田窪与思子『サーカス』(思潮社、2021年04月19日発行)
田窪与思子『サーカス』は巻頭の「サーカス」を読み始めてすぐ、ことばの固さが気になる。堅牢と言い換えてもいいのだけれど(この、日常的にはあまりつかわないことばの方が、たぶんぴったりなのだけれど)、なぜなんだろうなあ。
無機質なマンションが建ち並ぶ郊外の町。
赤いテントの周りはぬかるみで、
ムシロの上をそろりそろり歩く。
テントの傍にはコンテナハウスが並び、
異国の団員たちがスタンバイ。
きっとことばの呼応が「定型」だからだろう。マンションは「無機質」でなくてはならず、そしてマンションが「無機質」なのは郊外だからだろう。新宿の酒場の多い町では、マンションはきっと「無機質」ではなく、もし「無機質」であるとしてもそれは郊外のマンションの「無機質」をつきぬけたものだろう。
これは「ムシロ」といういまは見かけないものでも同じ。「ムシロ」はぬかるみを呼び、そこではひとは「そろりそろり」と歩く。こんなことを知っている人は、いまは少ないだろう。若者には、これが「定型の呼応」とは感じられないかもしれない。つまり、田窪は、かなり年配のひとである、ということがわかる「呼応の定型」が、ここにある。
「異国の団員たち」にも「呼応の定型」がある。いまの時代「異国」ということばにどれだけ意味があるかわからないが、その意味のないものに意味を与えてしまう「定型の呼応」。
「呼応」とは、しかし、あいまいなものだね。それは、ことばとことばの「距離の取り方」と言い換えることができるが、「無機質なマンション」「ぬかるみ/ムシロ/そろりそろり歩く」「異国の(サーカス)団員」というのは、いま発見されたものではなく、すでに過去に語られたものである。だからこそ「定型」(確立されたもの)と私は呼ぶのだが、この「定型」が、いま「ことばとことばの距離」としてなまなましく成立するかというと、かなり疑問だ。疑問だけれど、ここに確固とした「安定」があることがわかる。
でも、田窪を、かなり年配の詩人と仮定しても、この「呼応の定型」だけが「堅牢さ」を生み出していると断定するのはむずかしいなあ。いちばん目につくのは「呼応の定型」だけれど、他に何かが影響している、と感じる。堅牢さの背後にもっと何かがある、という予感がする。
何だろう。
意外と早く、その「キーワード」が見つかる。「美容院」。
美容院に行くと、
産休明けのタキグチさんが迎えてくれた。
お久しぶり、と話が弾み、
鏡の中の彼女とあたしを眺める、「あたし」。
ありふれた光景に見えるが、行末の「あたし」にはカギ括弧がついている。これは、何を意味してるだろう。「鏡の中のあたし(鏡像)」と区別しているのだが、カギ括弧がなくても最初のあたしは鏡像とわかり、あとの「あたし」は鏡像ではない(本物の)あたしであることがわかる。しかも、カギ括弧どころか、「あたし」ということばそのものがなくとも意味が成立する。だれが読んでも、誤解のしようがない。しかし、そのだれが読んでも「誤解」の生まれるはずがないことばに、わざわざ不要なカギ括弧をつけて目立たせている。そのくせ、「あたし」が出てくるのは、この詩では一回限りなのだ。
赤ん坊が泣き続けた時は深呼吸をして心をムにしたわ。
えっ、ム? 退院した犬が吠えつづけた時は動揺した。
えっ、ビョウキ? サンポは?
というようなやりとりや、過去の(タイの)美容院の思い出などか書かれたあと、
繰り返し甦る舞台装置のような美容院。
という一行がある。そこに「舞台装置」という比喩。対象として見ている。その舞台に田窪はいるはずなのに、そこにいるのは「生身」ではなく演じられた田窪なのだ。
「鏡の中のあたし」も「鏡像」ではなく演じられたあたしであり、生身のあたしは「あたし」なのだ。
そして、この生身のあたしを隠して、舞台で演じられるあたしを、客観的に描き続けるのが田窪なのだ。舞台で演じていても、そこに生身があるはずなのに、生身を出さない。おもしろい役者は、役を演じながらも役者自身の生身を「存在感=過去」として舞台に噴出させるものだが、田窪はそういうことをしない。「演技」を「演技」という「枠(定型)」のなかで完成させる。この「定型」が、ことばの運動となってあらわれてくるのだ。
「定型」だから、どこも間違ってはいない。でも、それは「間違っていない」という理由で、ことばの魅力を半減させる。完成しているけれど、おもしろくない。ことばの魅力というのは、いったいどこへ動いていくのかわからない、わからないけれどひっぱられてしまう、騙されるかもしれない、でも騙されてもいい、どうなってもいいと思ってついていくとき、ことばが「わくわく」「どきどき」するものとなって迫ってくる。それが、田窪の詩には欠けていると思う。(これを逆から言うと、最初に書いた「堅牢」という評価になるのだけれど。)
詩集の後半の「帰還」という作品は「小説」風なのだけれど、ストーリーの展開に「わくわく」どくどき」がないのは、そこでは「あたし」が隠れたままで、「舞台」のように第三者がことばのなかを動いているだけだからである。
「坂道」という作品には「あたし」が四回出てくる。私の「キーワード」の定義では、四回もたてつづけに出てくるのはキーワードではないのだが(キーワードとは、必然に迫られて必然的に出てくるもの、というのが私の定義である。「美容院」は、その例になる。)、ここでは田窪は、あえて「あたし」を種明かししているのだ。
だから、
脚本を書いたのは
「あたし」? (注・詩の形を反映していません)
ということばも出てくる。「脚本」は「舞台」に通じる。田窪にとっては「舞台」(芝居)とは、「あたし」を隠し、「別人」として生きること、架空(虚構)を生きることなのだ。もちろんその「虚構」は現実を明確にするための「装置」であるが、それはあくまでも「装置」である。
「装置」というのは、たとえば「書き割り」を例にとるといちばんわかりやすいが「定型」である。「定型」であることで「装置」になる。
詩は、その「装置」を破って動いていかないと、いのちにならない。ことばが輝かない、と思う。
どこにも「間違い」のないことばを読んだ。けれど、それがおもしろいかと言われると、返答に困る。「間違い」がないから、それでいい、とは感じられない。私は「間違い」を楽しんでみたい。現実で間違いを生き抜くことはむずかしいが、せめてことばのなかでくらい、思い切った「間違い」についていってみたいと思う。どうなるかわからないということほど「どきどき、わくわく」する体験はないからね。
でも、こんな不満をついつい書いてしまうのは、この詩集が「堅牢=堅実」であるからでもあるんだけれどね。
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