最果タヒ「商業主義」(「現代詩手帖」2020年02月号)
「現代詩手帖」2020年02月号の表紙には「特集 現代詩最前線2020」と書かれている。その多くのことばについていけない。わくわくしない。私が年をとってしまったからだろう。そうだとしたら、これから感想を書く最果タヒ「商業主義」の作品は、もう「最前線」ではないということになるのか、あるいは私が最果のことばを完全に「誤読」していることになるのか。どちらかわからないが、感想を書いてみたいと思った数少ない作品のひとつである。
ことばは接続しているのか、切断しているのか。動くたびに、壊れたガラスが、さらに踏みにじられるときのような悲鳴を立て、それが光の乱反射を引き起こす。光の乱反射といっても、それは踏みにじる靴の下に起きる現象ではなく、ガラスを踏みにじるときの肉体のなかで起きる事柄である。
「肉体」を「暗闇」と言い直せば(つまり、閉ざされた個人の内部と言い直せば)、それはそのまま書き出しのことばになる。「川」は壊れ、踏みにじられるガラス。「掌」は光の乱反射。そっと掌を広げるときに見える「肉体の内部」。握りしめることで、いつでも隠すことのできる私の宝物。
知ってもらいたい、でも隠しておきたい。そういう「秘密」の矛盾。
「怒り」が暗闇だとしても、その「声」は「川の水」のように、自らの力で輝く。これを「昇華」と呼ぶ、と言い直せば、それは私がいかに「古い人間」であるかを明らかにするだけだが。つまり「誤読」のあり方が「古い」証拠になるだけだが……。
私が不思議に思うのは。
たとえば、「あなたはどうして幸福なのかって、精神論を持ち出さないで答えてほしい。私の心に、銀細工の湧く泉を見つけたからって、答えてほしかった」と書くときの「銀細工の泉」という比喩。「精神論」ということばとの衝突。これを私は「美しい」と思うが、最果の読者(若い人)はどう思っているのだろうか、ということ。
あるいは「あなたが見ている美しい夕焼けは、 241円の価値があるの。わあ、値段が素数だね!美しいって言えよ」ということばの衝突、「美しい」と「夕焼け」と「素数」の、すべてが互いの「比喩」になるようなスピード感を、最果の読者(若い人)はどう思っているのだろうか、ということ。
今月号で書いている詩人で言えば、暁方ミセイのことばにも、こういう硬質なことばの衝突が生み出すスパークのようなものがあるが(私は、それに関心があるのだが)、こういうことばの運動を、若い読者はどう感じているのか、妙に気にかかる。
私はここに書かれている「比喩(接続と切断)」を美しいと感じるが、同時に、それを美しいと感じるのはそれが「未知」のものではなく、どちらかというと「既知」のものであるからだ。私は知らないものを(知らないこと)を理解できない。「銀細工」も「素数」も知っている。知っているといっても、完全な理解ではないし、いつも思い出すものでもない。ことばを読んだときに、「あ、知っている」という形で「銀細工」「素数」が私の肉体のなかから「生み出しなおされる」という感じで存在しているものだ。
で、この「知っている」、けれど普段は「忘れている」ものが、古いものとしてではなく、新しい存在として最果のことばをとおして「生み出しなおされる」、その瞬間に、私は詩を感じるのだが、詩はここにある、と感じるのだが。
この感じというのは、はたして、誰かと「共有」しているものなのか。私だけの感じなのか。もちろん私だけの感じでかまわない、「誤読」であってかまわないし、私はそういう「誤読」だけを書きたいのだが、今月号に載っている多くのは「誤読」の手がかりさえもみえないので、うーん、とうなってしまうのだ。妙な疑問を抱えながら感想を書いてしまうのだ。
*
評論『池澤夏樹訳「カヴァフィス全詩」を読む』を一冊にまとめました。314ページ、2500円。(送料別)
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168076093
「詩はどこにあるか」2019年12月の詩の批評を一冊にまとめました。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168077806
(バックナンバーについては、谷内までお問い合わせください。)
オンデマンド形式です。一般書店では注文できません。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。
*
以下の本もオンデマンドで発売中です。
(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512
(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009
(3)評論『高橋睦郎「つい昨日のこと」を読む』314ページ。2500円(送料別)
2018年の話題の詩集の全編を批評しています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804
(4)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455
(5)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977
問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com
「現代詩手帖」2020年02月号の表紙には「特集 現代詩最前線2020」と書かれている。その多くのことばについていけない。わくわくしない。私が年をとってしまったからだろう。そうだとしたら、これから感想を書く最果タヒ「商業主義」の作品は、もう「最前線」ではないということになるのか、あるいは私が最果のことばを完全に「誤読」していることになるのか。どちらかわからないが、感想を書いてみたいと思った数少ない作品のひとつである。
