林嗣夫「無題」(「兆」190、2021年05月05日発行)
林嗣夫「無題」。起承転結で書かれている。
年を取ったせいだろうか
骨やら肉やらのことが 気にかかる
骨が先か肉が先か そのどちらが大事なのか
そんな二元に考えるのは意味がないが
しかし 最後に残るのは骨のほうである
ホラホラ、これが僕の骨だ、
というふうに
骨のある生きものと ない生きもの
その人生観 宇宙観は全く異なるだろう
骨は寂しいから 花としての肉を求める
肉は花を生きるために
骨という規範を必要とする
骨のない生きもの 昆虫 なめくじ……
なんだか切なさの固まりのようでもあるが
何を思って生きているのだろう
私は、この詩の最後の一行にひかれた。何も書いていない。「何を思って生きているのだろう」とほうりだされたら、それを想像して書くのが詩であり、文学である、と学校の先生なら言うかもしれない。「考えを書きなさい」と。
しかし、考えにならないこともあるのだ。ぼんやりとした何か。「無題」というタイトルがついているが、それこそ「無」といかいえない、何か。「無意味」ではない。でも「意味」でもない。そこにあるだけのもの。たぶん「無分節」の「無」、と書いて、あ、そうだったのか、と私は脱線する。私は「未分節」と知ったかぶりをして書く。「無分節」の「無」がわからなかったからである。「無分節」の「無」は、いま、林が書いている「何を思って生きているのだろう」なのだ。それは、前の行では「なんだか切なさの固まりのようでもある」と書かれていて、「意味」としてはその行の方が強い。でも、その強さを叩き壊して「何を思って生きているのだろう」とほうりだす。「意味」を追いかけてもしようがないのだ。「意味」はいつでも林を襲ってくる。「意味」に襲われる前の「無」の方が「手応え」があって、「図太い」。
で、この視点から読み直すと、この詩はおもしろい。
一連目(起)は、ぼんやりとはじまる。ことばがどこへ動いていくかわからない。「骨」と「肉」と「気」が提示される。
二連目(承)に「大事」「意味」ということばが出てくる。「大事」は「意味がある」という意味である。「意味がある」と「意味がない」という「二元論」をくぐりながら、「気」は「二元論」を否定しようとする。しかし、ことばは中原中也を引用しながら「最後に残るのは骨」というふうに動いていく。なにかしらの矛盾、飛躍の踏み台があり、次元の違った世界(転)へ向かう。
その三連目(転)は、ことばの面構えからして、一連目、二連目とは違う。「骨」「肉」と書きながら、そこに書かれているのは「気」である。精神である。言い直せば「哲学」である。哲学であるから、ここには「論理」がある。それを「規範」と言っている。意味、規範は論理の骨格である。
と、いったん「結論」を先走る形で提出しておいて、四連目(結)。これを否定するというよりも、叩き壊す。禅問答(公案)で、どういう質問だったか忘れたが、何か問われた方が何も答えず、近くにあった何かをけとばして部屋を出て行く、というのがあったと覚えているが、そんな感じだな。
「論理=意味」としての「哲学」なんて、意味がない。批判してもはじまらない。そんなものはなかったことにする。ただ、いま、ここに生きている。それを直接的につかみとるには、「論理=意味」(これは、切なさという感情の場合もある)を叩き壊さなければならない。「無」をほうりだすのだ。すべての問いに対して。
私は、その「無」のいさぎよさのようなものをいいなあ、と感じる。いさぎよい、にまでは達していないから、それがまたいいなあ、と思う。先に書いた「公案」のように、何かを完全に叩き壊して出て行ってしまうのでは、それはそれで難問を残されたようで気分が重い。わからない。なぜ、そんな「答え」が語り継がれるのか。そこにどんな「真理」が隠されているのか。難問すぎて、考えたくない。
ぼんやりと「何を思って生きているのだろう」に体をあずけ、「ばかだなあ、なめくじが何かを思って生きていることなんかあるもんか、なめくじなんだぜ」と言って笑うのである。もちろん、反論があるのはわかる。でも、「ばかだなあ」と、反論があるのを知っていて笑うのである。
**********************************************************************
★「詩はどこにあるか」オンライン講座★
メール、skypeを使っての「現代詩オンライン講座」です。
メール(宛て先=yachisyuso@gmail.com)で作品を送ってください。
詩への感想、推敲のヒントをメール、skypeでお伝えします。
★メール講座★
随時受け付け。
週1篇、月4篇以内。
料金は1篇(40字×20行以内、1000円)
(20行を超える場合は、40行まで2000円、60行まで3000円、20行ごとに1000円追加)
1週間以内に、講評を返信します。
講評後の、質問などのやりとりは、1回につき500円。
(郵便でも受け付けます。郵便の場合は、返信用の封筒を同封してください。)
★skype講座★
随時受け付け。ただし、予約制(午後10時-11時が基本)。
週1篇40行以内、月4篇以内。
1回30分、1000円。
メール送信の際、対話希望日、希望時間をお書きください。折り返し、対話可能日をお知らせします。
費用は月末に 1か月分を指定口座(返信の際、お知らせします)に振り込んでください。
作品は、A判サイズのワード文書でお送りください。
少なくとも月1篇は送信してください。
お申し込み・問い合わせは、
yachisyuso@gmail.com
また朝日カルチャーセンター福岡でも、講座を開いています。
毎月第1、第3月曜日13時-14時30分。
〒812-0011 福岡県福岡市博多区博多駅前2-1-1
電話 092-431-7751 / FAX 092-412-8571
**********************************************************************
「詩はどこにあるか」2021年4月号を発売中です。
137ページ、1750円(送料別)
オンデマンド出版です。発注から1週間-10日ほどでお手許に届きます。
リンク先をクリックして、「製本のご注文はこちら」のボタンを押すと、購入フォームが開きます。
<a href="https://www.seichoku.com/item/DS2001228">https://www.seichoku.com/item/DS2001228</a>
*
オンデマンドで以下の本を発売中です。
(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512
(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009
(3)評論『高橋睦郎「深きより」を読む』76ページ。1100円(送料別)
詩集の全編について批評しています。
https://www.seichoku.com/item/DS2000349
(4)評論『高橋睦郎「つい昨日のこと」を読む』314ページ。2500円(送料別)
2018年の話題の詩集の全編を批評しています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804
(5)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455
(6)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977
問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com