詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

フロリアン・ゼレール監督「ファーザー」

2021-05-15 16:58:38 | 映画

フロリアン・ゼレール監督「ファーザー」(★★★★)(2021年05月15日、キノシネマ天神、スクリーン2)

監督 フロリアン・ゼレール 出演 アンソニー・ホプキンス、オリビア・コールマン

 認知症の老人を描いているのだが、これはほとんど恐怖映画である。
 映画は三つの場面に分かれる。①アンソニー・ホプキンスが見ている世界(オリビア・コールマンから見ると、正しく認識されていない世界)②オリビア・コールマンが見ている世界(観客から見ると、客観的な「正しさ」を伝える世界)③だれが見ているのかわからない世界(ふたりのほかに、介護人、オリビア・コールマンの夫らが登場する。そこには、当然彼らが見ている世界も含まれる)。
 この三つの世界(もっと多いかもしれない)が、「画面」としては「均一」に描かれる。同じ方法で描かれる。①が焦点の定まらないぼやけた世界とか、モノトーンの色彩の世界というわけではない。カメラがアンソニー・ホプキンスの目として動いているわけではない。それは②の世界がオリビア・コールマンの目の位置にカメラがあるわけではないのと同じだ。カメラは、いわば③の位置にある。そして、これに「目」だけではなく、ことばが加わる。「目に見えないもの」(たとえば、認識)が「ことば」として、世界を存在させる。「目」と「ことば(声/耳)」が一致しない。もちろん、この映画が認知症の老人を描いているのだから、アンソニー・ホプキンスの「ことば」が間違っていると簡単に判断できるのではあるけれど、それは映画にのめりこんでいないとき。外から映画を見ているとき。いわゆる「客観的」な立場で映画を見ているとき。私は、そういう「客観的」な見方というのが苦手な人間なので、簡単にアンソニー・ホプキンスは認知症である、とはなかなか思えないのである。もしかすると、オリビア・コールマンが騙しているのでは? 彼女が、他の登場人物と共同してアンソニー・ホプキンスが認知症であると思い込ませようとしているのでは?
 実際、アンソニー・ホプキンスは、そう感じているかもしれない。アンソニー・ホプキンス腕時計がなくなる。それは介護人が盗んだのか。それともオリビア・コールマンが隠して、介護人が盗んだと思い込ませようとしているか。もちろんアンソニー・ホプキンスはオリビア・コールマンを疑ってはいない。だから、よけいにこわいのである。アンソニー・ホプキンスにわかるのは、どうも自分が認識している世界と他人の認識している世界には違うものがあるということだけである。どちらが正しいか(自分がほんとうに間違っているのか)、確信が持てない。当然のことだけれど、だれでも自分の認識が「正しい」と思う。だからこそ、その「正しさ」が「多数派」によって否定されていくと、頼りにするものがなくなる。自分は「正しい」のにだれにも「正しさ」を受け入れてもらえない。それは、アンソニー・ホプキンスを子ども扱いにする介護人の姿勢に対する強い反発となってあらわれる。「私は知性のある人間、大人であって、子どもではない」。その証拠に、アンソニー・ホプキンスは自分はかつてはタップダンサーだったと嘘をつくことができる。ただし、この嘘はほんとうに嘘か、それともアンソニー・ホプキンスの認識が間違っているのかは、観客にはよくわからない。実際にアンソニー・ホプキンスが、それなりに踊って見せるからである。
 アンソニー・ホプキンスの認知症が進んでいく。そのときの世界を映画は表現している、と簡単に要約することはできるはできるが、その要約の前に、私は、ぞっとするのである。キューブリックは「シャイニング」で次第に狂気にとらわれていくジャック・ニコルソンを描いた。そこにはオカルトめいた要素がつけくわわっていて、そのために狂気に陥っていく人間の苦悩が、見かけの「恐怖」にすりかえられている部分がある。それに対して「ファーザー」には、そういう「見かけの恐怖」がない分、余計にこわいのである。
 いったい、何が起きている?
 これを判断する「基準」はひとつである。アンソニー・ホプキンスは認知症なのであって、オリビア・コールマンが父親をだましているわけではない、という証拠は、アンソニー・ホプキンスの「服装」の変化によって明らかにされる。最初はジャケットを着ている。そのまま外へ出かけられる姿である。つぎにセーター姿が登場する。もちろんセーターでも外に出ていくことができるが、基本的にそれは家でくつろぐ姿(リラックス)をあらわし、人前に出るときはセーターを脱ぎ、ジャケットを着る。だが、アンソニー・ホプキンスはリラックスするはずのセーターも着られなくなる。どこから手を通していいかわからなくなる。さらにパジャマ姿になっていく。これでは外へは出て行けない。家にいるときだって、他人がくるなら、やはり着替えるのがふつうだ。パジャマ姿は基本的に他人に見せるものではない。このパジャマ姿は、最初は上下そろいの姿だが、施設に入所したあとは下はパジャマのズボンだが、上は下着である。もうパジャマすら「姿」にならない。破綻している。ジャット、ズボンという姿からはじまり、セーター、パジャマ、さらには不完全なパジャマ姿への、冷徹な「変化の記録」。ここには「ことば」は関与していない。だから「嘘」がない。途中に、アンソニー・ホプキンスがセーターを着られずにオリビア・コールマンに手伝ってもらうシーンがある。さらにはパジャマからふつうの服装に着替えるのを手伝う(手伝いましょう)ということばも繰り返される。そこに、絶対に否定できない「事実」がある。
 最後の最後に、アンソニー・ホプキンスは「認知症」の恐怖を語る。自分は、かつては枝が広がり葉っぱが繁った木であった。しかし、いまは枝がないのはもちろん葉っぱもない。何もない木だ。このことばに覆い被さるように、イギリスの緑豊かな木が風に葉を揺らし、光をはね返す美しいシーンが広がる。そして、映画が終わる。それを見ながら、私は人生の最後にどんな風景を見るのだろうと思い、また、恐怖に叩き落とされる。
 この映画は、アンソニー・ホプキンスがアカデミー賞(主演男優賞)を取ったから、見に行ってみよう、という軽い気持ちでは見に行かない方がいい。ぞっとするから。アンソニー・ホプキンスの演技は、生き生きとした表情から失意まで、非常に幅が広くて、それだけでも恐怖の原因になるし、いわゆるイギリス英語の明瞭な発音が、最後の不安でいっぱいの声に変わる、その声の演技も「迫真」であり、それだけにまた、非常にこわいのである。

 

 

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