四元康祐「芯」(「森羅」21、2020年03月09日発行)
四元康祐「芯」は「1」「2」にわかれている。その「1」の一連目。
「青鉛筆の芯の柔らかさ」ということばにひかれた。色鉛筆はふつうの鉛筆に比べると芯が柔らかい。すぐに折れる、という印象がある。青鉛筆は芯だけではなく、青そのものも柔らかい。「余白」というのは、「白」を含むけれど、それは色をあらわすわけではない。なにもない。その頼りなさと柔らかさが響きあう。
抒情は、こういうところから動き始める。それがそのあとの二行で「意味」になる。死ぬ前の余白によみがえる青い芯の柔らかさ。
うーん、この四行は「理屈」っぽい。はっきた言って、つまらない。「抒情」を抒情で終わらせずに、論理で動かしていく。「どこかへ辿り着く」の「どこか」というよりも「辿り着く」ということをめざして動くのだと思う。
で、どうなる?
この二連目の五行目に、不思議なものを感じる。不思議としか言えないなにか。なぜ「囲い込み運動」ということばを思い出したのか。線を引くことが「囲い込む」につながるのか。「つまらない」と書いたことを訂正して「おもしろい」と書き直したくなる。
わからないが、わからないからこそ、そこに四元の「肉体」を感じた。いや、ほんとうにおもしろい。わくわく。
書かなければならないものがあるとすれば、「囲い込み運動」なのである。というか、もし、この「囲い込み運動」ということばがなければ、詩は動かない。ことばは動かない。わくわく。
三連目。
えっ、「囲い込み運動」ということばを思いついた、のではないのか。
「囲い込み運動」は「思いついた」のではなく、「思いつかされた」ということか。「思い」の外からやってきた。あるいは「思いの奥(無意識)」からやってきた。予想外だった。だから、それをどう動かしていいか、「なにも思いつかない」。
ことばを動かさずに「芯の先を眺めみる/斜めにチビている」と視線を動かしている。いや、視線が動くままに(肉体が動くままに)、それをことばにしているが、こういうことを四元は「思いつく」という範疇には入れないようなのだ。
そして、「思いつかない」といいながら、次のように、ことばを強引に(?)動かす。
最終行。
「我」が「空白」に「囲い込まれている」ということか。空白だから、「囲い込み」はない。青鉛筆で線を引かないかぎり、「囲い込み」は起きない。
この詩は、「論理による抒情詩」とでも呼べるものだ。「論理」も「抒情」なのだと主張する詩、あるいは「論理」を抒情にすることができると教えている詩。
まだ引かれていない青鉛筆の、芯の柔らかさを感じさせる線。それを想像する。そして、線を引く行為を「囲い込み運動」と呼ぶ。線を引いたあと、その「囲い込み」のなかへ入っていくのか、内側にいて「我」を「囲い込む」ふりをしながら、「外」をつくってしまうのか。どちらであるか、わからないが、
か、と私は思う。詩の最後で突然出てきたことばが「私」や「ぼく」ではなく、「我」という、いまでは奇妙に強く響くことばであることに、私は驚く。「我」なんて、私は長い間つかったことはないなあ。「我々」は遠い昔につかったが、そのときも「我」とは言わなかったなあ。
「我思う、ゆえに我あり」ということばも思い浮かぶが。
この私には奇妙に強く感じられることばと抒情の結びつきが四元の詩なのか。
この「強い響きの我」というのは、四元の場合、そのまま「強い論理」ということになると思う。「我=論理」というものが四元を動かしている。そして「我」が「抒情」に傾くとき、「論理」は「抒情」へ向かって動く。あるいは、「抒情」が「論理」によって強靱になり、四元の「独自性」につながる、というべきか。
二連目の、突然あらわれた「囲い込み運動」を三連目で線を「引く」という形でひっぱりながら「我」に結びつける、「我」をひっぱりだしてしまうところに、ほーっと、私は声をもらしてしまう。
で。(実は、これからが、ほんとうに書きたいところ。)
この作品は一連五行が、三蓮で構成されている。「起(承)転結」の構造になっている。そして、二連目三連目でわかるように、四元はそれぞれの連の「結」に四元の思想(肉体)をくっきりとあらわしている。
しかし、その五行目だけを比べてみると、一連目には「我=論理」というものががない。全部を引用しないが、「我=感傷」というようなセンチメンタルなものがあらわれている。だからこそ、私は「抒情=センチメンタル」を「論理」化し、「論理=我」を打ち出すのが四元の作品である、とここでは言いたいのだが。
こんなことは、しかし、書いてもおもしろくない。
だから、ほんとうに書きたいことなのだけれど、中途半端でやめておく。
気が向いたら「森羅」で一連目の最終行を確かめてください。それを読んで、どんな気持ちになるか。ひとそれぞれ。
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四元康祐「芯」は「1」「2」にわかれている。その「1」の一連目。
本のページの余白に引く
青鉛筆の芯の柔らかさが気にかかる
明日になればもう忘れているかもしれないが
死ぬ前に思い出すのは案外そんな些細なことかもしれない
「青鉛筆の芯の柔らかさ」ということばにひかれた。色鉛筆はふつうの鉛筆に比べると芯が柔らかい。すぐに折れる、という印象がある。青鉛筆は芯だけではなく、青そのものも柔らかい。「余白」というのは、「白」を含むけれど、それは色をあらわすわけではない。なにもない。その頼りなさと柔らかさが響きあう。
抒情は、こういうところから動き始める。それがそのあとの二行で「意味」になる。死ぬ前の余白によみがえる青い芯の柔らかさ。
青鉛筆の芯の柔らかさを思い浮べるたびに
心の隅でなにかが喚起される
青くもなければ柔らかくもないなにか
それを手繰ってゆけばどこかへ辿り着けるだろうか
うーん、この四行は「理屈」っぽい。はっきた言って、つまらない。「抒情」を抒情で終わらせずに、論理で動かしていく。「どこかへ辿り着く」の「どこか」というよりも「辿り着く」ということをめざして動くのだと思う。
で、どうなる?
