詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

安倍辞任会見のお粗末さ

2020-08-28 18:24:57 | 自民党憲法改正草案を読む
安倍辞任会見をNHKのネット配信で見た。

記者との質疑応答(記者の連携のなさ)にちょっとあきれかえったが。
安倍の「最後の主張」で聞き捨てならない点が2点あった。
その問題にしていないことも驚くばかりである。
①コロナ対策について、安倍は感染症の分類を見直す旨の発言をしている。いままでの「2類」指定を見直すことで、インフルエンザ治療と共存させる。つまり、コロナ感染者も「自宅治療」になる、というようなことを言った。(正確にはわからない。あす新聞で確かめる)
これはむちゃくちゃ。市中感染がどこまでも拡大する。
②国家安全対策について、安倍は「迎撃態勢をととのえるだけでは不十分だ。次期政権に引き継ぐ」というようなことを言った。(これも正確にはわからないが。)
これは「専守防衛」という憲法の規定を踏み外し、「先制攻撃」を想定するということである。北朝鮮の名前を出しながら明言している。
この2点をとりあげ、問題視しなかったのは、あまりにもおそまつ。
「安倍病気辞任」にふりまわされている。
辞任説はすでにでまわっていたのに、「辞任会見」でどういうことが語られるか、記者団はだれもその「内容」を想定していなかったということだろう。
記者の準備不足が目立つ「会見」だった。

上に書いた2点を質問しなかったのは、なぜだかわからないが、きっと事前に質問することを決めて、会見に臨んでいるからだろう。
「聞きたいこと」を安倍がどういうか、それしか考えていないから、その場での反応ができないのだ。
そんななかで、「事前に準備していたまともな質問」は東京新聞の清水、西日本新聞の川口のふたり。
「負の遺産」を追及したのがふたりだけとは情けない。
森友、加計、桜を見る会。
これに付随する公文書廃棄。
安倍は「政権の私物化はない」と決まりきったことばで逃げた。
それぞれが聞きたいことがあるのだろうけれど、連携が取れないのかといつも疑問に思う。
もうひとり、だれだったか、メディア対策(会見質問の事前提出)の問題を追及したが、追加質問が封じられているので、迫力に欠ける。
ジャーナリストも連携を模索する必要があると感じさせる会見だった。
フリーの江川昭子はひっかけて「IT政策の遅れ」を問題にしていたが、いま聞くべきことからは外れているなあ。

(明日の新聞で、どう会見が「要約」されているか。それが楽しみだ。)

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吉田広行『記憶する生×九千日の昼と夜』

2020-08-28 10:49:45 | 詩集
吉田広行『記憶する生×九千日の昼と夜』(七月堂、2017年09月01日発行)

 有働薫の『露草ハウス』を読んで、ふと吉田広行のことばを思い出した。ことばが「透明」なところに共通点がある。「透明なことば」の詩人はたくさんいるから、こんなおおざっぱな言い方では何も語ったことにならないのだが……。
 吉田広行『記憶する生×九千日の昼と夜』は2019年発行だが、最近読んだ。その「記憶する生」の「二」の部分の書き出し。

生の始まりは暗く
Big bangとBig dataの
あいだに挟まれて
もうすぐこの世の謎も解ける?

