谷川俊太郎『ベージュ』(3)(新潮社、2020年07月30日発行)
「うん」は、詩集の最後に収録されている「どこ?」にも出てくる。しかし、この「うん」には、私はあまり驚かなかった。初めて読む、という印象がなかった。もちろん「にわに木が」を先に読んでいるということが影響しているが、読む順序が逆でも、たぶんそれほど驚かなかったと思う。
どこが違うのか。
ここではない
うん
ここではないな
そこかもしれないけれど
どうかな (どこ?)
なにもない
あるのだ
ほんとは
みえないけれど
きこえないけれど
うん (にわに木が)
「印象批評」になってしまうが、「どこ?」の「うん」は「肯定」というよりも、ことばを押し動かすための「うん」という感じ。英語で言うと「yes 」というよりも「and 」という感じか。「にわに木が」は「and 」ではなく「yes 」なのだ。そして、それは、私のいちばんよく覚えている「yes 」で言えば、ジョイス「ユリシーズ」の最後の章の「yes 」である。絶対的肯定としての「yes 」。
でも、印象だけで書いていてはいけないと思うので、ここから私は「証拠」を探し始める。
「うん」と同時に、ふたつの詩に共通してつかわれていることばに「ない」がある。
ここではない
うん
きこえないけれど
うん
違いは、後者には「けれど」ということばがつづいている。ここだけを取り上げると「どこ?」が「yes (肯定)」であり、「にわに木が」は「and (推進)」という感じがして、あれ、読み違えたかなとも思うが、よく読むと、「にわに木が」の「うん」はそれよりも前に出てくる「ある」と強く結びついている。
なにもない
あるのだ
ほんとは
この「ある」を肯定している。「うん」は「ほんとは」とおなじ意味なのだ。
一方、「どこ?」にも、実は「けれど」という逆説をみちびくことばが出てくる。
ここではない
うん
ここではないな
そこかもしれないけれど
どうかな
しかしこの「けれど」は明確な逆説ではない。「どうかな」という疑問を生み出すだけだ。疑問を深めるため(推し進めるため)の「うん(and )」なのだ。「ほんと」は書かれない。「ほんと」がわからないという「うん」なのだ。
詩が、どういう順序で書かれたのかわからないが、私は「どこ?」の方が先で、「にわに木が」の方があとだと思う。「うん」の力が、後者の方がはるかに強烈だからだ。肯定的で明るいからだ。
これは、こんなふうに言い換えることができる。
「にわに木が」では谷川は動いていかない。「にわ」にいる。しかし、「どこ?」では作者は動いていくのだ。この「動く」は「さがす」ということばであらわされている。
「場」をさがしあぐねているのだ
みちにあたるものは
まっすぐではなく
まがりくねるでもなく
どこかにむかっているらしいが
「さがす」は「むかう」という動詞でも言い直されている。さがしているのは「場」であり、そこへたどりつくためには「みち」が必要だ。「場」と「みち」はどこかで一体になっている。「みち」がみつかれば、おのずと「場」にたどりつくからだ。
「にわに木が」でも
わたしは
うん
どこか
とおくへいきたいのだ
と、ここではない別の「場」がもとめられているが、谷川は「にわに木が」では、その「どこ」を探していない。存在しているを直感している。そしてそれは、その「場」へ向かうのではなく、いまいる/ここを、その「場」にしてしまう。「そこ」を「ここ」へ引き寄せる形で動いている。それは「いま/ここ」こそが「そこ」なのだという肯定(うん/yes )という形になっている。
「どこ?」では、肯定になりきれず、どこまでもことばを推し進める「うん/and 」である。
「場」があることだけはたしかだから
うん
そうおもっているものたちはまだ
いきのびているはずだ
そこここでことばにあざむかれながら
まだ「ほんと」がみつからない。「あざむかれる」ということばは「うそ」にあざむかれるのである。「ことば」が「うそ」に一緒にある。それはたどりつく「場」ではない。
おんがくのあとについていっても
うん
みずうみのゆめがふかまるだけ
いちばんちかいほしにすらいけない
なさけなさをがまんするしかない
この「うん」も、「それで、どうなる?」と言い換えられる。つまり、ことばを促すための典型的な推進の「うん(and )」である。音楽のあとつてつい動いた。その結果、どうなる? どこへに行けない「ここ」で「がまんするしかない」。「がまん」はじっとしていること、動かないこと。ここから、詩が変わり始める。
〈そう〉は〈うそ〉かもしれないとしりながら
きのうきょうあすをくらしているのが
きみなのかわたしなのかさえ
ほんと
といかけるきっかけがみつからない
ただじっとしているのが
こんなにもここちよくていいものか
「場」はここでよいとくりかえす
かぼそいこえがまたきこえてきた
きずついたふるいれこーどから
「場」がいきなりことばごときえうせて
うん
ときがほどけてうたのしらべになったとき
わたしはもう
いきてはいなかった
「ほんと」が出てくる。この「ほんと」は、まだ確信ではない。「といかけている」途上の「ほんと/めざしている場」なのだが、そのあとに「じっとしている」が出てくる。そして、
「場」はここでよいとくりかえす
「よい」という「肯定/yes 」にかわる。「よい」の発見がある。
最終連の「うん」には肯定と推進が入り交じっている。「yes, and」という感じ。「それでよい」、「そして、それから、どうつづく?」
「ときがほどけて」、つまり時間から解放されて「永遠」になる。永遠とは谷川にとって音楽「うたのしらべ」である。
「わたしはもう/いきてはいなかった」は「疑う私、もとめる私は生きてはいなかった」という意味だろう。
すべてが「ある」。あるがまま。それが「道」ということかもしれない。
これは、私には「にわに木が」の世界そのものに見える。
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