詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

遠野遥「破局」

2020-08-16 18:40:06 | その他(音楽、小説etc)


遠野遥「破局」(「文藝春秋」、2020年09月号)

 遠野遥「破局」は第百六十三回芥川賞受賞作。高山羽根子「首里の馬」ががっかりする作品だったので、遠野遥「破局」もつまらないだろうと思い、読まずにほっておいた。そのまま、ごみに出してしまえばよかった。
 遠野は「受賞のことば」で傘のシーンについて「自分の実力を超えた文章」(が書けた)と書いている。その部分は、たしかに美しい。

私は鞄から折りたたみ式の黒い傘を取り出した。灯は一本の傘にふたりで入ればいいと言って、自分の傘をつかおうとしない。ふたりで傘をさすと距離がとおくなってしまうから、それが嫌だという。(453ページ)

 遠野は「この場面だけ読んでも、何もわからない。だから、最初から読んで欲しい」と書いてるのだが、最初から読む必要はない。私が引用しているほかは読まなくていい。
 読まなくていい理由をこれから少しだけ書いておく。
 主人公は、ときどき「ニュース」に触れる。そのニュースがワンパターンである。

テレビではニュースをやっていて、強制わいせつの疑いで、巡査部長が逮捕されていた。走行中の東海道線の車内で、女性の下着に手を入れるなどしたという。(406ページ)
テレビの電源を入れると、元交際相手の暮らすアパートに侵入して下着を盗んだとして、巡査部長の男が逮捕されていた。(409ページ)
テレビではニュースをやっていて、女性用トイレに小型カメラを仕掛けたとして、巡査部長の男が逮捕されていた。(435ページ)

 これが一人の巡査部長のニュースであり、ストーリーの展開にしたがって動いていく(徐々に犯罪が拡がってくる)というのなら、まだわからないでもないが、何の関係もなく、ただ巡査部長が性がらみの犯罪で逮捕されるというだけである。
 しかも、この「ニュース」の文体が、主人公がニュースを聞いてことばにしているというよりも、新聞の「コピー」のような文体である。「女性の下着に手を入れるなどしたという」「アパートに侵入して下着を盗んだとして」「小型カメラを仕掛けたとして」。これは、新聞(マスコミ)が容疑者から「事実と違う」と指摘されたとき、「警察発表にしたがって書いたもの(伝聞)」であると言い逃れるための文体である。
 あきれかえる。
 こういうニュースにめが行くのは、主人公が、いつもいつも性にとらわれているという「証拠」なのかもしれないが、また警官逮捕か、他にニュースはないのか、と思ってしまう。
 この主人公は、また「マナー」や「法律」を非常に気にかけている。それが、ばかばかしい。

こうして肉や酒を振る舞ってもらっている以上、こちらから何か話題を提供するのがマナーであるはずだ。
肉だけで腹を満たすのはマナーに反する気がした。(ともに408ページ)
女にわざと脚をぶつけようとした。が、自分が公務員試験を受けようとしていることを思ってやめた。公務員を志す人間が、そのような卑劣な行為に及ぶべきでなかった。(414ページ)
彼女のことを知りたくて(トートバッグの)中身を見ようとしたが、やはり公務員を志しているからやめた。(415ページ)
灯に年齢を聞くと十八だというからやめた。灯の体を思えば酒を飲ませるわけにはいかないし、何より法律で禁止されている。(418ページ)
ひとりだけ酒を飲むのはマナーに反するので、私はアイスコーヒーを頼んだ。(426ページ)

 こんなことばが、ふたりの女の間を行き来し、セックスをする男のことばなのである。しかも、そのセックスというのが、なんとも味気ない。

私たちは会うたび欠かさずセックスをした。ひとたび始めればすぐには終わらなかったし、夜が明けるまで時間をかけてそれを行うこともあった。私はもともと、セックスをするのが好きだ。なぜなら、セックスをすると気持ちがいいからだ。セックスほど気持ちのいいことは知らない。(436ページ)

 なんとも。
 こんな文章を読んでも、私は欲情しないなあ。セックスしたいという気持ちにならない。

麻衣子は私の上で、大きくなめらかに腰を動かした。麻衣子が動くのは初めてだったが、麻衣子はこの動作にすっかり習熟しているように見えた。私は我慢する間もなく、あっという間に射精を迎えそうになった。すると、麻衣子がさっと腰を引いた。路地を横切る鼠のような素早さだった。上を向いていた性器がぶるんと私の顔のほうを向き、まさにその動きの途中で私は射精した。精液は、嘘のようにゆっくりと飛んだ。にもかかわらず、私は身をかわすことができなかった。精液が私の鼻や口、シャツに付着した。(439ページ)

