詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

フリオ・コルタサル「すべての火は火」

2021-03-27 10:42:48 | その他(音楽、小説etc)

フリオ・コルタサル「すべての火は火」

「コーラ看護婦」で試みられた方法がさらに拡大する。登場人物の思いが、あることばをきっかけに交錯し、主役が交代するするという方法が、時空を超えて展開する。
一方にパリのアパート。男が女と電話で別れ話をしている。別の女がやってくる。
他方で古代の闘技場。総督と女が、剣闘士の戦いを見ている。
別れた女は自殺し、女が欲する剣闘士は倒れ死んで行く。
男女がすりかわり、悲劇の幕は、突然の火事(炎)につつまれて終わる。

場面転換は、こういう描かれる。
185ページ。

受話器を耳から離す時、弓から無害な矢が放たれるような、カチャッという音が聞こえる。網は間もなく彼の身体をすっぽり包んでしまうだろう。

カチャッは受話器を置く音から鉄の網のぶつかる音に変わる。

また186ページ。

その手も生温かい脇腹とさきほど転がり落ちた薬瓶の間でふたたび動かなくなる。みぞおちを突かれたヌビア人は身体をのけぞらせて、絶叫をあげる。

脇腹は、すばやくみぞおちにかわる。
主役があっという間に交代し、そこに共通の感情があらわれる。
主役は入れ替わり、起きている事件も違うのだけれど、男と女のあいだでうごめく感情、そのうごめきが共通のものとして、全体を統一する。
現代と古代、男と女の違いを超えて、感情が共通する。
これは、コルタサルの思想である。
整理した考え、行動を律する考えではなく、考えを破壊し、溢れる思いが時系列の時間を突き破り、思いの永遠を出現させる。破滅、死は、カタルシスによって浄化される。
溢れる思いが時系列の時間を、永遠の一瞬に変える。

コルタサルは意識の流れを、思いの流れに変え、ベルグソンに接近するのである。

コメント
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