詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

金子敦『シーグラス』(2)

2021-05-20 13:07:04 | 詩集

 

金子敦『シーグラス』(2)(ふらんす堂、2021年04月21日)

 金子敦『シーグラス』の、つづき。2017年以降の作品を読んでみる。ただ、思いつくままに。
 俳句はことばが少ないだけに「音感」が他の文学よりもいっそう大切だと思う。寺山修司はとてもいい「耳」をしていたと思う。耳が俳句と短歌を支えていた。でも、「音感」というのは不思議なもので、「個人の音感」と「時代の音感」がある。寺山修司は「時代の音感」に声をあわせることがとびぬけてうまかったのだと思う。たんなる「印象批評」だけれど。
 金子の場合は、どうか。

  紙コップ微かに歪み水温む

 「か」みコップ「か」すかに、と「か」の頭韻。ゆが「み」「み」ずぬるむ、のしり取り。か「す」かに、み「す(ず)」ぬるむの揺らぎ。ゆが「み」、ぬる「む」のま行の響き合い。意識して書いたものではないと思うけれど、その無意識であることがとても自然。
 ただこの「音感」は、時代の感受性とかなりシンクロしているように思う。言い直すと、金子の年齢にわりに近い私には「自然」に感じられるが、もっと若い世代にはどうなんだろう。
 「紙コップ微かに歪み」のなかにある「手触り」と「水温む」の響き合いがどれくらい共有されるのだろう。
 意外と、夏の冷たい水が、氷が解けて温くなる。そのときの、少しだらけたような紙コップの感触を思い出し、「水温む」が季語だと気づかないかもしれない。季語を無視して、夏のひとこまと読んでもいいのだろうけれど。

  父の日の大言海の重さかな

 私は、こういう句は大好きだが、「大言海」という音に、若い世代はどう反応するか。「重さ」は単に辞書が重いという物理的な(数学的な)重さではないことが「大言海」から通じるか。「なぜ、広辞苑じゃない?」と思うかもしれない。「父の日の広辞苑の重さかな」だと「重さ」がつたわらない、父の風格が出てこない、がつたわるか。そもそも「父の日」が、いま、そんなに重いか。
 「父の日の父トイレにもいない」というような句(字足らずなので、私の記憶が間違っていると思う)にどこかで出会ったことがある。これが、今風の「音感」という感じがする。軽さ、おかしさ、が。
 金子の句は美しいが、ちょっと違うと思う。

  書割の海を負ひたる菊人形

 好きだけれど、「書割」は、やはり「大言海」かなあ。「かき」わり、「きく」にんぎょう、のか行の音間の「海」のひろがり、「負ひたり」というゆったり(雄大な)調べ、それとは対照的な「書割」というチープな存在。そういうことばの出会いが楽しいけれど、現代の「音感」とは少し違うと思う。
 で、こういう句に感心しながら、私は、どうも私は古い人間だなあ、古い人間だからこういう句にひかれるんだなあと、少し悩むのである。

  鉄棒の端にマフラー結はへあり

  セーターの胸にトナカイ行進す

  冬帽子に小さきハートのやうな穴

 これはきのう読んだ「牛丼」のつづきみたいな句。「セーター」「冬帽子」は、とても現代的な音。特に「セーター」がいいなあ。「胸に」の「に」がいいなあ。行進しているのがセーターを着ている人か、セーターのなかのトナカイか、一瞬わからなくなる。この一瞬わからなくなる感じ(はっきり識別しない感じ)がクリスマスの「うきうき感」にぴったりくる。

  寒月とチェロを背負つて来る男

 これは、もう、なんといえばいいのか、私には「古い現代詩」の音感。イメージはわかるが、「わかりすぎる」感じがして、俳句に必要な「驚き」が感じられない。「女」だったら、少しは今風な音かもしれない。嫌いじゃないけれど、積極的に好きとは言えない。△をつけて保留する感じの句かなあ。誰も選ばないなら取り上げるけれど、他人が取り上げるならケチをつけたいというような句。
 こういうような句が、読んでいて、いちばん困る。

