詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

Estoy loco por espana(番外篇82)Joaquin Llorens Santa, Serie Hexaedro n - 2

2020-08-04 18:50:58 | estoy loco por espana


Joaquin Llorens Santa, Serie Hexaedro n – 2

Me gustan las piezas de hierro oxidado de Joaqui’n.
Por el trabajo de Joaqui’n, siento la historia del hierro, la sangre de hierro, el cuerpo de hierro.
El hierro vive al ser tomado.
Siento el tiempo que ha vivido el hierro.
Es decir, siento el tiempo que Joaqui’n ha vivido.

Hay planos cuadrados, hexaedros regulares y curvas que intentan dibujar ci’rculos.
El ci’rculo sostiene el cubo, o el cubo sostiene los ci’rculos que se separan ?
El hierro crea la forma del hierro y al mismo tiempo crea la forma del espacio en el que existe.
Ambos me atraen.

私は、ホアキンの錆びた鉄をつかった楽品が好きである。
鉄の歴史、鉄の血、鉄の肉体を感じる。
鉄は、つかいこまれることで生きている。
鉄の生きてきた時間を感じる。
それはまた、ホアキンの生きてきた時間そのものを感じさせる。

正方形の平面と正六面体と、円を描こうとする曲線。
円が立方体を支えてるのか、立方体が離れていく円をつなぎとめているのか。
鉄がつくりだすのは、鉄の形だけではない。鉄が存在する空間の形もつくる。
その両方に、私は惹かれる。
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谷川俊太郎『ベージュ』(3)

2020-08-04 09:41:30 | 詩集


谷川俊太郎『ベージュ』(3)(新潮社、2020年07月30日発行)

 「うん」は、詩集の最後に収録されている「どこ?」にも出てくる。しかし、この「うん」には、私はあまり驚かなかった。初めて読む、という印象がなかった。もちろん「にわに木が」を先に読んでいるということが影響しているが、読む順序が逆でも、たぶんそれほど驚かなかったと思う。
 どこが違うのか。

ここではない
うん
ここではないな
そこかもしれないけれど
どうかな                              (どこ?)
 
なにもない
あるのだ
ほんとは
みえないけれど
きこえないけれど
うん                              (にわに木が)

 「印象批評」になってしまうが、「どこ?」の「うん」は「肯定」というよりも、ことばを押し動かすための「うん」という感じ。英語で言うと「yes 」というよりも「and 」という感じか。「にわに木が」は「and 」ではなく「yes 」なのだ。そして、それは、私のいちばんよく覚えている「yes 」で言えば、ジョイス「ユリシーズ」の最後の章の「yes 」である。絶対的肯定としての「yes 」。
 でも、印象だけで書いていてはいけないと思うので、ここから私は「証拠」を探し始める。
 「うん」と同時に、ふたつの詩に共通してつかわれていることばに「ない」がある。
 
ここではない
うん

きこえないけれど
うん

 違いは、後者には「けれど」ということばがつづいている。ここだけを取り上げると「どこ?」が「yes (肯定)」であり、「にわに木が」は「and (推進)」という感じがして、あれ、読み違えたかなとも思うが、よく読むと、「にわに木が」の「うん」はそれよりも前に出てくる「ある」と強く結びついている。     

なにもない
あるのだ
ほんとは

 この「ある」を肯定している。「うん」は「ほんとは」とおなじ意味なのだ。
 一方、「どこ?」にも、実は「けれど」という逆説をみちびくことばが出てくる。

ここではない
うん
ここではないな
そこかもしれないけれど
どうかな

 しかしこの「けれど」は明確な逆説ではない。「どうかな」という疑問を生み出すだけだ。疑問を深めるため(推し進めるため)の「うん(and )」なのだ。「ほんと」は書かれない。「ほんと」がわからないという「うん」なのだ。

 詩が、どういう順序で書かれたのかわからないが、私は「どこ?」の方が先で、「にわに木が」の方があとだと思う。「うん」の力が、後者の方がはるかに強烈だからだ。肯定的で明るいからだ。
 これは、こんなふうに言い換えることができる。
 「にわに木が」では谷川は動いていかない。「にわ」にいる。しかし、「どこ?」では作者は動いていくのだ。この「動く」は「さがす」ということばであらわされている。

「場」をさがしあぐねているのだ
みちにあたるものは
まっすぐではなく
まがりくねるでもなく
どこかにむかっているらしいが

 「さがす」は「むかう」という動詞でも言い直されている。さがしているのは「場」であり、そこへたどりつくためには「みち」が必要だ。「場」と「みち」はどこかで一体になっている。「みち」がみつかれば、おのずと「場」にたどりつくからだ。
 「にわに木が」でも

わたしは
うん
どこか
とおくへいきたいのだ

 と、ここではない別の「場」がもとめられているが、谷川は「にわに木が」では、その「どこ」を探していない。存在しているを直感している。そしてそれは、その「場」へ向かうのではなく、いまいる/ここを、その「場」にしてしまう。「そこ」を「ここ」へ引き寄せる形で動いている。それは「いま/ここ」こそが「そこ」なのだという肯定(うん/yes )という形になっている。
 「どこ?」では、肯定になりきれず、どこまでもことばを推し進める「うん/and 」である。

「場」があることだけはたしかだから
うん
そうおもっているものたちはまだ
いきのびているはずだ
そこここでことばにあざむかれながら

 まだ「ほんと」がみつからない。「あざむかれる」ということばは「うそ」にあざむかれるのである。「ことば」が「うそ」に一緒にある。それはたどりつく「場」ではない。

おんがくのあとについていっても
うん
みずうみのゆめがふかまるだけ
いちばんちかいほしにすらいけない
なさけなさをがまんするしかない

 この「うん」も、「それで、どうなる?」と言い換えられる。つまり、ことばを促すための典型的な推進の「うん(and )」である。音楽のあとつてつい動いた。その結果、どうなる? どこへに行けない「ここ」で「がまんするしかない」。「がまん」はじっとしていること、動かないこと。ここから、詩が変わり始める。

〈そう〉は〈うそ〉かもしれないとしりながら
きのうきょうあすをくらしているのが
きみなのかわたしなのかさえ
ほんと
といかけるきっかけがみつからない

ただじっとしているのが
こんなにもここちよくていいものか
「場」はここでよいとくりかえす
かぼそいこえがまたきこえてきた
きずついたふるいれこーどから

「場」がいきなりことばごときえうせて
うん
ときがほどけてうたのしらべになったとき
わたしはもう
いきてはいなかった

 「ほんと」が出てくる。この「ほんと」は、まだ確信ではない。「といかけている」途上の「ほんと/めざしている場」なのだが、そのあとに「じっとしている」が出てくる。そして、

「場」はここでよいとくりかえす

 「よい」という「肯定/yes 」にかわる。「よい」の発見がある。
 最終連の「うん」には肯定と推進が入り交じっている。「yes, and」という感じ。「それでよい」、「そして、それから、どうつづく?」
 「ときがほどけて」、つまり時間から解放されて「永遠」になる。永遠とは谷川にとって音楽「うたのしらべ」である。
 「わたしはもう/いきてはいなかった」は「疑う私、もとめる私は生きてはいなかった」という意味だろう。
 すべてが「ある」。あるがまま。それが「道」ということかもしれない。
 これは、私には「にわに木が」の世界そのものに見える。








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