詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

「詩はどこにあるか」7月号を発売中

2020-08-02 23:39:20 | その他(音楽、小説etc)
「詩はどこにあるか」7月号を発売中です。
172ページ、2000円(送料別)
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読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
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2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
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破棄された詩のための注釈05

2020-08-02 19:19:09 | 破棄された詩のための注釈
破棄された詩のための注釈05
             谷内修三2020年08月02日

 窓について書かれた九つの詩に出てくる「雨が降りつづいている、私の窓ガラスの上に」は、自分がいやになっていた、という意味である。ベッドのなかで、ありふれたことをしたあと、外を見ると雨が降っていた。
 その雨に、雨の日にバスを重ねた。
 乗っている人は、みな前を向いている。その整然と並んだ横顔。まるで、ことばをつかわずに、過去を思い出しているようだった。
 「私」は、これからバスに乗って、長い橋を渡って帰る「ことば」になる。
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谷川俊太郎『ベージュ』(2)

2020-08-02 10:01:03 | 詩集


谷川俊太郎『ベージュ』(2)(新潮社、2020年07月30日発行)

 30ページから始まる「階段未生」は、読んだ記憶がない。しかし、「初めて読む」という印象でもない。それは「階段未生」の「未生」ということばに起因する。「未生」は谷川の詩に頻繁に出てくる。世間で言うキーワードである。そして、この「未生」ということは「ことば」関係している。それは書き出し(一連目)ですぐに明らかにされる。

階段は言葉を待っていた
階段は階段以外の言葉をもっていなかったから
誰かが別の言葉で愛してくれるのを
あるいは詮索してくれるのを待っていた

 「ことばにならないことば」(ことば以前のことば)。これを「未生ことば」と呼ぶことができるが、「階段」と呼ばれるものに対して、「階段」ということばが定着する前に戻す。それを「階段」の側から語らせている。
 「愛する」と「詮索する」が、ここでは同義、いや等価の行為になっている。「愛する」も「詮索する」も「深くかかわる」ことだろう。そして、深くかかわるということは、自分が(ことばを発するひとが)、「自分ではなくなる覚悟(自覚)」をして対象に近づくことを意味する。
 「階段」に近づき、谷川はどう変わっていくか。

階段はけっこうな歴史を所有していたが
自分の誕生の時を覚えていなかった
自分が木材だった時のことは覚えている
それ以前の樹木だったころのことも覚えている

 これは、谷川の詩に共通して見られる「論理性」である。階段が意識を持っているというのは、現実感覚からすると「飛躍」しているが、いったん飛躍したあとは、そこに「論理」が動いている。階段という形になる前は「木材」。木材になる前は「樹木」。これは起源(歴史)を遡っているだけであって、「未生」にはたどりついていない。「樹木」「木材」は既存のことばであり、ことばが生まれる前(混沌=未生)とは言えない。
 「さかのぼる」。分化をより未分化へむけて動いていくという運動が書かれている。方向性が明示されている。

だが自分がいつ階段になったのかが分からない
自分が属している建物の竣工式の時
すでに自分が階段であると自覚していたのだが
その日を誕生日とすることは意識下で拒んでいた

 この三連目で、私は二つのことばに注目する。
 まず、「分からない」。「分からない」は二連目の「覚えていなかった」に通じる。「木材」「樹木」は「覚えている」。つまり「分かる」。そして、それは「自覚する」と対比される。「自覚する」は「分かる」。「分からない」は「自覚できない」である。
 「自覚する/自覚できない」の境界線と「誕生/未生」の境界線が重なるということだろう。
 「自覚する」は「意識する」でもある。階段は「木材」だったこと、「樹木」だったことを、意識、自覚している。
 だが「誕生する」は「意識/自覚」できない。そして、たぶん誰かが「建物が竣工した日」が階段が階段として機能し始める契機なのだから、その日が「誕生日」だと規定する。そこには、間違いがない。あるいは、そう考えると「論理」としては成り立つ。
 しかし、階段は、それを「意識下で拒んでいた」。
 この「拒む」が、私が注目する二つ目のことばだ。
 そして、この「拒む」こそが、この詩のキーワードなのだと思う。どうしても書かなければならなかったことば。言い換えの聞かないことば。一回しかつかわれていないが、ほかの行にも隠れていることば。それが私の言うキーワードである。
 階段は、

