詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

サム・メンデス監督「エンパイア・オブ・ライト」(★★★★)

2023-03-04 21:02:33 | 映画

監督 サム・メンデス 出演 オリビア・コールマン、マイケル・ウォード、コリン・ファース

 スピルバーグの映画がどうも気に入らなくて……。予告編で見た「エンパイア・オブ・ライト」で目を洗い直す感じ……。(「対峙」も予告編の緊迫感がすばらしい。)
 「エンパイア・オブ・ライト」は「ニュー・シネマ・パラダイス」ではなくて、「オールド・シネマ・パラダイス」という感じだが、映像が、なんといっても英国風で湿度と奥行きがある。そこが好き。
 屋外の風景だけではなく、室内も、湿気があって、それが色に反映している。私が日本の湿度になれ親しんでいるから、イギリスの色を好むだけなのかもしれないが。
 「オールド・シネマ・パラダイス」だから、どうしても「純粋」というわけにはいかないのだが、その「純粋じゃない」部分のなかに「純粋」を探し出してしまうという感じが、まあ、しみじみとします。
 コリン・ファースが、この映画のなかでは、誰もが「大嫌い」と言うに違いない役を演じているところが、なんともおもしろい。かつては美少年、英国王を演じてアカデミー賞(主演男優賞)をとったんだけれどね。
 あ、こんな脱線は、どうでもいいか。
 スピルバーグの映画がそうであったように、そして「ニューシネマパラダイス」がそうであったように、映画のなかの映画が、この映画でもとてもいい。大好きな「チャンス」の大好きなシーンが、一部はなんと、音だけで出てくる。豪邸の、豪邸だからこそあるエレベーターに乗って「この部屋は小さいね」。あっけにとられて、笑うのを忘れる、というか、忘れるまでに「間」がある。「チャンス」はドタバタを含むコメディーだったけれど、そのドタバタさえ「間」があった。「間」がコメディーを「芸術」に昇華させていた。(と、書くと、コメディー・ファンに叱られるかもしれないが。)
 で。
 この「間」なんだけれど。
 イギリスはやっぱりシェークスピアの国だねえ。セリフの強さと「間」で、芝居をリエルに変えていく。ことばをつきつけられたら、嘘をつかない。ことばにしない限り、それは「秘密」だし、ことばにすれば、それはすべて「事実」(現実)になる。だからこそ、ことばにするかどうか、「間」が必要になる。「間」のなかに「真実」が凝縮している。
 引きこもりのオリビア・コールマンを精神科病院へつれていくために部屋に侵入するところのやりとりは、まあ、すごいもんだねえ。オリビア・コールマンは何も言わず、顔だけで演技をするのだけれど、それがなんというか、やっぱり「間」なんだなあ、と思う。
 思えば、スピルバーグの映画というのは「間」を、ほかの監督よりも短くすることで成り立っているね。スピード感。私が経験する「間」、想像する「間」よりも短い。つまり、速い。その加速度にのっかって、映画が展開する。
 この映画は、逆。
 スピードを上げない。とどまる。ゆっくりと進む。その「ゆっくり」のなかに力がこもる。加速度に頼らない。「ゆっくり」、あるいは「進まない」動きのなかに、人間が存在している、その力を見せる。それが登場人物の「生き方」も決定する。
 それにしても。
 再生の象徴としての、最後の緑の美しさ。このままずーっと見ていたいと思う。そして、この緑についても、「チャンス」が反映しているね。

 

コメント
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