詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

フリオ・コルタサル「病人たちの健康」

2021-03-21 09:35:04 | その他(音楽、小説etc)

フリオ・コルタサル「病人たちの健康」

思うと考える。
スペイン語ではなく木村栄一の日本語訳で読んでいるので、私はコルタサルを誤読しているかもしれない。しかし、私はコルタサル研究家でもないし、翻訳家でもないから、気にしない。
本の内容よりも、私自身のことばの運動を大切にする。

この小説でも、思うと考えるが交錯する。

母親は病気。ショックを与えると死んでしまうかもしれない。だから、叔母が病気になったことを隠す。息子が死んだことも隠し、外国へ出張中ということにする。
心配かけたくない、は、思い。そのために、嘘をつく(真実を告げない)は考え。考えに基づいて、家族、医師、息子の恋人は行動する。考えが共有され、実行がある。
その間も、それぞれの思いは揺れる。特に息子の恋人は。
母は気づくか。
考えに気づくというより、思いに気づく。死ぬ間際に、こう言う。71ページ。

「わたしを苦しめまいとしていろいろ苦労したようだけど(略)本当に良くしてくれたね」
「私たちはもうこれ以上迷惑をかけないから(略)みんな、ゆっくり休んでおくれ」

私たちには母、息子、叔母がふくまれるだろう。(叔母は母に先立ち死んでしまう。)
みんなわかっていたのである。
そして、最後。
息子アレハンドロから嘘の手紙が届く。そのあと。71ページ。

手紙を読みながら、母が亡くなったことをアレハンドロにどう伝えればいいだろう、と考えていたことに思い当たった。

考えると思うが、続いて出てくる。
私は思わず、うーん、と唸ってしまう。
考え、行動は共有され、共有によって人間を支配する。持続力が長い。思いは、その持続を打ち破って噴出してくる。
この小説は、何度も何度も噴出してくることばにならない思いを、考えが押さえつけ、身動きできなくなる(後戻りできなくなる)のだけれど、その思いの乱れ(?)が、次々に主語がかわる文章で組み立てられていて、息もつけないくらいに早い。
ウルフよりも軽々としている。意識の流れというよりも、思いの流れ。

コメント
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