詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

ジョージ・ミラー監督「マッドマックス 怒りのデス・ロード」(★★★)

2020-08-01 17:00:11 | 映画
ジョージ・ミラー監督「マッドマックス 怒りのデス・ロード」(★★★)

監督 ジョージ・ミラー 出演 暴走車、砂漠、トム・ハーディ、シャーリーズ・セロン
 コロナウィルス拡大のため、客が入りそうな(人気のあった)過去の映画が再映されている。「マッドマックス 怒りのデス・ロード」もその一本。初公開は2016年。目の調子が悪いときだった。予告編で、おもしろそうだけれど目が疲れるだろうなあと思い敬遠して見なかった。いまも目の調子は悪いが、調子の悪さにも慣れたので、見てみた。
 予想通り、目が疲れた。
 映画は、ひたすら「映像」と「音楽」に終始している。オペラのようなものだ。ここまでやってしまうと、快感である。ストーリーなんか、どうでもいい。シャーリーズ・セロンが出ているが、美形であろうがなかろうが、もうほとんど関係がない。
 タンクローリーのような車でシャーリーズ・セロンが逃げる。それを「トラック野郎」軍団が追いかける。ひたすら逃げ、ひたすら追いかける。うーん。なつかしいなつかしい、「激突」の世界。
 スピルバーグは1対1の逃げる、追いかけるを「人間」を排除して描くことで、タンクローリー(だったっけ?)に「人格」を持たせた。タンクローリーの面構えが魅力的だった。逃げる車なんか、どうでもいい。踏み切りで、列車が通りすぎるのを待つ。そのときタンクローリーがぐいぐいと押す。セダンの男は必死になってブレーキを踏む。そのとき、「がんばれ」と応援してしまうのは、逃げる男に対してではなく、タンクローリーに対してだ。もっと押せよ。それくらいのパワーはあるだろう。思いっきり感情移入してしまう。だから、最後、タンクローリーが、クラクション(というより警笛ということばの方がぴったりくる)を鳴らしながらがけ下へ落ちていくのを見るときは、それが悲鳴に聞こえてしまう。あと、もうちょっとだったのに……。
 この映画は、それを踏襲していることになるだろう。逃げる方も、追いかける方も人数が増えているので、悲壮感(?)はない。お祭りだ。だから、オペラになる。人間なんか、どうでもいい。トム・ハーディやシャーリーズ・セロンがどんな過去を背負っているか、どんな未来を夢見ているか。そういう「説明」がカットバックで入ってくるたびに、ああ、めんどうくさいと思ってしまう。
 そういう「時間(ストーリー)」は放り出して、ただ逃げる、追いかける、攻撃する、というのがわくわくする。どうせ映画なのだから、現実にはありえないものをどれだけ繰り広げるかだけが重要なのだ。妊婦の事故死(?)もシャーリーズ・セロンやトム・ハーディの不死身も、ありえないからこそおもしろい。トム・ハーディは、メル・ギブソンに比べて「美形度」が落ちるのが残念だった。こういう荒唐無稽には「絶対的美形」が必要なのだ。まあ、それでシャーリーズ・セロンが駆り出されているのだろうけれど。
               (中洲大洋、スクリーン1、2020年08月01日)



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谷川俊太郎『ベージュ』

2020-08-01 09:58:39 | 詩集

谷川俊太郎『ベージュ』(新潮社、2020年07月30日発行)

 谷川俊太郎『ベージュ』を読み始めて、23ページ「にわに木が」に出会う。

にわに木がたっている
木のむこうにそらがひろがっている
そのむこうには
なにもない
いや
あるのだ
ほんとは
みえないけれど
きこえないけれど
うん

 私は、何か、異様なものを感じた。その「異様」は簡単に言えば、「この詩は読んだことがない」という感覚である。
 だれの、どんな詩でも、ほとんどすべてが「読んだことがない」作品である。だから、ふつうはそんなことは感じない。
 詩集になれば、発表ずみのものもあるから「これは読んだことがある」と思うことはあるが、「読んだことがない」と思うことはない。たとえば14ページには「イル」という作品がある。読んだことがある。感想を書いたことがある、と思う。18ページ「この午後」、20ページ「その午後」。これも読んだことがある。感想は書いていないと思う。巻頭の作品、6ページ「あさ」。読んだことがあると思うが、なんとなく、そういう気がするだけである。10ページ「香しい午前」。「読んだ」という記憶はないが、「知っている」感じがする。
 と、ここまで書いて。
 あ、そうか。「読んだことがない」というのは「知らない」ということか。「にわに木が」には、私の知らない谷川がいるのだ。
 「読んだ記憶がある」というのも、「知っている」ということなのだ。
 
 じゃあ、「知らない」って、何?
 なぜ、「知らない」と感じた?