 この描写だけ「綿密」で、ポルノ小説をなぞっているみたいだ。この「なぞっているみたい」というのは、最初の方に引用した「警官逮捕」のニュースの文体に通じる。作者の「肉体」を通ってことばが動いている感じがしない。どこかで読んだことがあるぞ、としか感じない。「麻衣子はこの動作にすっかり習熟しているように見えた」はいいけれど、相手の動きを「習熟」していると感じるかぎりは、主人公も「習熟」していないといけない。どんな具合に主人公がセックスに「習熟」しているのか、ぜんぜん、わからない。つまり、好奇心を刺戟してこない。
 だいたいねえ。
 「ねえ、ごめんね、あんまりさせてあげられなくて。陽介くん、きっといつも我慢してたんだよね」(438ページ)というようなことを、いまの若い女性が言うのだろうか。セックスは、女が男に「させてあげる」ものなのか。「マナー」や「法律」を言う前に、人間としての「平等感覚」を先に身につけるべきではないのか、なんて、説教をしたくなってしまうなあ。
 こんな作品を「文学」として選んだ選者の感覚に疑問をもつ。


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「自己責任」では?(2)

2020-08-16 09:34:11 | 自民党憲法改正草案を読む
「自己責任」では?(2)
   自民党憲法改正草案を読む/番外377(情報の読み方)

 2020年08月16日の読売新聞(西部版・14版)が、時事ドットコムニュース(2020年08月13日07時07分)を「追いかけ」ている。よほどの「特ダネ」なのであろう。
 4面に「囲み記事(安倍のイラストつき)」がある。

首相 心休まらぬ夏/別荘での静養 自粛

 記事には、こう書いてある。(番号は、私がつけた。)

 ①安倍首相がお盆休みを東京都内の私邸で過ごしている。②新型コロナウイルス対応で、山梨県鳴沢村の別荘での静養を取りやめたためだ。

 ①は、今の「事実」。②はどうか。「理由」を書いているように見える。しかし変じゃないだろうか。「新型コロナウイルス対応」に忙しいのなら、そもそも「夏休み」を返上し、対応の指揮をとるべきだろう。なぜ、「東京都内の私邸で過ごしている」? 国会を開いたら?
 安倍を批判する視点が完全に欠如している。
 記事には、こんな部分がある。

③首相が本格的な休暇をさけるのは、小池百合子都知事が都外への旅行自粛を呼びかけたことも影響している。

 なんと、安倍が山梨の別荘へ行けないのは、小池の政策のせいである、というのだ。
 でも二階の裏金調達の「goto」キャンペーンで、東京を除外したのは小池? 小池のコロナ対策が気に食わないから、小池いじめを目的に、国が東京を除外したのではなかった?
 東京発着の移動自粛は、小池が始めたのではなく、国が(安倍が)始めたことである。自分で自分の足を縛っている。「自己責任」である。

 記事の末尾は、もっと傑作である。

④首相周辺は来週以降に休養が取れないか模索している。

 「休養」って、何? 広島、長崎の原爆の日、15日の敗戦の日、安倍はそれぞれの式典には出席したが、ほかはずっと休んでいるのでは? 「来週以降」というけれど、いま、どんな仕事をしている?
 書き出しに「安倍首相がお盆休みを東京都内の私邸で過ごしている」とある。ちゃんと「お盆休み」をとっているではないか。「休養」しているではないか。
 さらにいえば、来週(盆明け移行)、コロナ感染の拡大が懸念される。そういうときに「休養が取れないか」模索するというのはおかしくないか。むしろ、感染拡大に備え、対策を練る必要がある。働かなければならない、と予想するのが一般的だろう。
 各県知事や医師会が、懸命に働いている。国が(安倍が)何もしないので、知事、医師会でできることをやっている。彼らは「夏休みが取れない」と不平を言っているか。彼らが夏休みが取れないからたいへんだ、かわいそう、という記事を誰が書いているか。
 「ぼくちゃん、夏休みがとれない。小池のせいだ。ぼくちゃん、なにもしていない。小池が自粛呼びかけという余分なことをして、ぼくちゃんをいじめている」という安倍の代弁記事ではなく、安倍に国会を開いてコロナ対策をすすめろと叱責する記事こそ書くべきだろう。
 安倍をおだてないと、電通経由で広告が入ってこないのかもしれない。そうだとしても、あまりにも情けない。新聞の役割を放棄している。







*

「情報の読み方」は9月1日から、notoに移行します。
https://note.com/yachi_shuso1953
でお読みください。
 

#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位 



*

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鈴木ユリイカ『サイードから風が吹いてくると』

2020-08-16 09:29:30 | 詩集


鈴木ユリイカ『サイードから風が吹いてくると』(書肆侃侃房、2020年08月06日発行)

