詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

嵯峨信之『小詩無辺』(1994)を読む(34)

2020-02-21 06:17:41 | 『嵯峨信之全詩集』を読む

人間小史

ぼくの魂しいに灯をともすと
言葉の上を
死んだ女の影が通りすぎる


 「魂しい」と「言葉」は、嵯峨にとっては同義である。「魂しい」の火が「影」を生み出す。それが「言葉」の上に落ちるのだが、逆に「ぼくの言葉に灯をともすと/魂しいの上を/死んだ女の影が通りすぎるにもなる」。詩は、どうしても女を魂のなかに呼び寄せるのだ。
 また「言葉」と「女の影」を入れ替えることもできる。つまり、それは同義であるとこを意味する。「死んだ女の影の上を/言葉が通りすぎる」は「死んだ女の上を/言葉の影が通りすぎる」でもある。
 「魂しい」「言葉」「影」は「灯」と「影」に入れ代わり、照らしたり影を落としたりする。「魂しい」「言葉」「影」は「照らす/影を生み出す」という矛盾した運動をとおして「三位一体」になる。



*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
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