木村草弥『四季の〈うた〉続』(澪標、2021年05月25日発行)
木村草弥のブログに書かれたものの第二弾。『愛の寓話』という詩集から「ピカソ「泣く女」」という散文詩がそのまま転載されている。「泣く女」は、私は美術の教科書で見たのが最初である。中学生のときだったと思う。とても有名な絵である。モデルは、ドラ・マール。当時、ピカソの愛人だった、と木村は書いている。つづけて。
ピカソと知り合ったのは、この絵の描かれる前年、二十九歳のときで、ピカソは五十五歳だった。
ピカソの女性関係は伝説的である。
何しろ女性は彼にとってインスピレーションの源なので、必要なとき相手が有頂天になるほど崇め、不要になればボロ雑巾のごとく捨てるだけ。みごとに誰ひとり幸せにしてやらなかった。
うーん。
私はピカソに夢中の人間なので、ちょっとうなった。
まず、木村がピカソの生涯に詳しいこと。私は簡単な伝記を読むには読んだが、内容はぜんぜん覚えていない。誰が最初の愛人で、そのとき何歳だったか、というようなことは完全に意識から消えている。だから、
みごとに誰ひとり幸せにしてやらなかった。
に、いっそう驚いたのである。
えっ、相手を幸せにしてやることが、愛人を持ったり結婚したりすることの条件なのか、と。
ピカソは絵が描きたかった。ピカソは、自分が幸せになりたかった。それだけだと思う。他人の幸せは、ピカソの意識になかったと思う。
それは、あの「泣く女」一枚を見てもわかる。ぜんぜん同情していない。「泣く」というのは、ある意味で、ありふれた感情の評言、爆発であり、とくに新しい行為ではない。男から見ると、(女は怒るだろうけれど)、泣かれたら、ちょっと面倒くさい。そういう気持ちも起きる。
この絵には、泣く女は面倒くさい、というようなピカソの、男の気持ちはぜんぜんあらわれていない。なんておもしろいんだろう。これを絵にすれば、ぜったいおもしろい。傑作になる、と確信している。そういう発見の喜びに満ちている。
私は、あえて印象(記憶)だけで書くので間違っているかもしれないが、この絵にはいくつものおもしろい点がある。
女はハンカチをまるで噛み千切るようにして噛んでいる。その手と歯とハンカチの顔を多いながらも歯が見える(噛んでいる様子)パートと、顔を覆いながらも目が見える(目が覆われていない)パート、そして派手な帽子や髪といった感情とは別なパート。大きく言って、三つのパートで出来ている。三つのパートなのだけれど、ひとつに見える。そういう絵だと思う。
歯も印象的だけれど、目もとても興味深い。日本の漫画(?)では、目の輝きを白い星であらわす。でもピカソは、たしか泣いている目を黒っぽい星で描いていた。それが、私にはうるんでいる、濡れているように見えた。泣いているというよりも、泣きそう、という感じである。一方、目からこぼれて尾を引いていく涙もある。だから、うるんでいるを通り越して、涙が止まらないのだ。そして、もうひとつ。顔を覆う手の指、その爪が、また涙のようにも見える。爪か涙かわからない。好意的(?)に考えれば、涙が手(指)をも濡らしている、ハンカチなんかでは間に合わない、ということかなあ。その一方、派手な帽子は、女の感情なんか、無視している。非情である。だから、絶対的な美しさを獲得している。
この描き方を、木村は、美術用語をつかって最初に説明していた。
「キュビズム」というのは、立体を一旦分解し、さまざまの角度から再構築する描法である。
教科書みたいな説明である。たぶん、そうなのだと思うが、私には「立体を一旦分解し、さまざまの角度から再構築」したとは思えないのである。
再構築というよりも、見えたものを、見えたままに描いた。