 きのう「根気」「積み重ね」という、「地味」なことを書いた。それはちょっと「現代詩」や「詩」とは無縁なことのように見えるかもしれない。でも、そうではない。「根気」「積み重ね」はいろいろな形をとる。
 鈴木ユリイカ『サイードから風が吹いてくると』。その巻頭の「HIROSHIMA MON AMOR」。詩集の発行日は、広島原爆の日にあわせられている。どうしても書かなければならないことがある。そういう思いをあらわすために、巻頭に掲載しているのだろう。

その都市(まち)を歩いたひとは誰でも
 都市が信じられないほど美しいのに気づくに違いない
その都市を歩いたひとは誰でも
 奇跡のように心臓に新しい血が流れ
その都市を歩いたひとは誰でも
 一歩一歩新しく生きはじめるに違いない
その都市を飛んだ鳥が緑の川面をすべり
 どんなにすばらしい曲線を描いてひとの夢の中をすべるかを見るだろう
その都市を歩いたひとは誰でも
 人間のように話をする木に驚くだろう
その都市に立っている彫像の心臓が
 たとえ大理石でもたちまちに動きだすのを見るだろう
その都市を歩いたひとは不思議なことに
 知らないひとでも愛しはじめるのだ たちまちに

 「その都市を歩いたひとは誰でも」が繰り返される。これは「積み重ね」であり「根気」である。技巧としてのリフレインではない。(技巧としてのリフレインにも、根気、積み重ねはあるだろうけれど。)
 「その都市を歩いたひとは誰でも」と繰り返す数だけ、鈴木は広島を歩いている。歩くたびに、一歩一歩、広島を発見している。その発見したものを「根気」づよく、「積み重ね」ている。
 繰り返される「その都市を歩いたひとは誰でも」を省略して読んでみると、わかる。「意味」そのものは、大きくは変わらない。むしろ、「論理」がすっきりと立ち上がってくるかもしれない。
 でも、鈴木は、そういう「論理」の経済的展開を拒んでいる。
 何度も繰り返すのだ。
 それは次の連でも展開される。

奇跡というものについて わたしは知らない
 けれどもその都市に住む人びとは
多くを語らない 語ることができないのだと思う
 奇跡というものをわたしは知らない
けれどもその都市の人びとは自分たちが
 生きていることは奇跡だと思っているかも知れない
心臓が脈打って息をして目が見えることや
 耳がきこえることが
鳥が見えたり海が見えることが
 子どもたちの声が聞こえることが そして
黙って生きていることが

 これは一連目の「都市が信じられないほど美しい」をさらに言い直したもの、つまり「根気」強く、「積み重ね」なおしたものである。(一連目全体が「都市が信じられないほど美しい」の言い直しであることを考えれば、二連目は一連目の言い直し、いわゆる「起承転結」の「承」になるともいえる。)
 「美しい/奇跡」。「奇跡」とは何か。「生きていること」と言い直し、「心臓の脈打ち」と言い直し、「息をしていること」「目が見えること」「耳が聞こえること」と言い直していく。その「根気」。その「積み重ね」。ここには「手抜き」はない。自分のことばでつかみとれる大きさのものをひとつひとつ選び、ひとつひとつ積み重ねていく。
 この「根気」がゆるがないとき、そこに自然に、詩の形があらわれてくる。

冬のはじめのその都市をわたしたちは歩いた
 川の辺りの桜の葉はまだ落ちてなかった
友は椎の実を拾ってわたしの手に握らせた
 奇跡のようにわたしの心臓に新しい血が流れていた
わたしは知らないひとを愛しはじめていた

 一連目の終わりの「愛する」が繰り返されている。「予感」だったものが「現実」になっている。そこへたどりつくには、「根気(積み重ね)」が必要なのだ。

 この鈴木の詩に「根気」とか「積み重ね」ということば(批評)は不似合いかもしれない。たぶん、誰もこの鈴木の詩から「根気」とか「積み重ね」というひとの生き方(思想)を導き出したりはしないだろうけれど、私は、なんといえばいいのか、おおげさなことばではなく、「根気」「積み重ね」というようなところから、近づいて行きたいのである。「根気」のなかに、そのひとの「正直」が生きている。
 「根気」「積み重ね」というような、小学生からお年寄りまでをつなぐ「生き方」をあらわすことばのなかに、「思想」はある。「愛する」ということは、「根気」のいることであり、その「積み重ね」はときに疲労をもたらすこともある。けれども、知っていることを「根気」よくつづけるしか、広島を繰り返さないための方法はないのである、とも考えたりする。




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