うん

 この、23ページの最後の行の「うん」に、私はびっくりしたのだ。
 その前に出てくる「いや」には、「知っている」谷川を感じる。「論理」を推し進めていくときに、「いや」ということばをつかうことがある。これから反対のものの見方をする、という「予告」である。具体的に作品をあげることができないけれど、こういう「論理」は谷川には非常に多い。「起承転結」の「転」のようなもの、論理の「踏み切り台」が「いや」である。実際に谷川が「いや」ということばをつかっているかどうかは調べてみないとわからないが、「いや」を中心とした論理の動かし方にはなじみがある。
 でも、

うん

 このひとことに、なじみがない。えっ、谷川って、こんなことばのつかい方をした? これはほんとうに谷川?
 私は、そんな具合に驚いたのだ。
 立ち止まったあと、24ページ。

てでさわれなくても

 あ、詩はつづいていた。一連目は、
 
にわに木がたっている
木のむこうにそらがひろがっている
そのむこうには
なにもない
いや
あるのだ
ほんとは
みえないけれど
きこえないけれど
うん
てでさわれなくても

 だったのだ。
 そう気づいて、私はまた驚くのである。
 やっぱり、この詩の谷川は「新しい」。
 いままでの谷川なら「うん」を書かなかった。「うん」を省略してみれば、わかる。

なにもない
いや
あるのだ
ほんとは
みえないけれど
きこえないけれど
てでさわれなくても

 「論理」のスピード感が違う。「うん」がなくても論理(意味)そのものはかわらないが、「うん」があると、そこに一呼吸がはいる。散文で言えば、読点「、」がはいる感じだ。
 そしてそれは「論理」を推し進める、あるいは別の方向に動かすというよりも、押しとどめる感じ、肯定することで、深めるという感じ。
 この「うん」は二連目で「そう」ということばに変化する。

それはなにか
そう
なんとよんでもいい
にわの木は
むかしからコナラ
あんしんする
なまえ
おぼえているかな
しんだ
あいつ
なまえのかずかず

 「そう」はなくても論理、意味は、そのままである。しかし、「そう」があるとないとでは深さ、落ち着きのようなものが違ってくる。
 私よりもはるか年上の人に対して言うことばではないが、「あ、谷川が落ち着いてきた」という感じだ。私のような、せっかちな人間が、他人に対して「落ち着いてきたなあ」という感想を漏らしてしまうのは、これは異常なことである。それくらい、私は、この詩に対してびっくりしたのだ。
 「うん」「そう」は、また「むかしから」ということばで言い直されている。

むかしからコナラ

 この一行は、意味はわかるが、とても不安定である。ことばを補えば、

にわの木は
むかしからコナラ(である、のままである)

 になる。「ある」という動詞が省略されているのだ。
 ここから逆に、「うん」「そう」ということばは「ある」を確認していることばだといえる。しかも、それは「むかしから/ある」のだ。
 谷川は、「むかしから/ある」もののたしかさを、いま、肯定しているのだ。それを「あんしん」と呼ぶ。
 谷川はこれまでも「むかしから/ある」ものを肯定して書いているかもしれない。「むかしから/ある」ものを否定してばかりはいないと思う。思うけれど、この詩では、「むかしから/ある」ということを、強く肯定している。
 私が驚いた新しい谷川とは、「むかしから/ある」を、いま、ゆっくりと肯定し始めている詩人なのだ。

