長嶋南子『海馬に乗って』(空飛ぶキリン社、09月01日発行)
長嶋南子は、私にとっては「おばさんパレード」の先頭を行くだけではなく、その先頭さえもひっぱっていくひとだ。長い間、そうだった。一度も、そこからずれたことはない。
でも、今度の詩集は「ひっぱっていく」という感じがなくなった。長嶋が変わったのか、私の読み方が変わったのか、よくわからない。歩くのをやめたわけではないが、「先頭」であることをやめ、いままで見なかった部分を見つめている。「先頭」にいるときは、「行先」があった。いまは「行先」がなく、周りを見ながら、ときどき振り返ったりしている。そういう印象がある。これはこれで「おばさん」なのだが。
「仕事」という作品がある。
長い間ご苦労様と花束と拍手に送られて
カイシャを出される
やりたいことだけすればいいのです
耳もとでささやく声がする
やりたいことってなんだっけ
仕事をサボることだった
やめてみればひまで仕事をしたくなる
四十年働いて
私の身体は仕事で出来ている
仕事が服着て食べて寝て生殖して排泄して
身体から仕事が抜け落ちていく
からっぽになった
服着たからっぽが
昼間からうたた寝している
部屋の掃除でもしなよ
と抜け落ちた仕事がいっている
役立たずになった
服着た役立たずがちんまり座って
せんべいなんかかじっている
この作品を読むかぎり、長嶋はカイシャ(仕事)をやめた。そのことが、長嶋のことばに影響を与えているようだ。
「身体」ということばが二度出てくる。「身体」を長嶋は「服を着て」「仕事」をすると定義している。「仕事」をするとき「服を着る」。「服」が「仕事」をしている。これは言い直せば、「服」で「身体」を隠しながら「カイシャの仕事」をしてきた、ということだろう。そして、ときどき「服を脱いで」、私は「こんな身体だ」と言って見せる。それが、これまでの長嶋だったのか、と思う。
「おばさんの身体」は、こういう言い方は失礼になることを承知で書くのだが、どこか「怖いもの見たさ」を刺戟してくる。なんというか、「理想の身体」とは違うだけに、平気で批判できる。批判してもかまわない、という気分を誘う。長嶋は、そういう「気分」を誘っておいて、「批判できるなら、批判してみな」と反撃してくる。批判すると、返り討ちに遭うという「毒」を含んでいる。「毒」の魅力があった。
どうも、その「毒」が弱くなっている。
「カイシャ」に代表される「男社会」と戦う「場」を奪われたからかもしれない。「カイシャ」が長嶋を支えていた部分があったのかもしれない。「カイシャ」が長嶋におしつけくるものとと戦うことであらわになっていたものが、一歩後ずさりしたのかもしれない。「戦う相手」がいなくなったために、「毒」のまきちらしようがなくなったのかもしれない。
気になったことばがある。最終連に出てくる「役立たず」である。二回繰り返されている。「仕事」の「役に立たない」ということだが、こういう批判に対して、これまでの長嶋ならどう向き合ってきたのか。
二連目に「仕事をサボる」ということばが出てくる。「仕事をサボる」ことも仕事である、というのが「おばさんパレードの先頭をひっぱる」長嶋の生き方だったと思う。ことばの運動だったと思う。「仕事という服」を着せられたままじゃ窒息するよ。「身体」は生きてるんだから、好きなときに裸になって「身体」をさらしてみせる必要があるんだ、と言ったと思う。この「身体の主張」に対しては、「役立たず」という批判は、き下がるしかない。なんとういか、「身体」というのは、「役立たず」という批判をしているひとをもつくっているから、反論がむずかしいのだ。「身体」そのものの「定義」から始めなおさないと反論できない。だから、だまってしまう。長嶋は「身体」を主張することで「カイシャ(男)」の論理を笑い飛ばし、唾(毒)を吐いてきたのだ。
それがいま「役立たず」に対して「毒」をまきちらす反論をせずに、「受け入れている」。「役立たず」というのは「カイシャがまきちらす毒(男の毒)」なのだが、それを「せんべい」のようにかじっている。この「身体」の有り様を、知らん顔して、超越していると言えば、言える。「男の毒」なんて、食べてしまえばいいだけなのだ。「男の毒」なんかで「身体」は壊れない。平気だもん。
ああ、そうなんだろなあ。
長嶋は「平気」というものを手に入れたのだ。「毒」に対して「毒」で対抗するというような、面倒くさいことをするよりも、「毒」を「毒」で食ってしまう。自分の「毒」さえものみこんでしまう、ということになるのかなあ。
余裕だなあ。
でも、これは、危険だなあ、とも思う。「干し柿」という作品。
渋柿をもらった
皮をむいてベランダに干す
いっしょに
わたしもベランダに干す
しわしわになって食べごろ
こんなに甘くなるんだったら
もっと前に干せばよかった
ベランダで
陽をあびて風にふかれ
水分が抜けていく
張りがなくなったこのからだ
いまさら甘くなったって
つやつやの渋柿のころがなつかしい
誰にもかじられず
ふくれっ面でななめ向いて
タバコふかしてエラそうにしていたあのころ
「身体」は「からだ」と言い直されている。ここに、長嶋の大きな変化がある。
この詩は、いわゆる「抒情詩」で、しかもその構造は、清水哲男とか松下育男とかが絶賛しそうな「敗北」の寂しさで読者をひきこむ。敗北を美学と考える「青春」、敗北することで「青春」を乗り越え、大人になるという論理。そこには、説明しにくいが、「資本主義」の「企業優先」の論理、「資本主義を受け入れることが成長を支える」というようないやあな感じが見える。会社を辞めた人間には、この美学は無縁なのだが……。でも、通じるものがある。「敗北」を差し出し、生き残るずるさ、それを「青春の悲しみ」と呼ぶ「嘘」が、「論理的」に書かれている。それが、いやなのである。
こんな「論理抒情詩」は、長嶋には書いてほしくなかった。
この詩を一篇だけ取り出して読んだときは、こんなことは感じないかもしれないが、詩集の中に収められ、「通奏低音」のような位置を占めているのを見ると、どうも気持ちが悪くなる。
私は長嶋の詩が大好きなので、今回はあえて、この詩集は「大嫌い」と書いておく。詩集の「帯」に「新境地を示す新詩集」とあるが、これを「新境地」にしてほしくはない。
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