詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

安倍はなぜやめたか

2020-08-29 11:39:26 | 自民党憲法改正草案を読む
安倍はなぜやめたか
   自民党憲法改正草案を読む/番外382(情報の読み方)

 2020年08月29日の読売新聞(西部版14版)。1面。

安倍首相辞任表明/コロナ下 持病悪化

 私は、この「見出し」を鵜呑みにはできない。
 私の見るところ、安倍のいちばんの欠点は批判に耐えられないことである。国会答弁などでも批判されるとムキになる。
 安倍がいちばん批判されたくないことは何か。
 「病気」ではないだろう。「病気」はみんなが同情してくれる。今回の辞任前後の動きを見ても、みんなが同情している。麻生、甘利の訴えは異常なくらいである。

 何がいちばん原因なのか。
 いま起きている「コロナ」で何がいちばん問題なのかは、私から見れば「感染の拡大」である。しかし、安倍(政権)はそうは考えていない。それは、28日に発表されたコロナ対策の「政策パッケージ」を見れば明らかである。(安倍は、会見でいちばん最初に、政策パッケージのことを語った。)
 この政策のいちばんのポイントは、(読売新聞が2面で掲載している「ポイント」の最初に書かれているのは、

軽症者・無症状者は宿泊療養を徹底し、医療資源を重症者に重点化

 このまま読めば、特におかしい点はないのだが、なぜ軽症者・無症状者は「入院」ではなく、「宿泊療養」なのか。「入院」だと何が困るのか。病床が足りなくなる、ということが考えられるが、これは中国がやったように病棟を建設すればすむ。それができないのはなぜ?
 簡単に言えば、金がないのだ。
 軽症者・無症状者が入院しては、病院ももうからない。「医療資源を重症者に重点化」というのは聞こえはいいが、「重症者」は病院で受け入れるしかないが、その他は経営圧迫に拍車がかかるので入院してもらっては困る、ということだ。
 これはコロナが発生したときから、「医療崩壊が起きる」ということばで間接的に語られたことである。コロナは金儲けにならない。実際、コロナ患者を受け入れたために、経営が悪化したという病院が続出した。
 でも、国民の健康が第一ではないのか。税金を医療に投入するときではないのか、と私は思うのだが。

 ここで思い出したいのが、アベノミクスということばでアピールし続けてきた「景気拡大」の嘘。
 安倍は、安倍政権になって以来、景気はよくなったと言い続けた。一時は、戦後最大の景気拡大期間が盛んにいわれた。ところが、コロナ拡大の真っ最中の7月に、内閣府の「景気動向指数研究会」が、実際には18年10月に景気は景気後退に転じていたとの判断を下した。アベノミクスによる「戦後最長景気」は、嘘だった。
 コロナが始まる前から景気は後退している。その後退期間は、もうすぐ「2年」になる。今年の10月には「後退期間2年」になってしまう。しかも、コロナの影響で、その「後退幅」は拡大している。
 金(税収)をどうするんだ。
 この問題が、これから大きくなってくる。それは言い直せば、アベノミクスとは一体なんだったのだ。ことばだけの嘘だったのではないか、ということが検証されるということだ。
 安倍は、この追及(批判)に耐えられないのだ。自分でつくりだした「アベノミクス」が批判されることに我慢できない。
 森友学園、加計学園、桜を見る会。一連の文書改竄、文書廃棄。こういう問題は、「ぼくちゃん知らない。ぼくちゃん何もしないない。官僚が勝手にやったこと」と言い逃れることができる。実際、「文書」がないので、追及できない。
 ところが「景気(税収)」は、「記録」が残っている。すでに「戦後最長の経済拡大期」が嘘だとわかってしまった。これから、つぎつぎにアベノミクスの嘘が発覚する。
 金を投入できないから、嘘がばれてしまう。

 このことを裏付けるように、コロナのさなかだというのに「GOTOキャンペーンをしないと経済が回らない」とか「消費税を上げる必要がある」という議論が出ている。
 金が、ほんとうに、ないのだ。
 金がないだけではなく、どうやって金を工面すべきか、安倍には考えられないのだ。
 私は、簡単に、防衛費をゼロにして、それを全部医療にまわせと言ってしまうが、そんなことをすれば、アメリカから「武器購入の約束はどうした」と批判される。アメリカからの批判に安倍は耐えられない。金をばらまかなければ、アメリカから批判される。
 これが、安倍には耐えられない。
だからこそ、辞任会見でも「安全保障」について、北朝鮮の驚異を引き合いに出して、これからは「迎撃防衛ではダメだ」と主張している。それを次期政権に引き継ぐと言っている。これは「先制攻撃のための武器をアメリカから買う」ということだ。そうすることでアメリカの歓心を買うということだ。辞任したあとも、安倍はアメリカから評価されることを期待しているのだ。