あ きこえる
とおいおと
バイオリンと
ピアノ

いすにすわって
むかしのひとの
ほんをよむ
ことばは
いま
うまれたばかり
みたいに
といかけられていないのに
わたしではなく
わたしのいのちが
こたえている

 「むかしから/ある」は、「いま」ということばで言い直される。「いま/うまれたばかり」と。
 「いま/うまれたばかり」は、感動的なことばだが、私にはなじみがある。谷川の、詩の肉体になっている「論理」である。
 それがここでは、「いま/うまれたばかり」を強調するのではなく「むかしから/ある」を肯定する、その意味の深まりをじっくり待つという形で動いている。
 「わたしではなく/わたしのいのちが/こたえている」を言い直せば(ことばを補えば)、それは

わたしではなく
「むかしから/ある」わたしのいのちが
こたえている

 になる。「わたしのいのち」は「わたしが生まれてきてから」のものである。しかし、その「いのち」は「むかし」につづいている。わたしが生まれる前から、わたしのいのちはある。それが、わたしを励ましている。そこに「あんしん」がある。

わたしは
うん
どこか
とおくへいきたいのだ
ここから
とおい
しらないのに
なつかしいどこか
そこには
はやしがある
ちいさなかわがながれている
そこへ

 「しらないのに/なつかしい」のは、谷川は知らないが、谷川の生まれる前(むかし)から「ある」ものであり、それを「むかしから/ある」いのちが知っているからである。
 ここでも「うん」が繰り返されている。そして、前の連で省略されていた「ある」が「はやしがある」という形で、そっと補われている。
 詩は、そして、こうつづいていくのである。

しらないことは
いつまでも
しらないまま
そう
しっているやまをみて
しっているうみのにおいをかいで
いきている
いまも

にわに木がたっていて
そのうえに
そらは
ある
ありつづける
わたしが
うまれるまえから

 「うん」とおなじ意味の「そう」がくりかえされ、「ある」が強調され、「うまれるまえから」と念押しがある。
 谷川は、いま、そういうものを「肯定」しているだ。

 私は、実は、いま引用した27ページの「うまれるまえから」で詩はおわっていると思っていた。
 ところが、いま、こうやって引用して気がついたのだが、まだつづいていた。

にわに木がたっていて
そのうえに
そらは
ある
ありつづける
わたしが
うまれるまえから
わたしが
しんだあとまで
たぶん

わたしがそういうと
あなたは
うなずいた

だまってうなずいた
あなたが
すきだ

 「肯定」は「うなずく」と言い直されている。「だまって」は「うん」「そう」を言い直したものだともいえる。「うん」も「そう」も、特に何かを主張することばではない。自己主張しない。つまり、「黙っている」ことばなのだ。
 さて。
 最後に突然あらわれた「あなた」とはだれか。
 谷川の傍にいるだれかを想像することもできるが、私は「あなた」が「ことば」だと思った。これは直感であり、説明はしたくない。
 「ことば」は「むかしから/ある」。それはいつも谷川を肯定しつづけた。あるいは谷川がことばを肯定しつづけたということかもしれない。
 ことばと向き合い、ことばと対話し、ことばに対して「あなたが/すきだ」とあらためて語りかけている谷川。「ことば」が「ある」ということを再確認する谷川。この再確認の「再」が、とても新しいのだと思う。



 詩集の最後に「初出」が載っている。それによると「にわに木が」は「書き下ろし」である。私が「読んだことがない」と感じたのはあたりまえのことなのだが、しかし、「読んだことがない」と言うことだけでいえば「香しい午前」も「未発表」なので「読んだことがない」。それなのに、二つの作品では印象が違う。「香しい午前」はなつかしい感じがする。どこかに「読んだことのある」谷川が隠れているのに対して、「にわに木が」には「読んだことのない」谷川がいるのだと、あらためて思った。



 それにしても、私はせっかちである。詩を読みながら、詩が次のページにつづいていると考えない。(小説の場合、読みながら、最後はまだかなあ、と思ったりするのだが。)感動したら、そこでおわり、と勝手に思ってしまう。そして感想を書き始める。書き終わって、次の詩を読もうと思ったら、前の詩のつづきがあった、と知り、びっくりする。
 「にわに木が」では、それが3回もあった。
 予測がつかない、から「初めて読んだ」という気持ちがいっそう強くなったのかもしれない。




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