小池昌代『かきがら』(幻戯書房、2020年09月11日発行)
小池昌代『かきがら』は短篇集。7篇収録されている。「ブエノスアイレスの洗濯屋」というタイトルに惹かれて、まず、その作品を読んだ。
ブエノスアイレスが直接登場するわけではなく、主人公の働いている洗濯屋の親方の祖先の末裔がブエノスアイレスで洗濯屋をやっている、という具合に登場する。直接小説の「舞台」になっているわけではない。
で。
こんなことから書き始めたのは、実は、この小説が「ブエノスアイレスの洗濯屋」のような「ことば」と、その「ことばをとおして想像すること」を、とても巧みにつかうことで成り立っているからである。このタイトルは、ひとつの「象徴」のような働きをしているのだ。
「ことば」と「ことばばをとおして想像すること」というのは、いくつも書かれるのだが、象徴的なことにしぼって取り上げると。
主人公(空也)が住んでいるビルには「おにぎり屋」がある。このおにぎりをつくることを、空也は「むすびかた」と言う。「おむすび」といういい方があるから、それを踏襲したものだが、それを聞いておにぎり屋の店員(ヒロノブ)は、
「つくりかたじゃなくて、むすびかたか。あんた、微妙なことを言うね」
と感想を漏らす。言っていることはわかるが、「微妙」な違いがある。それは「ずれ」というのでもないなあ。むしろ、逆に「重なり方」「一致の仕方」というものである。
そういうことが、いくつものことばが出会いながら「重なり」(一致)を深めていく。「ことば」が重層的になるとき、世界が重層的に、立体的に見えてくるという構造になっている。
洗濯屋にはアイロンがつきもの。空也はアイロンをかけることを仕事にしている。アイロンは「皺」をのばすためのものである。おりぎりは手で握る。その掌には「皺」がある。もちろん掌の「皺」はアイロンでのばすものではないが。
おにぎりは素手で握ったものがおいしい。「雑菌が調味料」の役割をする。アイロンも完璧に皺がなくなってしまってはいけない。
人間の手作業の「雑味」というものを、残すくらいが、いい仕事だ。
「雑菌」が「雑味」と言い直されて、アイロンがけとおにぎりをひとつに「結ばれる」。
キーワードがつぎつぎに変化して、世界がなんとなく重なりひとつになる。このときのキーワードを小池は「雑味」のように、括弧で強調するときもあれば、クライマックスででてくる「人肌」のような、括弧なしでつかうこともある。
人が死ぬとき、手を握る。そうすると、命が延びる、生きている人から死んでいくひとに向かって血が流れ、同時に時間が逆流するように、死のうとしているひとが引き返してくる感じがある、とヒロノブがいう。その話を聞かされた空也が、ヒロノブに手を握らせてくれ、と頼む。
空也の手から、ヒロノブの手へ、静かに移動していくものの気配があった。空也の手はつめたく大きく、ヒロノブの手はあたたかく小さい。ヒロノブも空也も、久しぶりに人肌に触れた。炊きたての白米とはばかに違う。アイロンの取っ手とはまったく異なる。人の肌。人の肌は。
この短篇は、この「人肌」の発見、あるいは「人の肌」に「触れる」という、ちょっとなつかしいようなものをことを発見するまでのことを描いている。このあとで、空也は、
空也は初めて、親方の「親戚」に思いを馳せた。(略)合ったことのないブエノスアイレスの洗濯屋を、空也は今こそありありと身の近くに感じた。
ことばが重なり、それが世界を、他人を身近にする。ことばがあって、ことばをとおして想像することで「ありあり」が初めて存在する。
それが、先に引用した「雑味」のようなことばをぽつんぽつんとつなぎながら語られていく。括弧のないものも含めて引用すると、「後屈」「事実婚」「果皮(老婆)」「砧/皺」「見えない人」「降臨」「旧世界」などである。どれも「ありあり」を浮かびあがらせるためのことばである。
補足すると「見えない人」とはドガの「アイロンをかける女・逆光」の絵について触れたところに出てくることばであり、それがブエノスアイレスの「見たことのない人」へとつながり、「旧世界」は富士山が爆発する前の世界をさす。つまり、この小説は、現代が舞台ではなく「未来」が舞台なのである。
「未来」と断ることで、「ことば」にかかる圧力を軽減し、「ことば」と「ことばを通して想像すること」の関係が巧みに語られるのだが、気になるのは、その語り方があまりにも巧みでつまずきがないことである。書いているうちに「ことば(キーワード)」が生まれてきたというよりも、最初から「キーワード」を散らしておいて、それをつないでいったのではないかという印象がしてしまう。それはそれでひとつの方法なのだと思うが、私が散文を読むときに感じる興奮とは相いれないものである。だから「巧み」という印象が真っ先に出てきてしまった。
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