詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

マルケス「ママ・グランデの葬儀」(2)

2021-03-01 13:51:53 | その他(音楽、小説etc)
マルケス「ママ・グランデの葬儀」(2)

「ママ・グランデの葬儀」は短編だが、始まってすぐ、マルケス特有の果てしない枝分かれ文章がある。
145ページ。

「中枢に打撃をうけた国家は今や平静を回復しており、」と始まって、「バナナ業者は」「超越的な力とを代表した人々は」「法王は」と、助詞「は」をともなった主語らしき名詞がならび、「歴史家諸氏が訪れる暇を見つけるまえに、通りに面した扉に丸椅子をもたせかけてこの全国民的な動揺の一部始終を語り始めるべき時なのである。」と8行にわたる一文が閉じられる。
めまいを感じながら読むけれど、「語り始める」という動詞(述語)に対応する主語は何?
わからないねえ。
あえていえば。
私が抽出した「・・・は」ではなく、「時」が主語なのだ。日本語の訳文では主語の形をとっていない「時」が主語、「その時がやってきた」がこの文章の要約になる。
そして、この「時」を共有する登場人物、つまり歴史を、その時代を生きるひとのすべてがもつれあって集団劇を演じる。
主語は人ではなく、時間と場所。
ここから「百年の孤独」は陸続きだ。
コメント
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