詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

読売新聞の記事のおもしろさ

2020-08-21 21:45:41 | 自民党憲法改正草案を読む
読売新聞の記事のおもしろさ
   自民党憲法改正草案を読む/番外379(情報の読み方)

 最近、といってもここ2、3日なのだが、読売新聞が奇妙である。
 私は、直近では2020年08月18日の読売新聞(西部版・14版)が、安倍の「日帰り検診」についての記事を批判した。しかし、その後、批判したいと思う記事がないのだ。いつもは、批判したいことが有り余っていて、困っていたのだが。

 どうしてだろうか。

 私は、安倍がらみで自民党がほんとうにどたばたしているのではないか、と感じている。どたばたしすぎて、読売の記者に「リーク」する内容、あるいは「こんな記事に仕立てて」と注文を出す余裕がなくなっているのではないか。

 そんなことを思っていたら、読売オンライン(https://www.yomiuri.co.jp/politics/20200821-OYT1T50282)(2020/08/21 20:35更新)に、こんな見出しと記事。
 
二階幹事長と菅官房長官が会食…評論家をはさんで2時間半

 自民党の二階幹事長と菅官房長官が20日夜、東京都内の日本料理店で会食した。安倍首相の体調不良説が飛び交う中、党と首相官邸を率いる要同士が、安定的な政権運営に向けて連携を強めている格好だ。
 会食は、評論家をはさんで2時間半続いた。両氏は6月17日と7月1日にも会食するなど、最近ではほぼ定例化している。

 奇妙な点がふたつ。
①二階と菅の会談は「20日夜」。21日夜ではない。つまり、一日遅れ。夕刊に書くほどのことでもないから一日遅れになったのか。あるいは夕刊で書くはずだったが、掲載スペースがなくて朝刊掲載にしたのか。具体的な会談内容はまったく書いていない。それなのに、わざわざ一日遅れのことを書いてどうするのか。
 自民党幹部からの「レクチャー」がないので、「党と首相官邸を率いる要同士が、安定的な政権運営に向けて連携を強めている格好だ」くらいのことしか書けない。しかも、そう書いた後ですぐに、「両氏は6月17日と7月1日にも会食するなど、最近ではほぼ定例化している」と特別な事ではないと装っている。「定例化」している会食なら、わざわざニュースにする必要はない。
 何かあるのだけれど、だれも読売の記者に「リーク」してくれない、という状態になっているのか。

つづきは、下のリンク先へ。
https://note.com/yachi_shuso1953/n/n8068f51f407b


*

「情報の読み方」は9月1日から、notoに移行します。
https://note.com/yachi_shuso1953
でお読みください。
 

#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位 



*

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坂多瑩子「クレヨン」

2020-08-21 09:32:01 | 詩(雑誌・同人誌)
坂多瑩子「クレヨン」(「すぷん」3、2020年夏発行)

 坂多瑩子「クレヨン」は、感想が書きにくい作品である。

ぬりえのノオトの顔は茶色にぬりつぶされ
クレヨンがはみでている

耳も口もなく

だからいいんじゃない
好きに書けば

だれかわからないだれかだもの
一つ目にしたってかまやしない
声にもクレヨンぬっちゃえばいい

ぬりつぶされた顔が
あるきながら上衣をぬいでいる
あたしもあるきながら上衣をぬいでいる

あたしの顔もぬりつぶしちゃえ
ぬりつぶしてもぬりつぶしても

あたしだよね
あれは

顔がはみでている

 なぜ感想が書きにくいか。
 「意味」を抜き出し、その「意味」に対して、自分の考えをいうということがむずかしい。
 と書きつなぐと、あ、あ、あ、めんどうくさい。
 「意味」がわからないのだ。「意味」が「論理」になっていないのだ。
 「論理」がないと、肯定するにしろ否定するにしろ、ことばが「論理」として動いていかない。
 そうか。
 「感想」とは「論理」のことだったのか。

 そうならば、逆に「論理」を無視してことばを動かせば、それはそれなりに「感想」になるのではないか。
 えっ、どいうい意味? 書いている私にもよくわからないなあ。

 はじめから、やりなおそう。

 この詩でいちばんおもしろいのは、最終行の「顔がはみでている」である。一連目は「ぬりえのノオトの顔は茶色にぬりつぶされ/クレヨンがはみでている」である。「はみでている」のは「茶色」である。「顔」は隠されている。「顔」ははみでていない。それなのに最後は「顔がはみでている」。
 矛盾だね。
 やっぱり、人間は「矛盾」しているから、おもしろいのだ。
 ほんとうは「顔」ははみでていない。はみ出ているのは「クレヨン」だが、クレヨンは自分でははみ出ることができない。塗りつぶす人間がクレヨンをはみださせるのだ。顔の輪郭を無視してしまう。顔の造作も無視してしまう茶色一色にして、その茶色をはみださせている。茶色にぬりつぶしてやりたい、という感情がはみ出ているのだ。
 そう。
 「顔」がはみでているのではなく、「感情」がはみ出ている。

 いっぽう。

 顔と感情の組み合わせで思うのは、感情が顔に出る、という言い方。感情は顔に出るのは、隠しておきたい感情が顔を突き破って出てしまう。感情を「あたし」と言い換えれば、「あたし」がはみ出ている。「あたしの感情」がはみ出ている。
 顔からクレヨンがはみだすという「乱暴」さのなかに。
 私たちはなんでも「修正」することを学ぶ。
 たとえば、顔の絵。目の位置、鼻の位置、口の位置、耳の位置。そういうものが「写真」(客観的写実?)と違っていると、デッサンが狂っていると注意される。正しい位置にととのえることを教えられ、教えられた通りにすると、「これでいい」と評価される。
 でも、修正されたくないねえ。修正するというのは、ある意味では他人が求めている形に自分をととのえていくこと。それは、自分が自分でなくなること。目の位置、鼻の位置をととのえるのではなく、自分の何かを修正すること。
 感情は、ときには修正できないね。
 というよりも、修正したくないね。
 で、こんちくしょう。こんな奴の、顔を塗りつぶしちゃえ。その気持ちが暴れ出すと、茶色がどこまでもはみだしていく。
 それは「客観的」には単なる茶色という色。クレヨンの一色。
 でも、「主観的」には「あたしの感情」。
 「感情」は「見えない」よね。でも「見えてしまう」よね。
 そういう「矛盾」が、ここにはある。

 また、「矛盾」が出てきた。
 たぶん、最初に書いた「矛盾」に、私のことばは追いついたのだ。
 だから、ここで感想を終わりにする。

 「声にもクレヨンぬっちゃえばいい」についても書きたいが、書き残しておく。
 私の大好きなセザンヌは、キャンバスの白が残っている絵につてい「ルーブルで色が見つかったら塗る」というようなことを言っている。
 私は、その「塗られていない白」が残った絵が、とても好きなのだ。塗り残しが、とても気に入っているのだ。




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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(94)

2020-08-21 08:36:39 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* 

ただ一羽の風見鶏だけである

 「ただ」と「だけ」によって「一羽」が強調されている。
 でも、ほんとうだろうか。
 強調されているのは「風見鶏」かもしれない。
 「ただ一羽の」「だけ」は「重複」というものだろう。
 このとき「風見鶏」に「意味」はない。「意味」を拒絶するために「ただ一羽の」「だけ」がある。つまり、「意味」は「ただ一羽の」「だけ」にまかせてしまって、無意味としての、詩としての、世界を拒絶するものとしての「風見鶏」が存在している。




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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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