 前回の突然の「病気理由辞任」のときも、実はアメリカとの「交渉(約束)」が期限までに国会を通らないことが原因、と一説でいわれた。(そういうような記事を読んだ記憶がある。具体的に「交渉ごと」が何だったか記憶していない。)そのときも、安倍はアメリカからの批判に耐えられず、後任に「丸投げした」といわれた。
 安倍は、金ですべてを解決してきた人間なのだろう。だから、金が工面できないのはおまえのせいだ、と批判されると、どうしていいかわからなくなるのだろう。
 安倍の「持病」はストレスが要因ともいう。経済後退が18年10月に始まっていたという指摘(批判)こそが、安倍を窮地に追い込んだのではないか、と私は思っている。経済の落ち込みがコロナだけによるものなら、きっと安倍はアベノミクスは批判されないし、「GOTOキャンペーン」も「成果があった」と言えただろう。たぶん、「GOTOキャンペーン」にいちばん期待したのは観光業者ではなく、安倍自身だったのだ。でも、成果がなかった。安倍の経済政策はことごとく失敗し、国に金がなくなっている。
 これが原因なのだ。

 だから。
 これから、ほんとうにたいへんなことが起きる。
 安倍は「働きながら、コロナ対策をする」という政策を、次期政権に引き渡したのだ。あとは「ぼくちゃん病気だから治療に専念する。次のひと、よろしくね」と逃げたのだ。時期首相の「候補」から麻生がさっさと身を引いているのも「しもじもの貧乏人のことなんかめんどう見ていられるか」ということだろう。「財政通」であるはずなのに、今後の金の問題なんか、知らない、と逃げているのだ。安倍と二人三脚で逃げ出したのだ。
 インフルエンザかコロナ感染か、あるいはふつうの風邪(?)なのかわからないまま、国民は日々の生活を守るために働き続けるしかない。国は金持ちの面倒しか見ない、という時代が始まる。










*

「情報の読み方」は9月1日から、notoに移行します。
https://note.com/yachi_shuso1953
でお読みください。
 

#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位 



*

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山本育夫書き下ろし詩集「野垂れ梅雨」十八編(2)

2020-08-29 09:55:47 | 詩(雑誌・同人誌)
山本育夫書き下ろし詩集「野垂れ梅雨」十八編(2)(「博物誌」48、2020年08月20日発行)

 山本育夫のことばは「濁っている」。これは、きのう読んだ吉田広行との「比較」でそういうだけであって、「絶対的な基準」ではない。
 何語か知らないが、「日本語以外のことば」が出てくる作品を見ると、その違いがよくわかる。

03あふれだしている

詩はかくあるべしと
延々とつぶやいている
Bot がある
それを読んでいると
不思議な気持ちになる
つまり
詩はかくあるべきではないと
激しく思っているということだよね
Bot くん
そのことがよくわかった午後の

