詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

嵯峨信之『小詩無辺』(1994)を読む(41)

2020-02-28 22:46:45 | 『嵯峨信之全詩集』を読む

沈める寺

ぞんざいな言葉のくりかえしと
すぎさる月日が
ぼくの骨を削つている

 「ぞんざいな言葉」と「すぎさる月日」はおなじものである。
 そう踏まえた上で思うのだが、この「ぞんざい」を私自身のことばで言い直せば何になるだろうか。
 「虚偽」になるだろうか。それも考えた上での虚偽、つまり「虚構」のためのことばではなく、「真実ではない」と知っていながら、そこにあることばに頼ってしまうときの、その「虚偽」。「うすっぺらな嘘」。
 しかし、それはほんとうは「すぎさる」ということはない。「肉体」のなかにたまり続ける。あるいは「沈み」つづける。それが「骨を削る」ということ。






*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
『誤読』販売のページ
定価の下の「注文して製本する」のボタンを押すと購入の手続きが始まります。
私あてにメール(yachisyuso@gmail.com)でも受け付けています。(その場合は多少時間がかかります)
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全小中高休校要請の「怪」

2020-02-28 09:00:17 | 自民党憲法改正草案を読む
全小中高休校要請の「怪」
             自民党憲法改正草案を読む/番外316(情報の読み方)

 安倍が、全部の小中高への休校を要請した。このニュースをテレビで知ったとき思ったのは、
①コロナウィルスの感染者の実数は報道以上に多い。それを隠蔽しきれなくなった。
②国会で紛糾している「桜を見る会」「黒川検事定年延長」問題から、目をそらせる。
 このふたつの目的のどちらかだろうと思った。(あるいは、ふたつとも、か。)

 きょうの2020年02月28日の読売新聞(西部版・14版)を読むと、①ではなく、②であると確信した。
 一面に、政治部・今井隆が書いた「拡大阻止へ異例の決断」という見出しの記事がある。

学校の一斉休校は社会全体で感染拡大防止に取り組むよう促す象徴的なメッセージになる。

 「象徴的メッセージ」は今井の「判断」をあらわしているのか。たぶん、そうではなく、安倍側からリークされた表現だろう。全体的なトーンのなかで、そのことばだけが「浮いている」。
 そして、この「象徴的メッセージ」から見えてくることが、別の問題としてある。
 「象徴的メッセージ」というものに「実効性」はない。そして、それは対外の場合、「独断」で発せられるものである。つまり、事実を踏まえ、現場の声を踏まえた「メッセージ」なら「象徴的」ではなく、あくまで「現実対応」のメッセージになるのが、現実の世界の出来事だからだ。
 それを裏付ける「興味深い」発言が、三面に書かれている。「「後手」批判 首相踏み込む/対策基本方針から転換」という見出しの記事。これは政治部・土井宏之が書いている。

萩生田文部科学相は(略)休校期間について「(対策本部で)私は目安として2週間ぐらいと発言したが、ちょっと幅が広かったので調整する」と記者団に述べ、事前に知らされていなかったことを示唆した。

 「お友達」の萩生田さえも「知らされなかった」内容が、突然、安倍の口から発表された。(たぶん、和泉の助言を踏まえて、あるいは和泉に言われるままの発表だったのだろう。)
 この教育(学校)の問題なのに、その責任者である萩生田さえも「知らない」というのは、安倍が、現場の問題をいかに無視しているかを語っている。何も知らずに、勝手に決めたのだ。
 それを「証明」するような記事が同じ三面にある。
 教育現場の問題がいろいろ書かれているが、直近の問題として「高校入試」がある。この問題は読売新聞では「見出し」になっていないが、名古屋市の教育委員会の幹部の声がのっている。名古屋市では(愛知県も?)、5日から高校入試がはじまる。その幹部は、

「休校になれば卒業式や高校入試などに影響が及ぶ。休校を既に決めた大阪市などからも情報を集め、対応を検討する」と語った。

 事前に、各県の実情を把握していない。休校になったとき、どう対応するか(対応できるか)、根回しして聴くということをしていないのだ。
 だが、こういう誰もが思いつきそうな疑問(私は、ブログを含め、その他のネットでもすでに何回か、高校入試のことを書いている)が見落とされるのはなぜか。「高校入試」ということばが出てきたのは、私が読み違えていなければ、読売新聞では、ここ一か所だけである。
 理由は簡単である。東京、神奈川、千葉では公立高校の入試は終わっているからである(ネットでは、そう書かれていた)。安倍が(安倍の側近が)暮らしているまわりでは、公立高校の入試は、問題にならないのだ。国立大学の試験も終わった。(まだ、残っている部分もあるが。)そのタイミングを待って、「全小中高休校」を打ち出したのだ。「全国」が見えていないのだ。
 これは繰り返しになるが、安倍が、教育現場の実情を知らないうえに、それを知るために全国の声を聴くということもしない。ごくごく身の回りの情報だけでものごとを判断していことを証明する。
 なぜ、こんなことが起きるのか。
 安倍は、自分のことしか考えていないからである。最初に書いた、

②国会で紛糾している「桜を見る会」「黒川検事定年延長」問題から、目をそらせる。

 これだけが目的なのだ。
 「ぼくちゃん、何も悪いことしていないもん」
 それをきちんと説明できない。だから、国民の批判をかわすためなら何でもやる。「事実」ではなく「象徴」を掲げて、目を引きつけようとする。このとき、犠牲になるのは「事実」と直接向き合っている国民である。高校の受験を控えている中学三年生には「象徴」はどうでもいい。試験がどうなるか、自分は行きたい高校へ行けるのか、それが問題なのである。

 「休校」問題は、さらにいろいろな「事実」と直面している声を引き寄せる。運動面には「選抜出場校に動揺」という見出しで記事が書かれていた。「部活」「練習試合」はどうなるのか。学校が「休校」なのに、そういうことをしていていいのか。野球部だけではなく、ほかの「部活」も同じだろう。
 さらに、共働き家庭の困惑も書かれている。突然休校になっても、子どもの面倒を見るひとがいない。仕事を休むしかない。実際、看護師が子どもの世話のために出勤できないので、病院の患者受け入れを制限するという病院まで出てきている。「休校」がどういう影響を及ぼすか、安倍も、コネクティングルーム(?)で「公私」をつかいわけている和泉も、まったく気にしない。それが自分の問題ではないからだ。自分が批判されなければそれでいい、という人間が、いま日本の何もかもを破壊している。想像力の欠如が、日本を破壊している。


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