからないのかな」。もちろん「わからない」ときもある。そして、わかっていてもわからないふりをするときもある。わかっていること(事実)を信じたくなくて。さらに、わからないのかな、と思ってもらいたくて。甘えたくて。
「おかあさん」とことばが変わっている。
そこで、私は、また立ち止まる。
新井はインコになって、母を思い出している。
そうとしか読めない。
*
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新井啓子「羽音」を読みながら、私は考える。
部屋を閉め切って
鳥籠から出すと
インコは天井へ飛んでいった
鴨居にへばりつてい
片言で母を呼んでいる
もういなくなったから返事はない
「母」ということばで、私は新井の母を思い浮かべた。そして、それでいいのか、と考えたのだ。なぜインコの母と思わなかったのか。新井が書いていることばが「親」ではなく「母」だからだろう。私は鳥のことを想像するとき「親」を「母」と「父」とにわけてみたことがない。だから、「母」につまずき、新井の「母」にすがって立ち上がったことになる。
「天井」とか「鴨居」とか「家」をつくっていることばも影響しているかもしれない。天井とか鴨居とかは、めったに掃除しない。つまり人の手のゆきとどかないところだが、やはり人の「気配」が漂っている。そういうことも「母」を新井の母に違いないと思わせる力になっている。
「もういなくなったから返事はない」というのも「母」を失った新井の実感として迫ってくる。インコに自分自身を託している。「母」はいなくなった。でも、この「家」を出て行くわけにはいかない。
畳にそそうしながら
小首をかしげて部屋中歩き回る
もういないのだから見つからない
いつでも
よく鳴いた
よく啄んだ
よくおしゃべりした
緑の 黄色の 青色のちいさな鳥たち
これはインコのこども姿であり、またインコの母親とこどもの姿なのかもしれないが、ふと、母と新井の姿にも見える。そして、「畳にそそうしながら」はこどもの新井ではなく、老いた新井の母にも見える。
「探す」のは、こどもが親をとはかぎらない。親がこどもを探すこともある。そこにいるのに見つからないときもある。いなくても、そこにみつかるときもある。そのとき「いつでも」こんな具合にしたね、ということが思い出される。「いつでも」は「過去」なのだけれど、「いま」、そこにある。
わからないのかな
ふくふく頬毛をたてている
おかあさんが餌をくれるのを
待っている
「わからないのかな」。もちろん「わからない」ときもある。そして、わかっていてもわからないふりをするときもある。わかっていること(事実)を信じたくなくて。さらに、わからないのかな、と思ってもらいたくて。甘えたくて。
「おかあさん」とことばが変わっている。
そこで、私は、また立ち止まる。
遊び疲れて止まる丸い肩はないんだよ
新井はインコになって、母を思い出している。
そうとしか読めない。
*
評論『池澤夏樹訳「カヴァフィス全詩」を読む』を一冊にまとめました。314ページ、2500円。(送料別)
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「詩はどこにあるか」2019年4-5月の詩の批評を一冊にまとめました。
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(バックナンバーについては、谷内までお問い合わせください。)
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注文してから1週間程度でお手許にとどきます。
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(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
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(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
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(3)評論『高橋睦郎「つい昨日のこと」を読む』314ページ。2500円(送料別)
2018年の話題の詩集の全編を批評しています。
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(4)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
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(5)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
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問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com