ハンカチを噛んでいるのが見えた。だから、それを描いた。そして、目が涙で濡れているのが見えた。だからそれを描いた。そして、涙が頬をつたって落ちていくのが見えた。だから、それを描いた。そして、帽子は美しいままである。だから、それをそのまま描いた。「そして」がつづいて一枚の絵になっている。どこから描き始めたのかしらないが、それは「再構築」ではなく、見えたままなのだと思う。見えたところを描いて、それが終われば次の部分を描き、さらに見えたものを追加して描く。それだけなのだと思う。
ピカソは描くのに時間をかけない。迷わない。どの線も、どの色もスピードに満ちている。ピカソは描きなおさない。修正しない。別なことばでいえば、「有頂天」になって、突っ走って描いている。描くこと以外、何も考えていない。
だから、
何しろ女性は彼にとってインスピレーションの源なので、必要なとき相手が有頂天になるほど崇め、
というよりも、ピカソは女性のなかに見つけた美に「有頂天」になって、ただそれを追いかけている。女を有頂天にさせているのではなく、ピカソが有頂天になっている。それがたとえ泣きわめいている女であっても、その泣いている姿に有頂天になる。「困った、面倒くさい」なんて思わないのだ。ピカソをつらぬいているのは「有頂天」のスピード、いま見ているものしか見えないという絶対的な「有頂天」の視力だ。
芸術家は怖い。
蜘蛛が餌食の体液を全て吸い尽くすように、他人の喜怒哀楽、全ての感情を吸い取って自分の糧にしようとする。
(略)
蜘蛛が干からびた獲物の残骸を網からぽいと捨てるように、ピカソはドラを捨てた。
ピカソの残酷さが遺憾なく発揮された『泣く女』は傑作となり、ドラの名前も美術史に永遠に残ることになった。
名前が美術史に残ることが「幸せ」かどうかわからないが、多くの人はドラのことを思い出すかもしれない。木村が「残酷」と書いていることを、しかし、私は「有頂天」と読み替えた、ということだけは書いておきたい。
どの傑作(というか、私の好きな作品)でも、私はそこにピカソの「有頂天」の超スピードを見る。
あ、こんなことは、木村の詩とは関係がないか。
こんなことを書いても、木村の本を読んだ感想にはならないかもしれないが、しかし、これがきょう動いた私のことばである。木村のことばを読まなかったら、こんなことは書かなかった。そういう意味では「感想」のひとつなのである。
で、こんなことを書きながら思うのは。
「キュビズム」というのは、立体を一旦分解し、さまざまの角度から再構築する描法である。
の「キュビズム」の「キュビズム」に該当するわけではないのだが、木村の書いている「泣く女」に対する詩は、「泣く女」をさまざまな角度から再構築しているといえる。モデルが誰であったか、ピカソとどういう関係にあったか。さらにふたりの関係はどうなっていったか。あるいは、ピカソの女性関係はどう展開したか。ほかの作品との関係はどうか。引用しなかったが、そういうことがとても丁寧に書かれている。最後には、ピカソの長い長い本名まで紹介している。ある対象の「背景」には何があるか。知りうる限りを木村は丁寧に書く。そうすることで対象を「立体的」につかむ。つまり構築する。「一旦分解する」のではなく、細部をひとつずつ丁寧に積み上げる。そういう「手法」を、他の作品分析でも展開している。
この一冊は、木村がブログで書き綴ってきたものをまとめた第二弾だが、木村がやってきたことは、そういう丁寧な時間の積み重ねであり、それが自然に一冊になった。いや、二冊になった、ということだ。
付け足しのようになってしまったが、これは大事なことだ。
本の帯に「十数年執筆の苦労は嘘をつかない」と書いてある。その通りだと思う。木村の書いていることに、嘘はない。だからこそ、私は平気で、瞬間的に思ったことを書くことができる。私が何を思おうが、何を書こうが、それは木村の書いたことを傷つけない。木村の文体は、私の感想をはね返して、この本の中でしっかりと生きている。読めば、そのことがわかる。
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