自分が木材だった時のことは覚えている
それ以前の樹木だったころのことも覚えている

 そして、

木材は木材であることを「拒む」ことで階段になった
樹木は樹木であることを「拒み」、木材になり、木材であることを「拒み」階段になった

 すでにある「自己」(既成の自己)「拒む」ことで、「歴史」が生まれる。「歴史」を所有する。階段が私有している「歴史」とは「自己を拒否する」という運動の歴史である。それを覚えている。それを意識している。

 この「拒む」は、きのう読んだ「にわに木が」の「うん」とは正反対である。

 この詩は五連構成だが、「起承転結」の構造になっている。より正確に言うならば、「起承(承)転結」という構造。いま触れた三連目は、(承)である。「承」が二回くりかえされているのは、一回では言えなかったからだ。一回では言えないことがあり、その言えなかったことが「拒む」なのだ。意識のなかにある「肯定」と「拒否(否定)」の運動、そして「否定」こそが「歴史を生む」という意識が、「未生」へたどりつく手がかりなのだ。そう、暗示している。
 また、何を「拒んできたか」。「拒む」前には、「存在」は、どういう形をしていたか。それをさぐるのが「未生」へたどりつくことなのだ。
 「転」の四連目は、こう展開する。

女生徒たちが賑やかに喋りながら下りてゆく
そんな時階段は自分が自分であることを疑わない
だが放課後の人っ子ひとりいない夕方
階段は自分の存在がどこかへ彷徨い出てゆくのを感じる

 「自分が自分であることを疑わない」は「肯定」である。「自覚する」を言い直したものだ。「疑わない」の反対のことばは「疑う」である。「自覚」を拒む。それが「疑う」であり、それは「彷徨い出てゆく」のである。どこへゆくか明確ではない。どこへゆくか「分からない」まま、出てゆく。「彷徨う」。「疑う」は「彷徨う」と言い直されている。
 「拒否した」。けれど、「拒否する」という出発点はあるが目的地(到達点)が想定されていないのが「彷徨う」なのだ。
 さて、どうするべきか。

詩人はそんな階段にふさわしい言葉を贈りたいと思った
だが「階段よ」と呼びかけた瞬間に
もう階段という語が現実の階段に張り付いて
階段そのものはその陰に身をひそめてしまう

 「発話者」は、「階段」から「詩人」に転換する。(もっとも、この詩は「詩人」が「階段」のふりをしてことばを動かしていたのであり、ここでやっと詩人が正体をあらわした、ということなのだが。)
 そして、ここに「言葉」ということばが出てくる。一連目に三回くりかえされたことばだ。谷川は「階段」を書いていたのではなく、「階段」ということば(存在)を借りながら、「ことば」について考えていたのだ。
 何かに「言葉を贈る」(名づける)とは、「混沌=未生」から存在を引き出し、歴史を始めることである。名づけることで自覚が生まれ、名づけたものを次々に別の名前に変化させていく(当然、存在形式そのものも変化していく)ことが「歴史」なのだ。
 だが、「未生」へ引き返し、そこから「生まれなおそう」としているものに対して、なんと言えばいいのか。いまある「階段」ということばでは、「生まれなおし」はできない。
 矛盾なのだ。
 そして、詩は、その矛盾の先にしかない。
 谷川は「未生」へ到達することをめざしている。「未生」は字義的には「未だ生まれない(生まれる以前)」だが、谷川は「生まれなおし」という意味でつかっていると言える。ことばをつかって、ひとは、どう「生まれなおす」ことができるか。それを問い続けていることにある。

 ここで、私はまた「うん」にもどるべきなのかもしれない。
 「うん」とはなんだったのか。
 肯定だが、その肯定は、推し進める肯定ではなく、「あるがまま」を受け入れ、無為でいるということかもしれない。
 なんにもしない。
 谷川は、「にわに木が」で、そういう「境地」に到達したのかもしれない。これは、もしかすると(生かじりでいいかげんなことを書いてしまうのだが)、荘子の「境地」ではないだろうか。「あるがまま、無為でいること」それが、生きること。拒否から始まる弁証法はもちろん無意味。肯定といっても、何かを推し進めるというのではなく、ただあるがまま、英語で言えば、ビートルズのレット・イット・ビーという感じか。
 生成(成長)も、生まれなおしも、もう、いい。いまあるがまま、ここにこうして生きている、存在している。私は「もういい」と書いてしまったが、それは放置ではなく、巨大な肯定、絶対的な「うん」なのだ。






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