 ここには日本語と英語が混在している。ことばが異質なものと向き合いながら動くとき、そこには自然と「自己制御」のようなものが動いている。知らず知らず、「日本語(詩の基本語)」が異質なものによってととのえられ、暮らし(肉体)そのものから切り離される。肉体とは別の次元の運動になる。言い直すと肉体が抱え込む不透明なもの、どこがつなぎ目でどこが切れ目なのかわからないものから離れて、いったん、「頭」を経由して動く。その「頭」を経由することで生まれる「透明感」がある。
 「Big bang」「Big data」は英語というほどのものではないかもしれない。これも大事な要素である。「頭」を経由するのだけれど、借りてきた頭ではない。すでに「日常」に近くなった「頭」である。習慣化した「頭」と言ってもいい。「ビッグバン」や「ビッグデータ」ということばを聞いたことがないひとは少ないだろう。だれもが知っている。だれもが知っているが、それは自分の肉体でたしかめたことばなく、「他人経由」で入ってきた「知識」のことばだ。
 私がとりあえず「英語」と読んだものは、「他人経由のことば/頭経由のことば」である。広田の詩にも有働の詩にも、そういうものが「透明化」の作用として強く現れている。広田は、たまたまここでは「日常」に近い「英語」をつかっているが、「頭経由のことば」の基本は、「英語」ではなくほかの外国語かもしれない。「フランス語」が多いとすれば、有働の「ことばの透明化」ともっと重なるかもしれない。

 外国語(頭経由の、暮らしとは異質のことば)を鏡のようにつかいながら、日本語(日常のことば)をととのえなおす。そのとき「鏡像」と「実像」という「二重化」が起きる。「二重化」のなかで、ことばの運動を「認識」のあり方として見つめなおし、その「認識」そのものを「詩」と呼んで、提示する。
 これが広田の「肉体/思想/方法」のように私には感じられる。

ひとは不滅のヒトとなって生き続ける
細胞は細胞をつなぎ円環をむすぶ

 ここでは「英語(頭経由のことば)」のかわりに、「学術用語」のようなものがつかわれている。「ヒト」ということばが、日常の「ひと」とは別の形でつかわれている。「ひと」は生まれて死んでいくが生物学(?)上の「ヒト」という「概念」と生き続ける。そして、その概念のなかでは「ひと」は「細胞のつながり」としてとらえなおされている。
 「細胞」ということばは「Big bang」「Big data」と同じように、現代では「日常語」のようになじんでいるが、そしてそのために「頭経由のことば」とは考えられていないと思うが、それを実際に目で見るひとは少ない。ほとんどのひとは肉眼と実際の細胞をむきあわせていない。顕微鏡をつかって細胞を確認したひとは少ないし、それを日々確認しているひとはもっと少ない。つまり、多くは写真とむきあわせて認識しているだけである。「認識」しか、そこには存在しないのだ。「認識の仕方」しか、私たちの多くは体験してきていない。
 しかし、この「認識の仕方」を利用して、広田はことばを動かし、その結果、ことばは「日常」の面倒くささをふりはらって、「認識」そのものの「透明さ」を生きるのである。

もう誰も死なない
誰もどこへも行こうとしない

巨大な彗星の尾が落ちてくる
この真昼
死の饗宴だけが満ちて

 これは「日常」ではなく、「認識」の世界である。広田が世界をどう「認識」したか、その「方法」を「文体」にしているのである。
 それが証拠に。
 たとえばきょうの読売新聞(西部版・14版)によれば、新型コロナのために、27日には全国で11人が死亡している。死んだひとがどこへ行くのか知らないが、「誰も死なない」ということはない。「饗宴」があるだけではなく死そのものがある。

 こういう批評は無意味だ、という指摘があるだろう。

 そうなのである。私は「無意味」を承知で書いているのである。つまり、コロナのために何人が死んだというような「日常」の感覚のまま、(あるいは日常語の間隔/距離感のまま)、広田のことばを読んだのでは、広田の詩を読んだことにならないのだ。広田のことばは「日常語」とは別の動きをしているのだ。
 広田は「日常語」を「頭経由のことば」でととのえることで、日常とは違う運動へと導く。そこで、「広田論理」を繰り広げる。そのとき広田が「頼り」にしているのが「論理の透明性」なのである。
 こういうことは、これ以上書いてもごちゃごちゃするだけだから、ここで保留しておく。
 あすは(たぶん)ここから、山本育夫の世界へもう一度引き返してみる。
 そのあと、もう一度、広田の「九千の日と夜」に戻ってくるかもしれない。




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