詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

ボルヘス「七つの夜」

2021-03-02 09:37:14 | その他(音楽、小説etc)
ボルヘス「七つの夜」(野谷文昭訳)(再読)

「七つの夜」は講演集。
作家を定義するとき「キーワード」がつかわれる。ボルヘスなら、鏡とか迷宮とか。しかし、私は名詞を信じない人間である。動詞に重心を置く。
ボルヘスのことばの運動を、彼が使っている動詞で定義すると、どうなるか。

「含む」である。
「悪夢」について語った講演にでてくる。49-50ページ。悪夢を引き起こすのは悪魔だという考えがあると紹介した上で、こう言う。

この考えには何かしら本物が(略)含まれているのではないかと思うのです。

すべとのもの(考え、つまりことば)は、それ以外のものを含む。そしてそれは「本物」である。言い直せば、「本物」は特定できない。それは、その時時の、もののあらわれかたのあんばいにすぎない。
これは、「含まれているのではないかと思う」という言い方の中にもあらわれている。
ボルヘスは「含まれている」と断定せず、「ない(か)」と否定、疑問を含めた形で、ことばを動かす。
鏡に映る鏡。それは鏡像であるけれど、本物の鏡を映している。つまり鏡像は本物を「含む」のである。

これは、「千一夜物語」では、こう展開する。79ページ。

中国にも文学史はありません。なぜなら人々は出来事の連続に興味を持たないからです。

つまり、中国人にとって、出来事はすべて「現在」を含むということである。それは、中国語の文法そのものでもある。中国語には時制がない。過去形、未来形がない。これをボルヘスは、あらゆる時間は現在を含む、ととらえなおすのである。
というのは、私の「誤読」かもしれないが。
コメント
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