 2018年の句。

  赤ん坊の髪のぽよぽよ桜餅

 これはいいなあ。「ぽよぽよ」が楽しいし、「髪の」の「の」が「赤ん坊の」の「の」と響き合い、「ぽよぽよ」へなめらかにつながる。「桜餅」の季語もいいなあ。春を告げるだけならほかにも季語があるだろうけれど、「ぽよぽよ」が「餅」によって触感として迫ってくる。
 この句からは金子の「音感」のよさがはっきりつたわってくる。

  エッシャーの階段上りゆく朧

 「寒月と」とおなじく、読みようによってはギョッとする。スノッブな感じがする。そしてスノップというのは、なんだか私には「少し古い」という感じがするのである。「チェロ」とか「エッシャー」というカタカナの音が、それに拍車をかける。

  烏瓜の蔓を引つ張るカメラマン

 なんとなく、もったりした感じ、俳句になりきれていない音の響きだが、この俳句になりきれていないという印象が妙にうれしい。完成する前の、あ、完成しそうという予感がいいかなあ、と思う。

 2019年の句。

  そやなあが口癖の人山笑ふ

 この口語がいいなあ。「ぽよぽよ」に通じるものがある。「山笑ふ」の季語とあいまって、気持ちがほぐれる。

  白鳥も白鳥守も白き息

 俳句の常套的な表現方法のひとつなのかもしれないが、この「白」の繰り返しがいい。文字は同じだが、「はく」「はく」「しろ」と変化していく。そして「はく」のなかには「吐く」があり、「吐く息」へとつながるのも、肉体を刺戟してくる。

 2020年の句。

  手に載せて三秒ほどの薄氷

 「三秒ほど」がいいなあ。

  別室にルンバの回る朝寝かな

  落書きのゴジラ火を吐き花吹雪

 こういう句をもっと読みたい。「落書き」はゴジラの吐いた火が、そのまま花吹雪に変わるようで楽しい。「落書き」でなければ(たとえば着ぐるみだったりすれば、あるいは本物であったりすれば)、こういう具合にはいかない。らくが「き」、ひをは「き」、なはふぶ「き」の畳みかけるリズムがうれしい。
 「書割」と同じように、嘘が嘘を超えて本物になる瞬間。嘘と本物が逆転する楽しさがある。それはきのう書いた巻頭の句「初空へ」にも通じる。

  モビールのやうな家系図ちちろ鳴く

 これも△の句。

  刈田より見ゆる剃刀ほどの海

 とても好きだけれど、この「剃刀」、どこまでつうじるだろうか。「剃刀」は、もはや理髪店でしか見ないかもしれない。その重さ、その鋭さ、その誘惑。「剃刀ほどの海」なのだから、それは刈田に比べると非常に小さいはず。視覚的に、小さく見えるはず。でも、ことばにした瞬間、刈田と剃刀が拮抗し、あるいは収穫が終わったあとの刈田と比較すると、刈田を超えてなまなましい死の匂いをともっなって、重さが逆転する。それがいいんだけれど、「剃刀」が若い人にわかるかなあ。
 ある詩人が、ある有名な詩人の「剃刀」が出てくる詩について感想を書いているのを読んだことがあるが、その感想を読むと、あ、この人は「剃刀」で髭を剃ったことがないんじゃないか、「剃刀」を研いだこともないだろうなあと思ってしまった。私とほぼ同年代の詩人なのだけれど、「剃刀」の誘惑の重さ、あるいは重さの誘惑と向き合っている感じがしなかった。
 安全剃刀はすたれ、T字型の安全剃刀も、いまや切り傷防止のものが主流だから、こんなことを書いてもどうしようもないのかもしれない。

 


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