* (無自覚で 空白で 自分を捨てたとき)
このときの「一つの言葉」とはどんなことばだろうか。具体的には何だろうか。花や鳥といった具体的なことばか。愛や祈りというような抽象的なことばだろうか。
私は、どちらでもないと思う。
「言葉」としか呼べないもの、まだ具体的なことばにはなっていない何か、だと思う。
嵯峨が詩人だから「言葉」と感じるのであって、音楽家なら「音」、画家なら「色」、彫刻家なら「形」かもしれない。
その人を、肉体の奥から揺さぶる「本質的なもの」、生まれる前の「真実」のようなもの。
「それ」とか「あれ」としか呼べないもの。
しかも、それは「掠めていく」だけなのだ。希望のように。あるいは絶望のように。
*
詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
『誤読』販売のページ
定価の下の「注文して製本する」のボタンを押すと購入の手続きが始まります。
私あてにメール(yachisyuso@gmail.com)でも受け付けています。(その場合は多少時間がかかります)
一つの言葉が
ぼくの心の奥を掠めた
このときの「一つの言葉」とはどんなことばだろうか。具体的には何だろうか。花や鳥といった具体的なことばか。愛や祈りというような抽象的なことばだろうか。
私は、どちらでもないと思う。
「言葉」としか呼べないもの、まだ具体的なことばにはなっていない何か、だと思う。
嵯峨が詩人だから「言葉」と感じるのであって、音楽家なら「音」、画家なら「色」、彫刻家なら「形」かもしれない。
その人を、肉体の奥から揺さぶる「本質的なもの」、生まれる前の「真実」のようなもの。
「それ」とか「あれ」としか呼べないもの。
しかも、それは「掠めていく」だけなのだ。希望のように。あるいは絶望のように。
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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
『誤読』販売のページ
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私あてにメール(yachisyuso@gmail.com)でも受け付けています。(その場合は多少時間がかかります)