砂東かさね「春の記憶」(「乾河」91、2021年06月01日発行)
砂東かさね「春の記憶」。ことばの呼応が静かで説得力がある。
橋の上に取り残された
桜の花びらは
何度も靴の底に踏まれ
自分の色を保てずに
春の終わりを待っている
風は運ぶ
飛ばすべきものを
どれほど軽くなれば
飛んでいけるのか
私は今日も橋を渡る
一連目。よく見る春の光景。桜が散っている。踏み潰されている。そこに自己投影をする。とくに目新しいことが書いてあるわけではない。
でも、その目新しくない光景が(もしかしたらほかのひとが書いているかもしれない光景が)静かに迫ってくるとしたら、それは何が要因となっているのか。
四行目の「自分の色」の「自分」である。この段階で砂東は「桜」を「自分」と呼んだわけではない。この「自分」は「桜自身」という意味である。「桜本来」と言い直すこともできる。つまり、あくまで「桜」のことを言っている。
しかし、それを「自分」という「呼称/代名詞」で呼んだために、最後の行の「私」と静かに重なる。ああ、砂東は桜の花びら、しかもは踏まれて色褪せていく桜の花びらを砂東そのものと見ているということが、すーっと胸に落ち着く。「自分」と「私」の呼応。何でもないようだけれど、その何でもないようなところこそが詩のポイントなのだ。詩の力なのだ。
二連目。
日々はあからさまに
ひとの後ろを掃いてまわる
花の萎れる夕べに
終わらないことをうたにする
あたらしい唇
あたらしい痛み
ひとりでに降りつづく
雪はとけない
一連目の「自分」「私」は「ひと」と言い直される。砂東だけの世界ではなく、「ひと」の世界が広がる。「後ろを掃いてまわる」と「何度も靴の底に踏まれ」にも呼応がある。「踏まれて」「掃かれて」、どこかへ飛んで行く(消えていく)。さらに「春の終わりを待っている」と「終わらないことをうたにする」の「終わり」が「自分」と「私」のように呼び掛け合う。そのとき「うた」が生まれるのだが、その「うた」は必然的に悲しいものとなる。けっして楽しい歌ではない。「痛み」とは「ひとり」の痛みである。「自分」の痛み、「私」の痛み。それが「ひとり」の痛み。この「ひとり」は「ひと」と呼応することで、いっそう「ひとり」になる。
砂東は、ここからどこへ行くのか。
この橋を渡りきる時
見上げた記憶は思い出になる
そうして
季節はひとつ前へ行く
「見上げた記憶」とは何か。桜が散ってしまったあとの桜の木(枝)か。見上げて、何を思ったか。足ものと桜の花びらか。踏まれて、踏まれることで、掃かれるように、どこかへ「始末」されてしまう花びらか。
それについては砂東は書かない。ただ、
そうして
と書く。「そうして」には否定も肯定もない。あるがままに、それを受け入れる。そういうときの「そうして」だろうなあ。ことばにしようがないのである。ただ、砂東自身を動かすために「そうして」と声にしてみる。無為としての「そうして」。荘子の「何もしない」を、ふと思う。何もしない。そうすると、おのずと「前へ行く(進む)」。
「ひとつ」は「ひとり」、「ひと」とも呼応するだろう。
一連目の「自分」と「私」の呼応は、いくつかの呼応を繰り返し「ひとつ」という確かなものになる。この「ひとつ」は砂東のことばの運動だけが手に入れた「ひとつ」である。一連目、一行目の「取り残された」を否定する力強い「ひとつ」である。
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