豪雨のしぶきだしぶき
詩は轟々(ごうごう)と
下水からあふれだしている

 「Bot 」が何か、私は知らない。知らないことばは知らないままにしておく。それが私の流儀だが、日本語ではないということだけはわかる。アルファベットで書かれているからね。
 で、の「Bot 」だが、二度目に登場するときは「Bot くん」と敬称がついている。敬称というのは、ほんとうは他人と距離をおくためのものだが、日常では他人との距離を縮めるためにもつかわれる。「くん」とか「ちゃん」が、とくにそういう働きをする。山本は、ここでは「Bot 」を日常をととのえるにしても、「外国語」の力を借りるためではない。むしろ「外国語(知らない何か)」を日常に引き寄せるためである。私は危険なことをしないよ、近づいておいで、というときの「くん」なのである。「こころを開いているよ、安心して」という証拠の「しぐさ(肉体)」が「くん」なのである。
 もし山本が「外国語」をつかってことばを「二重」するとしても、それは日常を引き剥がすためではなく、つまり日常を「外形化」する、虚構化することで日常を「わかりやすく」するのではなく、逆に日常の「内部」を複雑に、見えにくくするためである。
 なぜ「Bot 」を「くん」までつけて、自分の内部に取り込むのか。なんらかの「魂胆」のようなものがあるのだ。そして、山本のやっているのは、論理的なことばの運動をどこまでも明確に追うという仕事ではなく、「魂胆」というもの、ことばにするのがはばかられるようなものが人間を結びつけているということを明らかにすることなのだ。
 で、ここで山本が「Bot くん」と呼びかける姿勢を前面に打ち出し、山本がこころをひらく優しい人間であるとどうしても読者に伝えたいのは、なぜか。「詩はかくあるべきではないと/激しく思っている」の「主語」がだれなのかを考えるとわかる。「主語」は山本である。「激しく思っている」ことを前面に出す。主張する、とそういうひとはときに反感を買う。その反感をさけるために「Bot くん」のよう猫なで声で、「私はあやしいものではありせん、かわいいこどもに『くん』をつけて近づくやさしい人間なんです。こうアピールしているのである。このアピールの仕方を、私は「魂胆」と呼んでいる。
 「魂胆」なんて知ってしまうと、ひととの関係は、とっても面倒くさくなる。否定するにしろ、加担するにしろ、そこで動くのは「透明な論理」(誰にでも共有できるもの)ではなくて、ふたりで、つまり「一対一」で共有する「セックス」のような関係が始まってしまうのだ。そこでは、私はこういう人間ですという「見せかけ(愛しています)」と「本心(早く性交したい)」が交錯している。「論理/見せかけ」は他人に見せてもかまわない。けれど「魂胆の本心(セックスしたい)」は、他人に見せるとみっともない。実際のセックス自体、何でそんなかっこうしているといいたくなるような変なものになってしまうのだ。当人が気持ち良ければ気持ち良いほど、そんなものは「他人(第三者)」にとってはどうでもいいことだ。
 その、どうでもいいこと、その「経過」を山本はことばにする。
 「詩はかくあるべし」「詩はかくあるべきではない」。これは「論理」としては正反対のことだが、「気持ち」としては同じものだ。「気持ち」は「詩」に集中している。それは、なんといえばいいのか……。「ここは気持ちいいはずだ、ほら気持ちいいだろう」「違う、そこじゃない、そこは気持ち良くない」というセックスの対話のようなものだ。そんなことは、よほどのことがないかぎりいちいち「ことば」にせずに肉体を動かすことで「一対一」のなかで確かめるものだが。そんなあれこれが、「Bot くん」という猫なで声(しぐさ/肉体)をとおして展開する。
 だからこそ、

激しく思っているということだよね

 この一行で大事なのは、何を思うかではなく「激しく」思うこと。何かはどうでもいい。「詩はかくあるべき」「詩はかくあるべきではない」の「区別(境界、限界)」を叩き壊して、詩そのものを「激しく」思う。「そこ」「ここ」ではなく、まだ「出現」していない「場(エクスタシー)」を「激しく」思い、その存在しないものへ向けて動いていくこと。
 もし山本に「透明性」があるとすれば、それは「論理」ではなく、肉体の「激しさ」としての透明性なのだ。猫なで声(しぐさ)の背後に欲望が透けて見えるという透明性なのだ。それは、限界を超えてしまうしかない、射精してしまうしかない、という欲望の「透明性」なのである。
 人間には共通する欲望、共有できる欲望というものがあるかもしれないが、「論理」のように複数で共有できると考えない方がいい。論理のように、社会をととのえる形で共有できると考えない方がいいだろう。
 「一対一」になって、そこで完結させれば、それで充分である。この「一対一」の「日常(セックスというのは日常の基本)」のなかで、「よくわかった」という境地に達することがすべてなのだ。「よくわかった」あとは、どんな世界でも、それはとても美しい。

豪雨のしぶきだしぶき
詩は轟々(ごうごう)と
下水からあふれだしている

 豪雨のさなか、下水があふれだす。その「轟々」という勢い(激しさ)。それが詩のように美しい。限界を超えて、あふれだすものは、すべて美しい。それを共有できるのは、「ととのえる」ための「論理」を無視するときである。「しぐさ」のなかにどっぷりつかり、「肉体」そのもので「論理」をけとばしたものだけが、それを共有できる。
 山本の詩から、「論理」を引き出し、それを進展させ、「結論」に仕立てても、何もおもしろくない。「論理」が「そこじゃない、ここ」というのを無視して、「そこ」でも「ここ」でもない「あっち」へ行ってしまう「勝ち」なのだ。
 よね、
 山本くん。

 ほら、この「よね」にも「濁った思想/しぐさ」があるのが、わかるでしょ? こういう「よね」をつかうでしょ?




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破棄された詩のための注釈15

2020-08-29 00:05:20 | 破棄された詩のための注釈
破棄された詩のための注釈15
             谷内修三2020年08月28日

 鏡には前に覗いた人の顔が残っている。別の生き方ができたはずなのに、記憶にとらわれてしまった兄は精神科病院に入った。雪が降った。夜になっても止まず、静けさが音になって積もっていった。
 「そんなはずはない」ということばは二度書かれて、二度消された。しかし、消したあとも、断固として残っていた。

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