暗闇の中で流れていく川の水は掌のよう。怒りがすべて
声に昇華されていく乾燥した冬の、私たちが履いている
ブーツが春の代わりに足音を立てている。こきまま誰も
いないまま、この街が廃れてくれたなら私たちは永遠に
ここに暮らすつもりだったんだ。約束ができないまま、
笑っている、持ってきた商品はどれも売れやしなかった
けれど、あなたはどうして幸福なのかって、精神論を持
ち出さないで答えてほしい。私の心に、銀細工の湧く泉
を見つけたからって、答えてほしかった。美しく磨かれ
た美術品、貧乏になった美術館から火事になる。潔癖な
人が言ったおとぎ話を信じて早死にしたあの子は、天国
などないのに天国で笑っていて、要するに迷子になって
しまった。あなたが見ている美しい夕焼けは、241円の価
値があるの。わあ、値段が素数だね!美しいって言えよ。
ことばは接続しているのか、切断しているのか。動くたびに、壊れたガラスが、さらに踏みにじられるときのような悲鳴を立て、それが光の乱反射を引き起こす。光の乱反射といっても、それは踏みにじる靴の下に起きる現象ではなく、ガラスを踏みにじるときの肉体のなかで起きる事柄である。
「肉体」を「暗闇」と言い直せば(つまり、閉ざされた個人の内部と言い直せば)、それはそのまま書き出しのことばになる。「川」は壊れ、踏みにじられるガラス。「掌」は光の乱反射。そっと掌を広げるときに見える「肉体の内部」。握りしめることで、いつでも隠すことのできる私の宝物。
知ってもらいたい、でも隠しておきたい。そういう「秘密」の矛盾。
「怒り」が暗闇だとしても、その「声」は「川の水」のように、自らの力で輝く。これを「昇華」と呼ぶ、と言い直せば、それは私がいかに「古い人間」であるかを明らかにするだけだが。つまり「誤読」のあり方が「古い」証拠になるだけだが……。
私が不思議に思うのは。
たとえば、「あなたはどうして幸福なのかって、精神論を持ち出さないで答えてほしい。私の心に、銀細工の湧く泉を見つけたからって、答えてほしかった」と書くときの「銀細工の泉」という比喩。「精神論」ということばとの衝突。これを私は「美しい」と思うが、最果の読者(若い人)はどう思っているのだろうか、ということ。
あるいは「あなたが見ている美しい夕焼けは、 241円の価値があるの。わあ、値段が素数だね!美しいって言えよ」ということばの衝突、「美しい」と「夕焼け」と「素数」の、すべてが互いの「比喩」になるようなスピード感を、最果の読者(若い人)はどう思っているのだろうか、ということ。
今月号で書いている詩人で言えば、暁方ミセイのことばにも、こういう硬質なことばの衝突が生み出すスパークのようなものがあるが(私は、それに関心があるのだが)、こういうことばの運動を、若い読者はどう感じているのか、妙に気にかかる。
私はここに書かれている「比喩(接続と切断)」を美しいと感じるが、同時に、それを美しいと感じるのはそれが「未知」のものではなく、どちらかというと「既知」のものであるからだ。私は知らないものを(知らないこと)を理解できない。「銀細工」も「素数」も知っている。知っているといっても、完全な理解ではないし、いつも思い出すものでもない。ことばを読んだときに、「あ、知っている」という形で「銀細工」「素数」が私の肉体のなかから「生み出しなおされる」という感じで存在しているものだ。
で、この「知っている」、けれど普段は「忘れている」ものが、古いものとしてではなく、新しい存在として最果のことばをとおして「生み出しなおされる」、その瞬間に、私は詩を感じるのだが、詩はここにある、と感じるのだが。
この感じというのは、はたして、誰かと「共有」しているものなのか。私だけの感じなのか。もちろん私だけの感じでかまわない、「誤読」であってかまわないし、私はそういう「誤読」だけを書きたいのだが、今月号に載っている多くのは「誤読」の手がかりさえもみえないので、うーん、とうなってしまうのだ。妙な疑問を抱えながら感想を書いてしまうのだ。
*
評論『池澤夏樹訳「カヴァフィス全詩」を読む』を一冊にまとめました。314ページ、2500円。(送料別)
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168076093
「詩はどこにあるか」2019年12月の詩の批評を一冊にまとめました。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168077806
(バックナンバーについては、谷内までお問い合わせください。)
オンデマンド形式です。一般書店では注文できません。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。
*
以下の本もオンデマンドで発売中です。
(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512
(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009
(3)評論『高橋睦郎「つい昨日のこと」を読む』314ページ。2500円(送料別)
2018年の話題の詩集の全編を批評しています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804
(4)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455
(5)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977
問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com