なぜか「囲い込み運動」という文字が瞬く
この二連目の五行目に、不思議なものを感じる。不思議としか言えないなにか。なぜ「囲い込み運動」ということばを思い出したのか。線を引くことが「囲い込む」につながるのか。「つまらない」と書いたことを訂正して「おもしろい」と書き直したくなる。
わからないが、わからないからこそ、そこに四元の「肉体」を感じた。いや、ほんとうにおもしろい。わくわく。
書かなければならないものがあるとすれば、「囲い込み運動」なのである。というか、もし、この「囲い込み運動」ということばがなければ、詩は動かない。ことばは動かない。わくわく。
三連目。
引くべき線もないのに
青鉛筆を手に取って芯の先を眺めみる
斜めにチビている
ということ以外なにも思いつかない
えっ、「囲い込み運動」ということばを思いついた、のではないのか。
「囲い込み運動」は「思いついた」のではなく、「思いつかされた」ということか。「思い」の外からやってきた。あるいは「思いの奥(無意識)」からやってきた。予想外だった。だから、それをどう動かしていいか、「なにも思いつかない」。
ことばを動かさずに「芯の先を眺めみる/斜めにチビている」と視線を動かしている。いや、視線が動くままに(肉体が動くままに)、それをことばにしているが、こういうことを四元は「思いつく」という範疇には入れないようなのだ。
そして、「思いつかない」といいながら、次のように、ことばを強引に(?)動かす。
最終行。
その空白の真ん中にぽつんと我が立っている
「我」が「空白」に「囲い込まれている」ということか。空白だから、「囲い込み」はない。青鉛筆で線を引かないかぎり、「囲い込み」は起きない。
この詩は、「論理による抒情詩」とでも呼べるものだ。「論理」も「抒情」なのだと主張する詩、あるいは「論理」を抒情にすることができると教えている詩。
まだ引かれていない青鉛筆の、芯の柔らかさを感じさせる線。それを想像する。そして、線を引く行為を「囲い込み運動」と呼ぶ。線を引いたあと、その「囲い込み」のなかへ入っていくのか、内側にいて「我」を「囲い込む」ふりをしながら、「外」をつくってしまうのか。どちらであるか、わからないが、
我
か、と私は思う。詩の最後で突然出てきたことばが「私」や「ぼく」ではなく、「我」という、いまでは奇妙に強く響くことばであることに、私は驚く。「我」なんて、私は長い間つかったことはないなあ。「我々」は遠い昔につかったが、そのときも「我」とは言わなかったなあ。
「我思う、ゆえに我あり」ということばも思い浮かぶが。
この私には奇妙に強く感じられることばと抒情の結びつきが四元の詩なのか。
この「強い響きの我」というのは、四元の場合、そのまま「強い論理」ということになると思う。「我=論理」というものが四元を動かしている。そして「我」が「抒情」に傾くとき、「論理」は「抒情」へ向かって動く。あるいは、「抒情」が「論理」によって強靱になり、四元の「独自性」につながる、というべきか。
二連目の、突然あらわれた「囲い込み運動」を三連目で線を「引く」という形でひっぱりながら「我」に結びつける、「我」をひっぱりだしてしまうところに、ほーっと、私は声をもらしてしまう。
で。(実は、これからが、ほんとうに書きたいところ。)
この作品は一連五行が、三蓮で構成されている。「起(承)転結」の構造になっている。そして、二連目三連目でわかるように、四元はそれぞれの連の「結」に四元の思想(肉体)をくっきりとあらわしている。
しかし、その五行目だけを比べてみると、一連目には「我=論理」というものががない。全部を引用しないが、「我=感傷」というようなセンチメンタルなものがあらわれている。だからこそ、私は「抒情=センチメンタル」を「論理」化し、「論理=我」を打ち出すのが四元の作品である、とここでは言いたいのだが。
こんなことは、しかし、書いてもおもしろくない。
だから、ほんとうに書きたいことなのだけれど、中途半端でやめておく。
気が向いたら「森羅」で一連目の最終行を確かめてください。それを読んで、どんな気持ちになるか。ひとそれぞれ。
*
評論『池澤夏樹訳「カヴァフィス全詩」を読む』を一冊にまとめました。314ページ、2500円。(送料別)
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「詩はどこにあるか」2020年1月の詩の批評を一冊にまとめました。
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オンデマンド形式です。一般書店では注文できません。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。
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(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
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