遠野遥「破局」(「文藝春秋」、2020年09月号)
遠野遥「破局」は第百六十三回芥川賞受賞作。高山羽根子「首里の馬」ががっかりする作品だったので、遠野遥「破局」もつまらないだろうと思い、読まずにほっておいた。そのまま、ごみに出してしまえばよかった。
遠野は「受賞のことば」で傘のシーンについて「自分の実力を超えた文章」(が書けた)と書いている。その部分は、たしかに美しい。
私は鞄から折りたたみ式の黒い傘を取り出した。灯は一本の傘にふたりで入ればいいと言って、自分の傘をつかおうとしない。ふたりで傘をさすと距離がとおくなってしまうから、それが嫌だという。(453ページ)
遠野は「この場面だけ読んでも、何もわからない。だから、最初から読んで欲しい」と書いてるのだが、最初から読む必要はない。私が引用しているほかは読まなくていい。
読まなくていい理由をこれから少しだけ書いておく。
主人公は、ときどき「ニュース」に触れる。そのニュースがワンパターンである。
テレビではニュースをやっていて、強制わいせつの疑いで、巡査部長が逮捕されていた。走行中の東海道線の車内で、女性の下着に手を入れるなどしたという。(406ページ)
テレビの電源を入れると、元交際相手の暮らすアパートに侵入して下着を盗んだとして、巡査部長の男が逮捕されていた。(409ページ)
テレビではニュースをやっていて、女性用トイレに小型カメラを仕掛けたとして、巡査部長の男が逮捕されていた。(435ページ)
これが一人の巡査部長のニュースであり、ストーリーの展開にしたがって動いていく(徐々に犯罪が拡がってくる)というのなら、まだわからないでもないが、何の関係もなく、ただ巡査部長が性がらみの犯罪で逮捕されるというだけである。
しかも、この「ニュース」の文体が、主人公がニュースを聞いてことばにしているというよりも、新聞の「コピー」のような文体である。「女性の下着に手を入れるなどしたという」「アパートに侵入して下着を盗んだとして」「小型カメラを仕掛けたとして」。これは、新聞(マスコミ)が容疑者から「事実と違う」と指摘されたとき、「警察発表にしたがって書いたもの(伝聞)」であると言い逃れるための文体である。
あきれかえる。
こういうニュースにめが行くのは、主人公が、いつもいつも性にとらわれているという「証拠」なのかもしれないが、また警官逮捕か、他にニュースはないのか、と思ってしまう。
この主人公は、また「マナー」や「法律」を非常に気にかけている。それが、ばかばかしい。
こうして肉や酒を振る舞ってもらっている以上、こちらから何か話題を提供するのがマナーであるはずだ。
肉だけで腹を満たすのはマナーに反する気がした。(ともに408ページ)
女にわざと脚をぶつけようとした。が、自分が公務員試験を受けようとしていることを思ってやめた。公務員を志す人間が、そのような卑劣な行為に及ぶべきでなかった。(414ページ)
彼女のことを知りたくて(トートバッグの)中身を見ようとしたが、やはり公務員を志しているからやめた。(415ページ)
灯に年齢を聞くと十八だというからやめた。灯の体を思えば酒を飲ませるわけにはいかないし、何より法律で禁止されている。(418ページ)
ひとりだけ酒を飲むのはマナーに反するので、私はアイスコーヒーを頼んだ。(426ページ)
こんなことばが、ふたりの女の間を行き来し、セックスをする男のことばなのである。しかも、そのセックスというのが、なんとも味気ない。
私たちは会うたび欠かさずセックスをした。ひとたび始めればすぐには終わらなかったし、夜が明けるまで時間をかけてそれを行うこともあった。私はもともと、セックスをするのが好きだ。なぜなら、セックスをすると気持ちがいいからだ。セックスほど気持ちのいいことは知らない。(436ページ)
なんとも。
こんな文章を読んでも、私は欲情しないなあ。セックスしたいという気持ちにならない。
麻衣子は私の上で、大きくなめらかに腰を動かした。麻衣子が動くのは初めてだったが、麻衣子はこの動作にすっかり習熟しているように見えた。私は我慢する間もなく、あっという間に射精を迎えそうになった。すると、麻衣子がさっと腰を引いた。路地を横切る鼠のような素早さだった。上を向いていた性器がぶるんと私の顔のほうを向き、まさにその動きの途中で私は射精した。精液は、嘘のようにゆっくりと飛んだ。にもかかわらず、私は身をかわすことができなかった。精液が私の鼻や口、シャツに付着した。(439ページ)
この描写だけ「綿密」で、ポルノ小説をなぞっているみたいだ。この「なぞっているみたい」というのは、最初の方に引用した「警官逮捕」のニュースの文体に通じる。作者の「肉体」を通ってことばが動いている感じがしない。どこかで読んだことがあるぞ、としか感じない。「麻衣子はこの動作にすっかり習熟しているように見えた」はいいけれど、相手の動きを「習熟」していると感じるかぎりは、主人公も「習熟」していないといけない。どんな具合に主人公がセックスに「習熟」しているのか、ぜんぜん、わからない。つまり、好奇心を刺戟してこない。
だいたいねえ。
「ねえ、ごめんね、あんまりさせてあげられなくて。陽介くん、きっといつも我慢してたんだよね」(438ページ)というようなことを、いまの若い女性が言うのだろうか。セックスは、女が男に「させてあげる」ものなのか。「マナー」や「法律」を言う前に、人間としての「平等感覚」を先に身につけるべきではないのか、なんて、説教をしたくなってしまうなあ。
こんな作品を「文学」として選んだ選者の感覚に疑問をもつ。
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